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アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

隠し部屋を査察して

2007-06-19 13:33:22 | 
『隠し部屋を査察して』 エリック・マコーマック   ☆☆☆☆☆

 スコットランド生まれカナダ在住の作家、マコーマックの短篇集を読了。しかしまあ、なんというヘンな小説を書く人だろうか。綺想作家と呼ばれる人は色々いるが、この人ほどこの言葉が似合う作家もあまりいないと思う。

 アメリカの「アンリアリズム」と称される最近の作家連中、例えばケリー・リンクやジュディ・バドニッツなんかもとんでもない非現実的な短篇を書くが、彼女達のアイデアがどこかパーソナルな感情や生理感覚と結びついていて、人間の内側にある何かを綺想に仮託して描いている感じがするのに対し、マコーマックの奇想はある意味ブッキッシュというか形而上学的、抽象的で、奇想そのものを面白がって手玉に取っているという、非常に遊戯的な感じがする。だから作品の印象は硬質で、乾いている。そういうところはボルヘスに似ていて、本書にはボルヘスっぽい短篇も収録されている。

 あと、最初のいくつかの短篇を読んだだけではっきり分かるのはこの人のアイデアのグロテスクさである。この人の短篇は『どこにもない国』で『地下堂の査察』、『エソルドの怪人』で『贈り物』と二篇を読んだことがあったが、どっちも結構グロテスクだった。だからこういう作風なんだろうと思ってはいたが、ここまでやるかいという感じである。初期筒井康隆にも通じるあっけらかんとした、容赦ないおぞましさが淡々と綴られる。

 『断片』は文献からの引用というボルヘス的体裁の短い短篇だが、キリスト教のある<教団>の隠者たちの目、舌、性器を切断するという風習について描く。『パタゴニアの悲しい物語』は舞台こそパタゴニアだが、探検隊の隊員達が焚き火の回りでかわりばんこに語る三つの話というだけでパタゴニアとは関係ない。こういう人を喰ったところもマコーマックだが、その三つの話が三つともグロテスク。少年の体を改造する呪術師の話、生きながら埋葬された修道士の話、そして妻を殺害しバラバラにして子供達の体内に埋め込んだ医者の話。猟奇的といっていいが、文体が扇情的でなくドライなのでまあそこまで変質的でもない。簡潔でスピード感のあるデフォルメされた文体なので、バロウズあたりを思わせる乾いたユーモアもある。しかし何を考えてこんな小説を書くのだろうか。

 『窓辺のエックハート』は不思議な殺人事件を捜査するエックハート警部の話。これもまた殺害方法がグロテスクなのだが、通常のミステリのように謎解きされるわけではなく、不可解な謎が最後に無数の万華鏡のようなイメージに収束していく。『海を渡ったノックス』はスコットランド長老教会の創始者ジョン・ノックスがフランス人と海と渡ってある島の原住民と交渉をもつ話。『エドワードとジョージナ』は年配の兄妹が同一人物だったという話。『刈り跡』は北半球で始まりすべてを切断して行く亀裂が世界を走り回ってまた始点につながるという話。『町の長い一日』は「わたし」が訪れた町で厄病で死んだ女、家族から執拗に命を狙われる男(理由は不明)、全身につぎはぎがある女、人間爆弾に変えられたテロリスト、などと出会う話。

 通して読むと、表題作の『隠し部屋を査察して』もそうだが、一つの短篇の中にさらにいくつかの小さなエピソードが並列されているものが多い。全体で一つの物語ではなく、ショーケースのように文字通り綺想の陳列である。そうでないものも、たとえば傑作『刈り跡』のように、意味はまったく不明だがとにかく遊戯的に綺想を描き出してみましたというものが多い。基本的にナンセンス、でも文句なく面白い。しかもたったひとつのアイデアを几帳面に突き詰めるのではなく、一つの短篇の中に万華鏡のように色んなイメージが感覚的に、一見脈絡なくしかし絶妙に埋め込まれている。だから読者は混乱する。読み終わって「なんだったんだろう、これは」と呟くしかない。文体も見事で、簡潔さとスピード感と自在さとブッキッシュさを兼ね備えた高性能文体である。ボルヘスとバロウズをミックスしたような文体だ。

 この本を読むと完全に短篇向きの作家のように思えるが、長編も書いているらしい。一体どんな長編を書くんだろう。

 グロテスクなものが苦手な人にはちょっとオススメできないし、好みは分かれると思うが、すごい作家であることは間違いないと思う。


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