アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

木靴の樹

2015-10-21 20:15:53 | 映画
『木靴の樹』 エルマンノ・オルミ監督   ☆☆☆☆☆

 所有する日本版ブルーレイで再見。しばらく前、最初に観た時はドキュメンタリー的な撮り方と日常的なエピソードが淡々と積み重なっていく構成に「なるほど、そういう映画か」と納得した。そして、これは多分二度目に観た時にこそ真価が分かる映画だと思った。そして今回再見し、それが正しかったことを知った。これはビクトル・エリセの『ミツバチのささやき』に匹敵する、あるいは小津の『麦秋』に匹敵する素晴らしい映画である。今回の鑑賞で私はそれを十全に体感し、感動することができた。

 二回見ないと分からないなんてお前は馬鹿なのかと言われそうなので急いで付け加えると、私は最近映画には二種類あって、観た瞬間にその美しさが観客を直撃し真価を知らしめる映画と、映画のストーリーや構成を知ってからもう一度見返した時にこそ初めてその美しさが十全に花開き、観客の心に沁み込んでくる映画がある、という風に考えている。世の中には「ネタバレ」という考え方があり、これはストーリー展開や結末を知らないで見る時こそ最高に映画を楽しめるという考え方だと思うが、私は必ずしもそうではないと思っており、もちろんミステリなどそういう類の映画もあるけれども、逆にストーリー展開を知ってから二回目に観る時の方が良さが分かると思うことがままある。つまり、この先何が起きるのだろう、という興味のみが突出している初回よりも、それがなくなって他の部分に目を向けられるようになった二回目の方が良さが味わえる類の映画だ。

 たとえばこの映画は3時間とかなり長い。そんな長い映画で日常的なエピソードばかり淡々と続くと、つい、この先何か大きな事件が起きるのだろうか、それは何なのだろうかというようなことが気になり、その結果個々の日常的エピソードの良さがよく見えなくなる、ということがあると思う。他の人になくても、私にはある。前回がそうだった。そして今回はすでにストーリーの全体像が分かっているので、先の展開を気にすることなく、個々のエピソードを賞味することができた。

 ということからすでにお察しの通り、この映画では(結末を除き)とりたててドラマティックなことは起きない。イタリアの農民たちの、自然とともにある生活を淡々と描写していくのみである。アマゾンなどで紹介文を読むと大体「ある日少年の木靴が割れる。遠い学校に通う少年のために父親はポプラの樹を切り倒して新しい木靴を作ろうとするが、その樹は地主のものだった」みたいなことが書いてあるので、木靴にかかわるトラブルがストーリーの中心かと勘違いするかも知れないが、それは物語のごく一部で、映画の大部分は農民たちの生活の描写で成り立っている。ちなみに、この映画に出演しているのは俳優ではなく、本物の農民たちということだ。

 撮影もすべて自然光を使って行われており、そのためこの映画にはドキュメンタリー的な感触があるが、それにしてもこの映像は美しさはどうだろう。人工的に作りだした美しさではなく、神の創造物をそのまま切り取ってきたような、印象派以前の絵画を思わせる美しさに満ちている。あちこちの場面が本当にミレーの絵そっくりに見えるし、実際に落穂拾いの場面も出てくる。控えめに入る音楽では主にバッハが使われているが、私たちが考える以上に神とともにある彼らの生活はまさに生きることそのものが祈りのようであり、そんな映像にバッハの荘厳な響きがとてもよく似合っている。

 農民の生活は厳しい。彼らが耕す土地はすべて地主のもので、農具や牛もほとんどを地主から借りている。収穫の2/3は地主が取り、残りの1/3で、彼らは家族を養う。しかし農民たちは憎しみや怒りとは無縁である。敬虔で、他者への労わりを忘れない。物乞いがやってくると、自分たちの食べ物を必ず分け与える。そして子供たちに言う。「笑ってはいけません。貧しい人ほど天国に近いのですよ」

 この映画のあらすじを要約するのは無意味だが、このブログは私の備忘録も兼ねているので、どんなエピソードが含まれているか大体のところを書きとめておこうと思う。先に書いた通りストーリーを知ることが面白さを損なう映画ではないと思うが、やはりネタバレが気になる人は、この下は読まないで下さい。












 神父の勧めでミネク(小学生ぐらい?)を学校にやることになる。皆でとうもろこしの皮むきをする。地主のところで計量をし、蓄音機から流れる音楽に耳を傾ける。少女2人が台車で洗濯物集めをする。機織り工場で働く娘に求婚者が現れる。たらいのお風呂で子供を洗う(ほんとのお風呂がいい、とさかんに叫ぶ子供)。ミネク学校へ行く。近所で親子喧嘩の騒ぎ。長屋のみんなが集まって憩う、夜の集い。地主の屋敷のピアノ演奏会。雪が降る。じいちゃん早摘みトマトの実験をする。みんなで豚を殺す。子供を預けてはどうかと神父が母親に勧める。「ぼくも働くよ、皆一緒にいよう」と家族で話す。じいちゃんと女の子トマトの種まきをする。牛に異変が起きる。もうだめかも知れない、と獣医。母親、教会で祈る。ミネクの学校の話。若い恋人たち。親子喧嘩再び。牛の病気が治る。母親、神への感謝の祈りを捧げる。行商人フリキがやってくる。神父がマリア像の奇跡について説教する。賑やかなお祭りの日。男、金貨を拾う。ミネクの母親、出産する。ミネクの木靴が割れる。父親、樹を切り倒してミネクの靴を作る。じいちゃんと女の子、トマトの苗を植える。夜の集会で怪談を話す。春の到来。金貨をなくした男、馬と喧嘩して寝込む。祈祷師がやってきて診断する。皆で畑に種まきをする。結婚式、そしてミラノへの旅。ミラノで見るデモ隊の騒動、修道院長の叔母に会う、そして赤ん坊ジョバンニを引き取って村へ帰る。地主が切られた樹を発見する。じいちゃんと女の子、早摘みトマトを収穫する。そして、観客全員が必ずや神に祈りを捧げたくなるであろう結末に至る。

 時折流れるバッハの静謐な調べ、そしてのどかで美しい光景の数々。しかし先に書いた通り、農民たちの暮らしは楽ではない。数少ない自らの財産である牛が病気になる、それだけで一家を破滅させるには充分なのだ。母親は教会でひざまずき、祈る。「神様、どうか私たち一家をお救い下さい」そうした心配と不安の連続、それが小作農民の生活である。

 そしてラストでミネク一家に降りかかる災厄には、誰もが言葉を失うだろう。私はラストシーンを見ながら自分の目が信じられなかった。そしてエンドクレジットが出たあと、しばらく茫然となってしまった。予想もしていない結末だったのである。あまりにも過酷だ、と思わない人はいないだろう。しかし、それが彼らの生活なのである。自然とともに生活するスローライフ賛美、などという甘っちょろい精神はここにはない。

 自然とともに、そして神とともにある農民の暮らしの美しさと、歓びと、そして厳しさとをあますところなく描き出した感動的なフィルム。パルムドール受賞も当然と思われる大傑作である。



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