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アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

つかこうへい正伝 1968-1982

2016-06-28 23:47:19 | 
『つかこうへい正伝 1968-1982』 長谷川康夫   ☆☆☆☆☆

 つかこうへいを身近に見ていた劇団員の長谷川康夫による、つかこうへいの評伝を読了。といっても大学入学から初期「つかこうへい事務所」解散までの、著者によればつかこうへいがもっともつかこうへいらしく輝いていた14年間に絞られている。私は大学生の頃につかこうへいを読み始めたが、すでに事務所解散後だったのでこの時代の、平田満や風間杜夫がいた頃のつか芝居を観たことがない。非常に残念だ。後年の演劇活動再開後の芝居はいくつか観たし十分感動もしたが、長谷川康夫によればあれは本物のつかこうへいではないらしい。

 本書の良さは、身近にいた人間ならではのリアリティに溢れていることである。つかこうへいという人物は独特の韜晦癖で自らを演出し、とことん世間を煙に巻いてきた作家なので、ここまでヴェールを剥ぎ取り素顔がさらされるのは初めてではないだろうか。昔『つかへい犯科帳』や『つかへい腹黒日記』などの捧腹絶倒のエッセー群を愛読したものだが、あれはほとんど嘘八百で、しかも自分ではなく劇団員に書かせていたというから驚きである。本書を読むとそうした韜晦や虚構が取り去られた生々しさを感じることができる。実に貴重だ。

 まず唸ったのは、つかこうへいの名前の由来。このペンネームが「いつか公平」から来ているというもっともらしい説は、私も文庫本のあとがきで読んだ記憶があるが、それを長谷川康夫は「まじめにとらない方がいい」とあっさり切って捨てる。あのつかさんがそんなことを考えてペンネームを作るとはとても思えない、むしろその説を聞いたつかさんは「これは使える」と内心ほくそえんで、わざと、そうとってもらって構わないなどと曖昧な返答をしたのではないか、と書く。この感覚は非常にリアルで納得感がある。こっちの方が断然つかこうへいらしい。「在日」というその厄介な出自も、コンプレックスとして無論気にしながらも一方ではある種「利用」したのでは、という洞察も鋭い。相手によってそれを話したり話さなかったりしたという不思議な交遊術も、つかこうへいという人間の複雑さを感じさせる。

 本書が最初に描くのは大学に入学した頃のつかこうへいだが、この時期の彼はさすがに、文学に傾倒する普通の大学生という印象だ。背伸びして文学に打ち込もうとしている10代の青年。あのつかこうへいにもこんな時期があったのか、と新鮮な感慨を覚える。別役実からの影響などを分析してあるのも興味深い。それがだんだんとあのつかこうへいになっていくのだが、それにしても、大学に入ってから演劇に目覚めた青年が20代であれだけの演劇をものにできるものなのか。これが最大の驚きである。つかこうへいは大学入学当時は詩を書いていて、芝居に興味を持ったのはその後だというのだ。

 それから、大学時代のエピソードで印象的なのはつかこうへいが恋していたと思しき女性の話。彼女の名前がさまざまな作品でヒロインの名前として使われていることや、つかが撮ったその女性のスナップショットまで掲載してある。生々しい。身近な人間にしか語れないエピソードが紹介されていて、この部分を読んでいるとまるで彼の内面をのぞき込むような感覚を覚える。つかこうへいといえども、やはり普通に恋する青年だったのだ。

 その後は劇団員たちと芝居を作っていく話になり、あのつかこうへいらしいエピソードがメインになっていく。長谷川自身のつかとの出会いも強烈で、いきなり長谷川のパチンコの景品が入った袋を取り、何も言わずにそのまま持ち去ってしまったらしい。長谷川は唖然となったらしいが、やはり常人ではない。とんでもない男である。芝居作りにおいても、定石をまるで無視したそのやり方が常人離れしている。普通はまず基本を習い覚えようとするものだと思うが、天才は違うらしい。普通のやり方など気にせず、我流でどんどん作ってしまう。

