アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

あの夏、いちばん静かな海。

2015-10-27 21:20:04 | 映画
『あの夏、いちばん静かな海。』 北野武監督   ☆☆☆☆★

 所有するDVDで再見。北野監督三作目の映画である。1991年公開。

 初期北野作品の特徴が如実に現れた作品で、無愛想で、ゴツゴツしていて、どこかしら投げやりで、にもかかわらずヒリヒリするような感性が映画全体を貫いている。私はこの映画が大好きである。確かに、後の北野映画のように洗練はされていない。荒いし、まだまだ色んな点で不器用だと思う。が、なんといっても力がある。どの場面をとってもユニークだし、斬新な感性の裏打ちがある。決して、こんな時はこんな風に撮るものだからというような安直な常套がない。他の監督はどうか知らないが、おれはこう撮ったら面白いと思うんだよという直感と確信に溢れている。そしてもちろん、自分の感性への信頼がある。その結果が不器用でも稚拙でも、おれはそれを受け入れるよという潔さがある。

 ストーリーもこの頃の北野監督らしく、とりたてていうような起伏がない。非常に淡々としていて、あらすじを説明してくれと言われたら誰もが困るのではないか。聾唖者のカップルの話で、青年がふとしたことでサーフィンを始めて、最初はヘタだったけどだんだんうまくなって、大会に出て賞をとる話、ぐらいしか説明できない。が、これを聞いて「はああ、要するにハンデがある青年が頑張ってサーフィン練習して、仲間と泣いたり笑ったりして、最後は大会で盛り上がって『やったー!』って皆で嬉し泣きするパターンか」と思われたとしたら、全然違う。それほどこの映画とかけ離れた説明もない。青年はいっつもサーフィンをやってはいるが別に頑張ってる感じでもなく、そもそも大会に出て賞をもらおうなんて思っておらず、回りの人々もことさらに励ますわけでもない。そういう意味では、非常に低温である。

 それじゃ、この映画は何が面白いのか? 何を言いたいのか? これは非常に難問である。非常に難問であるが、にもかかわらずこの映画を観始めると退屈することなく、なぜか画面を見続けることになる。これは結構すごいことなんじゃないかと思う。

 とりあえず細かいくすぐりというか、たけし監督らしいくすっと笑えるポイントは色々とある。たとえば大金はたいてボードを買ったら、同じボードが他店のウィンドウにはるかに安い値段で出ているとか。誰彼構わずみかん剥いてと頼む女とか。トラックの乗員数オーバーして警官に止められ「三人乗っちゃいけないって法律でもあんのかよ!」とキレ、「あるよ」と返される寺島進とか。しかし、もちろんそれだけではない。

 本作の力強さと感動の中心は、聾唖カップルである茂(真木蔵人)と貴子(大島弘子)である。当然ながら、まったくセリフはない。が、たけし監督はこの映画でハンディキャップを持つかわいそうなカップルの物語を語りたかったわけでも、聾唖者の大変さを訴えたかったわけでもない。聾唖者という設定は、ほぼ「主人公カップルに一切会話をさせない」ためだけの設定である。だから茂と貴子は、手話すらほとんど使わない。ただ、黙っていつもそばにいるだけだ。しかしこの「いつもそばにいるだけ」が、じわじわと効いてくるのである。

 ただひたすらサーフィンをする茂。ただひたすら一緒にいるだけの二人。この「ただひたすら」の思い切りの良さと大胆さが、この映画の核心であり、独創性である。そして、あっけらかんとそれに徹することのできる北野監督はやはり只者ではない。これがラブストーリーとしてどれほど力強く雄弁であるかは、この映画を見た人なら分かるはずだ。私など、あの二人が並んで歩いている場面を思い浮かべただけで、もう涙腺が緩んでくるのである。

 それからまた、茂が浜辺に脱ぎ捨てた服を黙ってたたむといった、貴子のさりげない仕草。こうした場面をポンと置いてみせる北野監督の無愛想さの裏側に、繊細な感性が光っている。そしてセリフが一切ない、ただただ仕草と行動と視線だけの二人の物語を、なんてステキなラブストーリーなんだろうと思わずにはいられなくなる。
 
 さっきまだまだ洗練されていないと書いたが、たとえば久石譲の音楽の使い方や最後のシークエンスの見せ方など、荒いと感じる部分は確かにある。そのせいでこの映画を評価しない人がいることも知っている。しかし、そんなものは枝葉であると私は言いたい。この映画の素晴らしさはそんな技巧論を越えたところにあるのであって、そうした荒さすらこの映画の味わいである、と言ってもいいぐらいだ。

 なんとなくそれまでバイオレンスが売りだと思われていた北野監督だが、この映画によって、バイオレンスという飛び道具に頼らなくても見事な映画が撮れることをを証明した。彼の本当の武器はバイオレンスなどではなく、独特のミニマリズムの美学であり、エディットのセンスだったのである。このピュアで美しいラブストーリーは、そのことを如実に示す傑作である。



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4 コメント

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Unknown (フルタカ)
2015-11-05 01:23:18
本作のタイトルデザインをされた赤松陽構造氏が先日ラジオに出演しておられ
『タイトルを作品の最後にもってきた北野監督のセンスに感服するしかなかった』
と語っておられました。
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Unknown (ego_dance)
2015-11-08 22:43:12
確かにタイトルが最後に出ますが、あれは「最後にもう一回タイトルが出る」ではなくて、「最後になって初めてタイトルが出る」だったわけですか。うかつにも気づきませんでした。面白いですね。
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遅ればせながら (トシ)
2016-02-24 10:32:30
お疲れ様です。                         僕もたけし映画のなかではこの作品が一番好きです。
よくたけしの映画といえばバイオレンス、といった向きがありますが、むしろその真骨頂はego_danceさんが仰っている部分にあるのではと思います。(ただ、「その男」や『アウトレイジ」等のバイオレンス全開の作品も好きですね。)
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バイオレンス (ego_dance)
2016-02-28 03:07:56
最近「アウトレイジ・ビヨンド」を再見してみたら、最初観た時より面白く感じました。「アウトレイジ」ももう一回観てみようかな。
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