アブソリュート・エゴ・レビュー

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赤い薔薇ソースの伝説

2015-10-05 21:43:28 | 映画
『赤い薔薇ソースの伝説』 アルフォンソ・アラウ監督   ☆☆☆☆☆

 メキシコのマジック・リアリズム小説の映画化作品である。原作も良い本だが、映画はまた小説とは異なる美しさをたたえた傑作だ。大昔にビデオで観たこの映画を最近日本で出たブルーレイで久しぶりに再見したが、こんなにいい映画だったのかとあらためて堪能した。

 マジック・リアリズムということで、現実離れした、大人の御伽噺といった趣きの映画だ。またこれは愛の寓話でもある。古き良き大ロマン物語としての、寓話=神話としての、そして途方もない綺譚としての結構を完璧に整えたこのフィルムは、当然のように一人の女性の語りで幕を開け、はるかな過去へと遡っていく。これは語り手の祖母、ティタの数奇な人生の物語なのである。

 三人姉妹の末妹であるティタは台所で生まれ、台所で育つ。この家には末の娘が一生母親の面倒を見るという残酷な掟があるため、厳格な母親はティタを使用人同然にこき使う。やがてティタは年頃になり、彼女を見初めたペドロが求婚に来るが、母親はそれを断って代わりにティタの姉ロウサラとの結婚を薦める。ティタのそばにいたい一心で、ペドロはそれを承諾する。恋人を奪われたティタが悲しみのあまり涙をこぼすと、その涙がケーキの材料に沁みこみ、ケーキを食べた結婚式出席者たちは全員祝いの席で涙を流す。ティタには、自分が作った料理を通して人々に感情や感覚を呼び起こす、不思議な才能があるのだった。

 こうしてペドロは姉ロウサラの夫となり、ティタとペドロの長年にわたる奇妙な愛のロンドが始まる。ペドロは最初ロウサラとの夜の営みを拒むが、やがて拒みきれずロウサラとの間に子供をもうける。するとなぜかティタの母乳が出るようになり、ティタはこの子をわが子のように可愛がって育てる。それに気づいた残酷な母親はペドロとロウサラ夫婦を遠くへ引越しさせ、その結果子供が死ぬ。悲しみのあまり錯乱したティタはアメリカ人の医者に引き取られ、医者はティタを愛するようになる。そうしているうちに母親は無法者に殺され、ティタとロウサラ夫婦は葬式を機に実家に戻る。すると今度は母親の亡霊が現れるようになり、ティタとペドロが結ばれないようにティタに警告する。一方、ティタは恩人である医者に求婚されるが、ペドロの子供を身ごもったためそれを拒む。が、想像妊娠だったことが分かり、彼女の心は優しい医者とペドロとの間で引き裂かれる…。

 まあ大体こんなあらすじだが、マジック・リアリズム特有の濃厚なロマンの香り、非現実的なことが平気で起きるホラ話的要素、そして御伽噺的な残酷さなどが渾然一体となって、物語文学らしい馥郁たる香りを放っている。料理で人間の心を操るティタの特異な能力は多くのエピソードで描写されるが、たとえば官能的な薔薇ソースの料理を食べた姉ガートルーディスの体が熱くなって煙を吹き、シャワーを浴びたあと全裸で駆け出していく。そして馬に乗った革命家に抱きつき、全裸のまま連れ去られてしまう。またティタの料理を食べたロウサラは体が悪臭を放つようになってペドロに嫌われる。非現実的な、あるいは神話的なエピソードの連続だ。また残酷な母親にとことん虐待され、奴隷扱いされるティタは、おそらく多くの観客にガルシア=マルケスの中篇『エレンディラ』を思い出させるだろう。

 ヴィジュアルもまた素晴らしい。メキシコの大自然の美しさに加え、光と影の対照を生かした画面づくりに酔わされる。暗がりの中で暖かく輝く、赤みを帯びた蝋燭やランプの光たち。それらがティタの歓びや悲しみを彩って、さまざま場面で印象的に使われている。テンポの良さもこの映画の大きな特徴で、長い年月にわたる大河ドラマをコンパクトにまとめたという事情もあってか無駄がなく、省略できるところはばっさり省略し、長い「間」をためこむよりもポンポン話を進めていくという軽やかさ、闊達さがとても心地よい。こうしたテンポの良さが動きの多い映像、享楽的な音楽、ストーリーの寓話性とあいまって、豊穣なロマンの世界を屹立させていくのである。

 基本的に食欲とエロスの物語であることも、メキシコの大地に根ざした神話であるところの本作に似つかわしい。ムンムンと匂い立つような生命力と熱い血潮が、貧弱なヨーロッパ的観念性など吹き飛ばしてしまうほどに力強い。記憶は神話となり、飲み食いやセックスはココアのように煮えたぎる血となって、一族のの血中に脈々と受け継がれていくのだ。生きるって素晴らしい。
 


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