アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

黒い家

2007-08-19 18:17:18 | 
『黒い家』 貴志祐介   ☆☆☆☆☆

 再読。貴志祐介はいつも緻密で手堅い職人芸を見せてくれる大好きな作家だが、おそらくは現時点での彼の最高傑作にして日本ホラー大賞受賞作。ホラーと言っても超自然現象やオカルトとは無縁の非常にリアリスティックな怖さを追求した小説で、サスペンスものといった方がいいかも知れない。キングやクーンツみたいなホラーとは違う。

 主人公は保険会社社員。生命保険の査定、つまり被保険者の死亡時に保険金を支払うか否かの判断をする仕事をしている。彼は仕事柄、仮病で保険金を詐取しようとする奴、会社が潰れたのはお前のせいや賠償金払えといってくる奴などの相手もしなければならない。きつい仕事だ。緻密でリアリスティックなディテールの積み重ねで、これはいやだなあ、と読者も胃が縮むような思いで読み進め、十分に下ごしらえがなされたところで、ものすごいのがやってくる。菰田一家だ。なぜか呼び出され、家にいくと子供が首を吊っている。主人公の若槻はむりやり発見者にされる。一緒にいた菰田はどうみても怪しい。警察も不審に思って捜査する。やがて菰田が毎日保険会社に現れるようになる。「保険、もうおりたやろ思てな」異常な男である。暴力は振るわない。しかし自分の指を血がたらたら流れ出すまで噛んだりする。若槻を見る目の瞳孔が小さく収縮している。こわい。これはこわい。若槻はノイローゼ気味になる。

 しかも、菰田がいわゆる「指狩族」だったことが分かる。こんな人々が現実にいたかどうか知らないが、要は障害保険をもらうために親指を自分で切断した連中である。信じられない。親指が特に高いらしい。
 この小説の怖いところは、人を傷つけたり殺したりするだけの人間ではなく、自分の体を切り落としたりする人間が出てくるところだ。しかも、保険金のために。常軌を逸している。わが身かわいさに他人を殺傷する人間はまだ分からないじゃないが、金ほしさに自分の指を、あるいは腕を切断する、これはもう想像を絶している。そんな人間の心理はまったく分からない、そしてそれがなんとも怖い。異常な人間、その怖さはモンスターの比ではない。

 さて、死んだ子供で結局保険金が下りる。これで終わりかと思ったらまだまだ序の口だ。これから読む人の興を殺がないようにここから先は書かないが、唖然とする展開になる。若槻が相手にしている人々の異常性がこれでもかとむき出しになってくる。ああ嫌だよう、こんな仕事したくないよう。

 小説中、ある心理学者が連続殺人鬼の書いた作文を読んで叫んだとされる言葉が出てくる。「この人間には、心がない!」菰田の妻が子供の時に書いたとされる作文とからめて言及されるのだが、この作文が確かにちょっと不気味である。この作家のいいところはやり過ぎないところだ。この作文もそうだし、要するに包丁をもった殺人者が一番怖い、という小説全体のアイデアもそうだ。匙加減がうまい。

 それからクライマックス、若槻の身に危険が及び、更にガールフレンドである恵に危険が及ぶあたりもうまい。安手のホラー映画なんか観てると、時々「なんでそんなことするの?」「なんでわざわざそこで一人ずつになって暗いとこに入ってくの?」などとあきれてしまうシーンがあり、製作者のご都合主義が見えてしらけるが、この小説ではそういうことがない。登場人物の行動に説得力があり、結果的に事態を悪くしてしまうまずい行動であってもその時は気がつかない。こういうところが緻密だ。

 そしてさらに怖いのは、これが単なる特殊な人物にかかわったが故の特殊な事件、として完結してしまうのではなく、社会全体のサイコパス化、というペシミスティックなムードを最後まで引きずって終わるところだろう。若槻は自問自答する、今の日本で、ああいう人間と遭遇する確率はどれくらいなのだろう。百万人に一人か、十万人に一人か、それとも千人に一人ぐらいか。

 まあとにかく怖いです。荒唐無稽な怖さではなくリアルな怖さです。そして面白いです。そういうの好きな人は必読です。
 


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