 つかこうへいの「我流」とは有名な「口立て」で、彼は最初に脚本を書いて役者に渡すのではなく稽古場で口頭でセリフを与えて役者に覚えさせた。その際セリフのニュアンスなどを細かく指示し、自分でやってみせた。即興でどんどんセリフを作り、彼がつまって考え込むと役者がアイデアを出したりもする。こういう役者とのキャッチボールの中から、つか演劇は生まれてきたのである。だから他の劇団の役者が参加したりすると、みんなこの演出に戸惑ったという。

 その他、芝居はF1レースだ、メーター振り切った役者の芝居を客は観たいんだという独特の演技論、セリフを邪魔するといって役者の身振り手振りさえ嫌ったという特異な演出の感性、従来にない音楽の使い方など、「へえー」と唸ってしまう記述が満載だ。ことごとく定石を無視し、それでいて「こんな面白い芝居は初めてみた」と演劇人を驚嘆させる舞台が出来上がる。天才とはこういうものか、と目から鱗が落ちる思いだ。まずやり方を勉強して、なんて考える人間に本当の創造は無理なのかも知れない。
 
 『郵便屋さんちょっと』『戦争に行けなかったお父さんのために』『ロマンス』『ストリッパー物語』『蒲田行進曲』と数々の伝説的舞台の裏側が、平田満、三浦洋一、風間杜夫、根岸季衣、加藤健一、かとうかずこ、石丸謙一など具体的な役者たちの名前とともに詳しく語られていく部分は、つかこうへいファンにとってはたまらない面白さだ。当時の写真も豊富に掲載されているのが嬉しい。それに、早稲田の素人演劇部からスタートした劇団がやがてプロになり、だんだんと大勢のファンを獲得し、パルコ劇場、紀国屋ホールと活躍の場を広げ、日本の演劇界に旋風を巻き起こしていく模様はドラマティックな青春映画を観るようで、胸が熱くなる。

 ついに『蒲田行進曲』の映画化が決まり、松坂慶子主演、監督は深作欣二とつかこうへいが事務所の面々に告げた時、創立時からのメンバー高野嗣郎は感極まって絶句したという。そして解散前の最終公演となった紀伊国屋ホール『蒲田行進曲』の楽日の夜、風間杜夫は自宅の布団の中で、アリスの「冬の稲妻」を聞きながら一晩中泣いたそうだ(「冬の稲妻」は芝居『蒲田行進曲』の中でキー曲として使われた)。風間だけでなく、役者たちは皆「冬の稲妻」を聞くと今も胸が苦しくなるというが、命を燃焼させて何かを成就した記憶がそうさせるのだ。本書は読者にそういう感慨をも味わわせてくれる。

 事務所解散後つかこうへいは小説の創作に活動の軸足をシフトさせるが、小説まで役者を使って書かせていたという話にはびっくりした。本書の著者である長谷川やその他数名にまず叩き台を書かせ、それにびっしり朱筆を入れてまた直させ、そうやって小説として完成させていたらしい。まあアシスタンントを使って作品を描く漫画家みたいなものかも知れないが、小説家でこういうやり方をする人は珍しい。つくづく常識にとらわれない人なんだなあ。
 
 そんなこんなで、かつてつかこうへいにハマっていたものの最近は遠ざかっていた私としては、大変興味深い読書体験となった。こうやってこの人物の軌跡を追ってみると、代表作の大部分が20代の作品ということにあらためて衝撃を受ける。やはりすごい人だったのだ。そしてこのエキセントリックな人柄もそうだが、自分がやりたいことにわき目もふらず保険もかけず、まっすぐに突き進んでいく潔さに打たれる。それは彼を信じてついていった役者たちも同じだ。

 自分は本当にやるべきことをやっているか、悔いのない人生を送っているか、と叱咤される思いである。力いっぱい生きた人生はやはり輝いている。


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