アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

廃疾かかえて

2012-09-15 22:38:36 | 
『廃疾かかえて』 西村賢太   ☆☆☆☆

 西村賢太の短編集を読了。三篇収録されているが、すべて「秋恵もの」である。

 秋恵というのは主人公・貫多がやっとのことで待望の「我が女」として手に入れ、一緒に同棲生活を送ってもらっている奇特な女性で、彼女と同棲することになった経緯は『暗渠の宿』で詳しく述べてある。この秋恵も最後はバイト先で知り合った他の男のところへ逃げていくことが最初からバラされていて、この「秋恵もの」の醍醐味はその無残な結末を常に念頭に置きながら、貫多の暴虐と甘えとヘタレな後悔野郎っぷりを堪能するところにある。

 「秋恵もの」では基本的に貫多が些細なことで癇癪を起こし、秋恵に理不尽な罵倒を浴びせたり時には暴力を振るったりし、後でぐずぐず後悔するというワンパターンが貫かれているが、このワンパターンがとにかく面白い。「廃疾かかえて」では秋恵が女友達にタカられているといって罵詈雑言を浴びせる。秋恵も気丈に逆襲するが、最後泣き出してしまうところが不憫で、これはつまり秋恵も女友達の「久美ちゃん」にいいように利用されていると薄々気づいているからなのだった。さすがに貫多も謝り、しばらくして落ち着いた彼女は笑顔なんぞを見せて風呂に入るが、その間に貫多はコップ酒をあおってまたまた一人で邪推の怒りを募らせ、風呂上りの秋恵を待ち受ける、というところで終わる。この後に起きることを考えると本当に秋恵が不憫になる一篇だ。

 「瘡瘢旅行」は同棲時代末期の話で、秋恵はもうかなり貫多に冷たい。完全に貫多の自業自得なのだが、こうなると貫多は秋恵の気持ちが気になり、なんとか修復したいと思っている。そんなところへ例によって藤澤清造ゆかりの古書が発見され、古書店へ交渉の旅に出向くことになり、貫多は気乗り薄な秋恵を連れて岐阜旅行を決行する。新幹線の中では指定席をめぐってまた秋恵と一波乱あるが、罵詈雑言の応酬には至らない。この一篇の読みどころはそれよりも、古書をめぐる貫多の一喜一憂である。もう駄目だと思っては落ち込み、うまくいったと思っては舞い上がる、このリアクションの現金さがおかしい。そして最後の一行で仄めかされる、やがて来る秋恵遁走の予感が哀れを誘う。

 最後の「膿汁の流れ」では秋恵の祖母が危篤になる。祖母の入院で帰る帰らないでまず喧嘩になり、反省して秋恵を送り出した後はクレジットカードを預かったのをいいことに、後先のことを考えず外食に風俗にと貯金を使い果たしてしまう。そして帰ってきた秋恵とまた借金のことで口論になるが、この一篇では貫多が折れて終わる。その折れる理由がもうほとほと愛想が尽きると言う他なく、貫多という人間の駄目さ加減が目いっぱい発揮された一篇である。

 西村賢太が書く貫多のセリフは独特で、ムチャクチャな罵倒の中でも自分のことは「ぼく」である。そして愛する女であるはずの秋恵に対しては「このブス女」に始まり「経血女」「糞腸女」「膣臭女」と、聞いたこともないような罵詈を投げつける。いやまったくひどい。

 こういう西村賢太の小説に対し「こんな最低の男の話を読んで面白がる人の気持ちが分からない。ただ気分が悪くなるだけ」と否定するレビューを時々Amazonで見かけるが、身勝手な邪推で理不尽な怒りを感じたり、人にあたって後で後悔するような経験は誰にだってあることと思う。そういう恥ずかしい気持ちをさらけ出して見せ、それによってある意味読者の心の解毒をしてくれるのが西村賢太の私小説であり、読者を惹きつける魅力なのである。いや私はそんな経験は一度もない、と言う人がいるならば謝るが、そんな方でも、自分の人格的欠点をここまでおおっぴらにあからさまに認めるのはなかなかできることじゃない、とは認めてもらえるだろうと思う。少なくとも、自分の欠点は直視できず他人の欠点を責めるに急な人間よりはるかにましである。

 それにしても、貫多=西村賢太という話が本当ならば、今もどこかにいる秋恵さんはこれらの私小説を読んでどう思っているだろうか。かなり複雑な気分だとは思うが、多分間違っても「別れなければよかった」とは思っていないだろう。
 


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