アブソリュート・エゴ・レビュー

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ゆれる

2007-05-27 21:43:17 | 映画
『ゆれる』 西川美和監督   ☆☆☆☆

 前から観たいと思っていた『ゆれる』をDVD購入して鑑賞。とても良かった。この監督さんは『ワンダフル・ライフ』とか『ディスタンス』の是枝監督の弟子というか、彼の下でスタッフをやっていた人らしい。是枝監督も大好きな映像作家だが、確かに感じが似ている。

 映像にしっとり感があり、静謐さと心地よい緊張感がある。何気ない、ストーリーとは直接関係ないシーンを挿入して雰囲気を作り上げるのがうまい。またそういうショットによって物語に多義性をもたらし、ミステリアスな空気を醸し出す。是枝監督と感触は似ているが、より物語的な、意味ありげなシークエンスを作る人だ。
 陰りを帯びた自然の風景が多いが、オダギリジョーの派手な服装とか、使い込んである感じの車とか、ガソリンスタンドとか、キッチュなものも適度に配されていて、それがまた気持ちいい。テレビドラマ的な平坦な映像とは明らかに違う、情緒的な質感があるので、淡々としたシークエンスでも観ていて飽きない。やっぱり映像の感触って、大事だなあ。

 映像だけでなく物語も非常に多義的である。多義性を追求した映画と言ってもいい。テーマは黒澤の『羅生門』のように真実というものの掴みつかみどころのなさ=真実の相対性、であり、更に人間性の不確かさ、記憶の不確かさにつながっていく。映画の中で兄と弟の心理は冷徹に掘り下げられていくが、結局謎解きといえるほど説明的なものはなく、またエンディングも両義的で、観客の想像に委ねるような終わり方をしている。結論を出したり、説明したりすることにとても慎重な監督さんのようだが、こういう姿勢は大好きだ。

 カメラマンの弟が母の一周忌に田舎に帰る。兄はマジメにガソリンスタンドで働いている。弟の女友達=元カノらしき娘が兄の下で働いている。モテ男の弟はすぐこの女と寝たりする。女、弟、兄の三人で渓谷に行き、兄と女がつり橋を渡っている時に女が落ちて死ぬ。弟はそれを下から見ている。さて、ここで実際に何が起きたのか、肝心な部分が観客には伏せられている。弟は兄をかばい、事故だという。兄は情緒不安定になり、自分が突き落としたと警察に自首するが、前言を翻してやはり事故だった、自分はむしろ助けようとした、と言う。検察は起訴する。そして裁判が始まる。

 要するに、兄が女を支えようとして(実は自分は高いところが恐いため)ほとんど抱きつくような具合になり、女はそれを振り払って「触んないでよ!」と言ってしまう。兄は茫然とし、感情の高ぶりを見せる。ここまでは観客も見ている。その後が問題だが、兄が言うには女を突き飛ばして(あるいは殴って)しまい、女は倒れる。我に帰り、助け起こそうとする。女は後じさり、勝手に落ちてしまう。

 検察はそこに殺意があったと見る。オダギリジョーは全面的に兄をバックアップするが、だんだん兄と弟の相克が表面化し始める。つまり兄は弟にコンプレックスを抱き、ジェラシーを抱いている。兄は女が好きだったが相手にされない。弟は久々に帰ってきてあっという間に女と寝てしまう。更に、女は弟と東京に行きたがっていた。そういうことを兄も全部知っていて、それらが複雑に屈折した形で噴出し始める。「お前ばっかりどうして」と喚いたり、「あの女がお前につきまとおうとしたから、お前のために殺してやった」と言い出したりする。そして弟が自分をバックアップしている動機についても、利己的なものだと断言する。弟は兄に怒りを爆発させ、態度を一変させ、それまでの裁判を覆すような「真実の」証言をする……。

 兄を演じる香川照之の演技もあって、兄の人間性は「いい人」的表面の下に得体の知れないものを感じさせるが、一見兄思いの主人公・オダギリジョーも微妙に疑問符付きの人間に描かれている(最初に元カノを見た時に知らないふりをする、すぐに女と寝る、兄と一緒にいる彼女に「妬けちゃったよ」などと妙にいやらしい突っ込みをする、など)。従って二人の真実の動機は何か、本当は何が起こって、誰がどこまで嘘をつきどこまで本当のことを言っているのか、観ている方にも分からなくなってくる。すべてが多義性の靄に包まれ、ミステリアスになり、人間性の底知れなさがひしひしと迫ってくる。素晴らしい。やりすぎてハリウッド風サイコ・サスペンスみたいにならず、あくまでリアリズムの範囲内にとどまっているところがまた良い。

 さて、裁判に決着が着き、7年後のエピローグとなる。ここで私は混乱した。最初、意味が分からなかった。何度か見返して判断したところでは、弟は子供時代の8ミリを見たことがきっかけで、自分自身の記憶が自分を騙していたことを発見する。そしてそれのまでの兄の相克に(自分の中では)決着が着く。映画はそれを踏まえて、それまでの人間不信劇を埋め合わせるかのようにハートウォーミングな方向に揺れて終わる。

 この結末はおそらく、監督にしてもかなりの冒険だったと思う。それまでの人間不信劇を踏まえた、更に恐い、つまりオダギリジョーのダークサイドを更に掘り下げて終わることも可能だったはずだ。そうしなかったのは監督の甘さか、それとも人間性への希望か。

 記憶の不確かさもテーマの一つであることは分かるが、しかし弟の記憶違いは不確かなどというものではなく、180度真逆になっている。さすがにあれはどうかと思う。それとも実は彼も問題のシーンを見ていなかったということだろうか。推測を真実だと信じ込んでしまったと。しかしそれも不自然だし、どっちにしろ説得力に欠ける。それまでのデリケートなタッチから、ご都合主義に移行した感じだ。

 ということで結末にちょっと問題ありだと思うが、映像や映画全体の雰囲気が美しく、物語が面白いことには変わりはない。いい映画だと思う。

 それにしても、オダギリジョーがすごくカッコいい。これまでオダギリジョーをカッコいいと思ったことはなかったが、この映画では本当にカッコ良かった。共感できる部分と人間的短所とを合わせ持った、リアリティのあるキャラクターも魅力を増した一因だと思う。役者としてのオーラを感じた。当面彼の代表作になるのではないだろうか。


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