アブソリュート・エゴ・レビュー

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聖なる酔っ払いの伝説

2016-04-23 08:03:03 | 映画
『聖なる酔っ払いの伝説』 エルマンノ・オルミ監督   ☆☆☆☆☆

 『木靴の樹』のエルマンノ・オルミ監督が後年に撮ったフィルム『聖なる酔っ払いの伝説』の日本版ブルーレイ/DVDを購入して鑑賞。ヨーゼフ・ロートの短い原作も既読。小品だが、結構好きである。ちなみにこのブルーレイはイタリアのものらしくイタリア語吹き替えだが、おまけとしてオリジナルの仏語・英語ミックスバージョンのDVDが付いていて、私はおまけDVDの方で鑑賞した。役者本人の声で観たかったからだが、あとでブルーレイと見比べてみるとDVDも決して悪くない。ちょっと画面の粒子が荒いがこの映画の雰囲気は損なわれないし、むしろひなびた雰囲気が出て似合っている。またDVDでは光と影のコントラストがかなり強い映像だが、ブルーレイではコントラストが弱くなっていて、独特の沁み入るような情感が薄れているとすら感じる。

 原作は短い小説だけれども、映画はたっぷり120分ある。が、ストーリーに大したアクションがあるわけではない。浮浪者が借りた金を返そうとするがなかなか返せない、というそれだけの映画だ。この映画はストーリーではなく、たたずまいを味わう映画である。場面場面のつながりの中に、たっぷりした長い間がとられている。人々の表情やたたずむ風情に、じわりと語りかけてくるものがある。そしてまた、フランスのひなびた街並みを映し出す絵が実に美しい。

 淡々としたストーリーや絵画的な画面の美しさなど『木靴の樹』と似たところも多いが、農民の生活を描くドキュメンタリー風だった『木靴の樹』に比べ、この映画は一種の寓話であり、非現実的なファンタジーである。セーヌ川のほとりにいる浮浪者アンドレアス(ルドガー・ハウアー)に一人の老紳士が声をかけ、金を貸そうという。返済はいつでもいいが、返せるようになったら聖テレーズ教会の修道女に渡して欲しい、と告げる。アンドレアスはその金で食事をとり、酒を飲み、ひげを剃り、財布を買う。引っ越しの手伝いをして賃金をもらい、次の日曜日に教会に金を返しにいく。すると教会の前で偶然昔の恋人と再会し、彼女と一日を一緒に過ごす。次の日曜日にまた教会に金を返しにいくと、今度は旧友と再会する。旧友は落ちぶれていて借金があり、返せないと破滅だという。アンドレアスは自分の金を彼に与える。次の日曜日、アンドレアスは今度こそと思って聖テレーズ教会に行くが…。

 冒頭のアンドレアスと老紳士の会話から、この物語の寓話性は明確だ。こうして映画が早々にリアリズムからの遊離を観客に宣言するので、観客はその後の現実離れした展開を戸惑うことなく見守ることができる。映画は一貫して幻想的な軽さを帯び、ありえない偶然と暗合を連続させていく。

 フラッシュバックが特徴的な使われ方をしている。アンドレアスの過去の記憶が頻繁に、唐突にインサートされる。映像はどれも断片的であり、無音であるため、記憶と現在が画面上で入り混じっていくような印象を与える。また物語の数日間アンドレアスの前にはさまざまな人物が登場するが、かつての恋人、かつての友人、そして父母と思われる老夫婦などはまるで彼の記憶から抜け出してきたようで、ますます現実と回想の境界線がぼやけていく。懐中時計や、聖テレーザが少女の姿で現れた時に娘だと思って呼びかけてしまうエピソードなども、本作の瞑想性とノスタルジーを深める。

 教会、聖テレーザという宗教的なモチーフが物語に敬虔なトーンを与える一方で、アンドレアスが旧友の計らいで豪華なホテルに滞在するエピソード、美しいモデルの女と過ごす夢のような二日間とその顛末などはややユーモラスで、またこの物語に華やかさを与えている。アンドレアスが再び一文無しになってしまった時に、最初に金をくれた老紳士がまたしても現れて金をくれる(が、アンドレアスのことをまったく覚えていない)場面はとてもおかしい。この映画には一貫してユーモラスなトーンがあり、決してむやみに深刻ぶった映画ではない。

 さて、アンドレアスは映画全篇を通して聖女に金を返そうと努力を続けるが、要所要所でどうしても酒を飲むことを止められず、結局は金を返せないまま時間切れになってしまう。すべての酔っ払いに幸福な死を、という最後のエピグラムも人を喰ったような、宗教説話のような、面白い余韻を残す。酔っ払いとはすべての人間の謂いであろうか。複雑な味わいをもった寓話的、ファンタジックな映画だが、やはり最初に書いた通り、場面場面のたたずまいの美しさこそがこの映画の命だと思う。だからこの映画を観る時は、ストーリーを追うのではなく画面全体を絵画のように味わう姿勢が大切だろう。ふわふわと記憶と幻想の間を漂うようなチャーミングな物語が、それにそっと寄り添っている。
 


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