アブソリュート・エゴ・レビュー

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ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー(その2)

2017-07-25 22:07:30 | 映画
(前回からの続き)

 そして壮絶な戦いの果て、プラン奪取の達成感とともに荘厳な結末に至る。仲間を失って二人だけとなったジンとキャシアンを、惑星を焼き尽くす業火が呑み込んでいく。チーム・ローグワン、全滅。が、彼らが全滅と引き替えに奪取したデススターのプランこそが、エピソード4で描かれる革命軍巻き返しのいしずえとなるのである。

 見事におなか一杯のクライマックスだが、さらにデザートが控えている。プランを入手して逃げる革命軍に対する、ベイダ―の襲撃である。これがすごい。暗闇の中、不気味な呼吸音が響き、赤いライトセーバーが輝く。浮かび上がるダース・ベイダーの姿。大勢の革命軍兵士に対し、たった一人である。兵士たち一斉に発砲、が、当たらない。ベイダーはライトセーバーで弾丸をすべてはじき返しつつ平然と足を進め、フォースで兵士たちをなぎ倒していく。恐慌にかられて叫ぶ兵士たち、断末魔の阿鼻叫喚。これまであるようでなかった、ベイダーの鳥肌が立つような無双ぶりを示す戦闘シーンである。

 しかしまあ、このシーンはホントよくぞやってくれましたという感じで、旧シリーズからのファンがもっとも随喜するのはこの場面だろう。そもそもスピンアウト作品の本篇に対する優位性はすでに死んだキャラクターを出せるということであって、この『ローグワン』の構想が浮上した時、製作陣をもっとも興奮させたのは「しめた、これでまたダース・ベイダーを出せるぞ」という思いだったであろうことは想像に難くない。このおいしい場面を最後の最後までとっておいたことからも、それが分かる。

 その後、なんとか逃げ切った革命軍が奪取したプランをプリンセス・レイアに手渡すところで、この『ローグ・ワン』は終わる。ネット情報を信じるならば、このラストは『エピソード4』が幕を開けるその10分前だそうだ。つまりこの後、レイアがプランをR2-D2に託し(その直後にベイダーに捕まる)、R2-D2とC-3POのロボット・コンビが惑星タトゥイーンに漂着、ルークと出会う、という流れになる。最後の場面にのみ登場するプリンセス・レイアは『エピソード4』への繋がりを強調するためのアイコンであり、私がこの映画を観たニュージャージーの映画館ではここで拍手が沸き起こっていたが、完全にCGで再現されたレイア姫の顔はさすがに不自然で、私はここまでアップにしない方がいいんじゃないかと思った。が、スターウォーズ・マニアが多いアメリカでは、やっぱりこれが受けるんだろうな。

 ちなみにレイア姫の顔のアップはさすがにCGくさかったが、あとであの帝国軍のターキン総督がフルCGで顔を差し替えたと聞いてたまげた。確かに、エピソード4でターキン総督を演じた俳優さんはすでに相当なお歳だったし、この映画でおんなじ年恰好で出てくるのはおかしいとは思ったが、まさかあれがフルCGだとは思わなかった。すごく自然である。最近はもう、CGでなんでもできてしまうんだなあ。そのうち作られるという噂のハン・ソロの若き日の物語も、若い頃のハリソン・フォードのフルCGで作ったらどうだろう。まあ、どんだけ金がかかるのか知らないが。

 そんなわけで、この映画は単体でもよく出来ているが、おそらく最大のヒットは、エピソード4の中のたった一言を拡大して一本の映画にしたというそのアイデアである。これによって製作陣は、あの見事だったエピソード4の大団円の快感をも、物語の円環の中に取り込むことに成功した。観客はあのルークやハン・ソロやプリンセス・レイアの冒険とそのまばゆいばかりの達成をすでに知っており、この『ローグ・ワン』で描かれる艱難辛苦と犠牲の土壌の上にこそ、その達成が花開くことを知っている。そうした目で本作を見る時、つまりクライマックスで一人、また一人と倒れていくローグワンのメンバー達それぞれが胸に抱いた「希望」を思う時、私たち観客は涙しないわけにはいかない。

 物語の外に更に大きな物語があり、すべてが繋がっているという壮大な感覚は、なかなかに得難いものだ。本作はスターウォーズ・サーガのスピンオフという立場を最大限に活かし、その感動を観客に与えることに成功した。これが単発映画だったらこうはいかない。この構想こそが、本作最大のヒットだと思う。

 加えて、この後エピソード4につながっていきますよというファン向けのくすぐりも細やかに計算されていて、たとえば終盤近くになって急にエピソード4のキャラ達、つまりR2-D2とC-3POのロボット・コンビ、オビワン(会話の中に登場)、レイア姫などが次々と登場する。レイア姫はもっと前の革命軍の集会あたりにいても本当はおかしくないと思うが、あえて最後の最後に登場させる。このファン心理を見透かしたじらしプレイがニクイぞ。

 それから今さらだが、特撮に関してはもはや完璧に近い別世界イリュージョンの創出が達成されている。初期のスターウォーズもすごい特撮だなと思ったものだが、よく見ると細かい部分ではしょぼかったり、白を背景にした合成は難しい等の技術的制約も色々あったというが、もはやそんなものは微塵も感じさせない。というか最近はどの映画を観ても思うことだが、映画の特撮技術はもはや爛熟の域に達していて、SFやファンタジー映画でも実写映画と同じリアリティで映像化できている。こと特撮技術に関してはハリウッドより遅れていた日本も、『シン・ゴジラ』を観てここまで来たかと感心したものだ。

 『インターステラー』や『ゼロ・グラビティ』を観れば分かるように、SFのセンス・オブ・ワンダーは圧倒的ビジュアルに依存する部分も大きい。これまでは、文章を読んでそれを脳内再現できる人間だけが味わっていたわけだが、今やそれを誰の目にも見える形にして、スクリーン上に投影できるようになった。素晴らしいことである。これからSF映画の黄金時代がやってくる、かも知れない。



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