アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

新世界より

2009-07-08 19:28:48 | 
『新世界より(上・下)』 貴志祐介   ☆☆☆☆

 貴志祐介の新作を読了。かなり分厚い上下二巻である。しばらく前から書店で見かけ、読みたいなと思いつつも、『黒い家』などと違って未来を舞台にしたSF・ファンタジーということで躊躇していたのである。が、やはり面白かった。

 舞台は今から千年後の日本。主人公である女性・早季の回想記ということで物語が始まる。かつて念動力を持った少数の人間たちと普通人の間に戦争が勃発し、文明社会は崩壊、今では少数の人間達があちこちに集落を作って生活している。この社会では人々はみんな「呪力」と呼ばれる念動力を持つが、そのかわりに科学技術力は大幅に退化した呪術的社会である。呪力はまるで女の子に訪れる初潮のように、子供が一定の年齢になると訪れる。物語はこの社会で成長していく早季とその仲間の5人を追っていく。

 青春物語であり、ファンタジーであり、冒険ものであり、ホラーでもある。現代社会への問題提起も含んでいる。

 おおざっぱに前半、後半と分けると、前半は少年少女たちの冒険ファンタジー的色彩が強い。この社会ではバケネズミという知能が高い、言葉も喋れる動物が人間の下僕として使役されているのだけれど、夏季キャンプに行った5人がバケネズミの部族間戦争に巻き込まれる話がメインになっている。この部分は正直今ひとつだなと思いながら読み進めた。この町では学校からある日を境に子供が消えてしまう、という不穏なことが起こり、牧歌的な表面の下に何か不気味なものが隠されているのが序盤から暗示され、興味をかき立てるのだが、その部分は横に置いたままバケネズミ戦争に突入してしまうのである。プロローグが長々と続いているような気がしてしまう。

 バケネズミ戦争篇が終わると、この小説の重要なテーマである「悪鬼」「業魔」のうち「業魔」の話となる。このあたりから作者の本領が発揮され、背筋が寒くなってくる。

 この「悪鬼」「業魔」というのは最初は素朴な民話の形で紹介され、だんだんとその恐ろしい意味が明らかになってくる。私はこの「悪鬼」「業魔」の設定がこの小説最大の魅力であり、不気味さの源泉であり、貴志祐介らしい秀逸な発想だと思うのでここでちょっと説明しておきたい。私自身、読む前は「悪鬼」「業魔」というネーミングから子供っぽい妖怪ファンタジーみたいなものを想像して読むのを躊躇していたからだ。小説の途中で説明されるのでネタバレにはならないと思うが、全然予備知識なしで読みたい人はこの下は読まないように。












 この社会で人間は皆「呪力」すなわち念動力を持っているが、この念動力はものを動かすだけでなく空中にレンズを作ったり、竜巻を起こしたり、動物の遺伝子を改変したりあらゆることができる。もちろん動物を殺すなど簡単で、だからバケネズミは人間を「神様」と呼んで服従しているのだが、人間が人間を殺さないようにあらゆる人間には「愧死機構」というものが組み込まれている。つまり人間を殺すと呪力が自分自身に作用し、本人も死んでしまうのである。これによって人間は人間を殺せなくなっている。ところがまれに、遺伝的異常か何かで愧死機構を持たない人間が生まれることがある。これが「悪鬼」である。「悪鬼」は呪力で簡単に人を殺すことができるが、他の人間は「悪鬼」を殺せない。つまり「悪鬼」一人が簡単に共同体全体を崩壊させてしまうことができる。この社会の人々によって「悪鬼」は悪夢以外の何物でもない。

 それから「業魔」。人間は意識して呪力を使うが、微弱ながら無意識のうちに漏れてしまう呪力がある。弱い放射能みたいなものだ。普通は特に害はないが、まれに強い呪力を漏出させてしまう人間が現れる。すると本人の意図とまったく無関係に、漏れ出した呪力がまわりの世界を変形してしまう。地面が陥没し、壁が泡を吹き、植物がねじくれ、動物や人間の遺伝子まで干渉して異形化してしまうという恐ろしいことになる。これが「業魔」である。いったん「業魔」となったらその人物はただそこにいるだけでじわじわと世界を汚染していく。彼の周りには誰も近づけない。悲劇的なのは「業魔」本人にまったく悪意はないということである。どんな人格者でも、心優しい少女でも、「業魔」になる可能性があり、そして「業魔」になったら社会から排除されなければならない。

 この「悪鬼」「業魔」の設定には感心した。「悪鬼」は『黒い家』でも扱われたサイコパス・テーマにつながり、早季が聞かされる過去に出現した「悪鬼」となった少年のエピソードは、たとえばコロンバイン高校銃乱射事件のような現代の事件を思わせるどこか生々しい戦慄がある。「業魔」のエピソードはクローネンバーグの『ザ・フライ』のようにおぞましくも悲劇的である。「業魔」となった人物がまわりの世界に及ぼす変形は悪夢的にグロテスクで、前半の冒険ファンタジー路線が一気にホラー色を強めてくる。さすが貴志祐介、あの『天使の囁き』の作者だけのことはある。そして後半はついに「悪鬼」が出現し、一大カタストロフが繰り広げられる。

 この「業魔」と「悪鬼」は妖怪やバケモノではなく、両方とも人間というところに注目したい。呪力というSF的設定が加味されているものの、貴志祐介の小説で一番怖いのはやはり人間なのである。

 それから後半、早季たちが悪鬼対策を求めて廃墟となった東京に向かう場面は相当気持ち悪い。グロテスクな生き物が跳梁する地下世界を横断していくのだが、まるで『漂流教室』みたいな世界である。ヒルとかゴカイとか。あーたまらなく不気味。

 そもそも本書にはファンタジーらしくバケネズミをはじめ色んな異形の生物が出てくるが、どれもこれもどことなく不気味である。膨れ上がって自爆する風船犬や、人間の子供を殺すネコダマシなど。この不気味な感覚はこの作家ならではのものだ。一方で、面白かったのはミノシロモドキ。催眠術を使って身を守る自走式図書館なのである。フィリップ・K・ディックみたいだ。

 それからエピローグがまた印象的で、ある意味ここが一番怖い。さすが貴志祐介、めでたしめでたしでは終わらせてくれない。一番怖いのは人間、というテーマがどーんと駄目押しされる。読者は答えの出ないジレンマとともに置き去りにされてしまう。

 ホラー色が強いしSFなので多少は読者を選ぶとは思うが、『黒い家』『クリムゾンの迷宮』あたりを楽しめた読者なら読んで損はないと思う。あとさすがに『天使の囁き』ほど気持ち悪くはないので、念のため。


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