アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

Blanc <ブラン>

2005-10-28 08:09:40 | 映画
『Blanc』 Krzysztof Kieslowski監督   ☆☆☆☆★

 『トリコロール三部作』の第二作、『Blanc』(英語タイトル『White』、邦題『白の愛』)。私が映画館で観た最初のキェシロフスキ作品がこれだった。ニューヨークのアートシアター系映画館で観たのを覚えている。その時はキェシロフスキの名前も知らず、美しい映像と音楽、洒落たストーリー、説明しつくさずに曖昧さを残して終わる結末に、へえ、なかなかいいじゃない、と思ったのを覚えている。

 『ブラン』はキェシロフスキ作品にしては神秘性、幻想性が薄い映画である。物語も、美しい妻に捨てられたさえない男ががんばって見返そうとするという牽引力のあるストーリー展開で、どこを目指しているのか分からないままに漂っていく典型的キェシロフスキ映画ではない。

 あらすじを書いておくと、不能になってしまった美容師カロルは美しいフランス人の妻ドミニクに捨てられ、無一文で放り出される。たまたま知り合った同国人のミコライに手伝ってもらい、スーツケースに隠れてポーランドの兄の家に戻る。傷心のカロルは一念発起してマネービジネスに身を投じ、やがて大金を得て会社を設立、金持ちになる。ドミニクを忘れられないカロルはミコライや兄の協力を得て自分の死亡をでっち上げ、遺産相続人としてドミニクをポーランドに呼び寄せようとする……。

 英語版のDVDにつけられたキャッチコピーは、"There's Nothing Sweeter Than Revenge."。「復讐の味は蜜の味」というところだろうか。この場合、もちろん復讐とはカロルのドミニクに対する復讐のことである。なかなかひきつけられるコピーだが、実際は復讐譚というほど強烈な怨念の物語ではなく、変種のラブストーリーと考えた方がいい。物語を通してカロルはずっとドミニクのことを愛し続ける。

 『トリコロール三部作』としての『ブラン』のテーマは「平等」である。これはかなり分かりやすい。ドミニクとカロルのあからさまに不平等な力関係から物語はスタートし、ドミニクと平等の立場に立とうとしてあがくカロルの努力を映画は追っていく。それは社会的な不平等のことでもあり(フランス語が喋れない法廷でのカロル、離婚訴訟ですべてをドミニクに奪われるカロル)、より重要なのはもちろん愛の関係における不平等である。

 ここでちょっとポイントは、決してドミニクはカロルをまったく愛していないわけじゃないということだ。それならばただのカロルの片思いになってしまうが、ドミニクも冷たいながらカロルへの愛を残しているらしい描写がいくつかある。法廷での態度もそうだし、美容院に忍び込んだカロルと愛を交わそうとするシーンもある。しかしカロルの不能という問題が彼女を苛立たせ、愛情の裏返しとしてサディスティックな感情を彼女にもたらしているようだ。つまり、この二人はやはり微妙な愛情関係にあるのだが、そこでは一方的にドミニクが強者でカロルが弱者なのである。

 さて、ではカロルの復讐=「平等」の希求は映画の中でどういう結末を迎えるのか。カロルは自分の死を偽装し、巨額の遺産をえさにドミニクをポーランドに呼び寄せ、殺人の容疑を着せ、自分は香港に逃亡しようと計画する。計画はうまくいく。しかし意外な事実が彼を戸惑わせる。葬儀にやってきたドミニクの涙である。あんなに自分を嫌っているドミニクがなぜ僕のために泣くのだろう? その夜カロルはドミニクの前に姿を現し、彼女を抱く。愛の行為は上首尾に終わり、ドミニクはエクスタシーを迎える。カロルは計画通り姿を消す、そしてドニミクは逮捕される。カロルの計画は成功裡に終わる。

 しかし、次のシーンで私達が見るのは、まだワルシャワにいるカロルである。彼は香港には行かなかったのだ。兄が言う、「お前が自首しないでくれてよかった、じゃないとお前、ミコライ、私、運転手、みんな逮捕されてしまうからな」
 そしてカロルは弁護士を雇い、ドニミクを救う努力をしているらしい(自分は死んだことになっているため、兄が弁護士に会っている)。彼は刑務所に出かけ、窓越しにドミニクを見る。ドミニクは手振りで、私をここから出してくれたらあなたと結婚する、とカロルに伝える。カロルはそれを見て涙を流す。映画はここで終わる。

 つまりドミニクが自分を愛していたことを知ったカロルは復讐をやめるのだが、ドミニクは計画通り逮捕されてしまう。そしてすべてをぶちまけて彼女を救おうにも、兄やミコライも逮捕されてしまうためにそれはできない。つまりカロルは自分自身の復讐計画によって板ばさみになってしまったのである。彼はひたすら身を隠し、弁護士を雇ってなんとか彼女を救おうと困難な道を行くしかない。甘いはずの復讐の結末はなんとも皮肉で、苦いものだった。

 まあ彼女が救われる希望が残されているため、策士策に溺れるというひたすら皮肉なだけの結末ではない。何よりも、よみがえったドミニクの愛がハッピーエンド的なカタルシスを映画にもたらす。しかしラストシーンでカロルが流す涙は、ただ幸福なだけの涙でもないと私は思う。彼女が救われるかどうかはまだ予断を許さないからだ。そしてすべては彼の復讐が引き起こした結果なのである。

 「平等」のテーマに戻って考えると、ラストでのカロルは愛の関係においてドミニクと対等になり、社会的には完全に強者となる。しかしその平等の中でやはり二人は隔てられている、今度は鉄格子によって。

 その後の展開は観客の想像にゆだねられているので、これをハッピーエンドと見ることもできるし、ブラックな結末と見ることもできる。しかしどっちにしろ、「平等」というものも一筋縄ではいかないとキェシロフスキは語っているかのようだ。ラストシーンのカロルの涙も、『ブルー』の最後のジュリーの涙と同様、なかなかに複雑なものがあると私は見た。

  さて、本作のテーマカラーは白であって、映画の中ではウェディングドレス、ワルシャワの雪と氷、白いカーテン、など美しい白が堪能できる。また物語で重要な役割を果たす空砲(=ブランク)、そしてドミニクのエクスタシーの表現などキェシロフスキの遊び心もいつもどおり発揮されている。ドミニクがエクスタシーに達する時、画面がすべて真っ白になるのである。こんなに洒落たエクスタシーの表現は見たことがない。

 ちなみに本作の重要なキャラクターであるミコライが私は大好きで、典型的カッコイイおやじとして私の脳にインプットされている。異常な記憶力の持ち主でブリッジを生業とし、家族を持ちながら自殺願望を持つ男。カロルとの別れのシーンで、「ミコライ…」とカロルがあらたまった別れの言葉を言おうとすると、いきなり「じゃあな」と言って、薄く笑いを浮かべつつクルリと背を向けて去っていってしまう。
 なんとカッコイイおやじだろうか。ほれぼれしてしまう。こんなおやじに私はなりたい。

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