アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

Room

2016-04-16 22:35:36 | 映画
『Room』 Lenny Abrahamson監督   ☆☆☆☆☆

 予備知識まったくなしに、iTunesのレンタルで鑑賞。ユーザーレビューの点数が良かったので迷いながら観たのだが、観て良かった、と心から思えた映画である。これは果たして日本で公開されたのだろうか。観ていない人は全員、ただちに観た方がいい。

 誘拐監禁された女性と子供の物語である。というといかにもタイムリーで、社会派的で、サイコサスペンス的な映画を想像されることと思うが、全部ハズレである。これは厳密な意味での人間ドラマであり、母と子の絆の物語である。そして更に重要なのは、これは一人の少年が広大な未知の世界に対峙し、勇気をもって立ち向かっていく物語でもあるということだ。その一点において、この映画はあまたあるハリウッド製家族愛物語とは一線を画している。そして、母と子の愛情を日常性の中に描き出す普遍的な物語と、異常な状況下における少年の冒険譚を同時に成立させた監督の手腕は驚くべきものだ。

 構成もとてもユニークなのであまり余計な説明はしたくないが、最初は奇怪な状況で暮らす母と子の日常が描かれる。夜になると訪ねてきて、生活必需品を置いていく男。非常にミステリアスである。もしかしたらこの母親は狂人なのでは、とか、ファンタジー的なあるいはSF的な設定なのだろうか、と思いながら観ていると、やがて真実が分かる。ははあ、そうするとこの状況からの逃走がクライマックスになるのだな、と予想するとこれも裏切られる。意外なことに、脱走は映画の中盤ほどで起きる。それにしてもこの場面のサスペンスはすさまじく、おそらくどんなサスペンス映画よりも緊迫感がある。そして更に圧倒的なのは、このシーンで初めて描写される外の世界の美しさ。それは洪水のように、少年の目の中になだれ込んでくる。

 母子は小さな「部屋」から救い出され、広大な世界に放たれる。ここでポイントは、少年はこれまで「部屋」の中の世界しか知らないということ。彼は母親が誘拐監禁された後「部屋」の中で生まれた子供なのだ。彼にとって、小さな「部屋」が全世界だった。彼にとってはテレビの中の人物はテレビ人間であり、森も、海も、大空も、すべてがファンタジーの世界なのだ。こうしてようやく観客は、これまでの物語が実がプロローグに過ぎなかったことに気づく。映画の本題は、むしろ二人が救出された後にある。

 これはクライム・サスペンス映画ではないので、救出されほっとした母子に再び犯人の魔の手が迫る、などということはない。後半は母と子がこの世界の中に再び居場所を見つけ、生きていこうとする物語となる。かなり静謐なトーンで話は進んでいくが、どういうわけか、どんなさりげないシーンにも独特の緊張感があって目が離せない。少年にレゴブロックを与える、髪を切る、なんて場面を、食い入るように観てしまう。そしてそんなさりげないシーンの連続の中で、要所要所に巧みに張られた伏線が観客の心を揺さぶることハンパない。これには参った。私など、少年が飼い犬と対面しただけで涙腺が決壊しそうになった。

 また、基本的にリリカルな映画だが、そんな中に辛辣なアイロニーの刃も隠し持っている。決してセンチメンタルに流される映画ではない。特にメディアの取材場面でそれが感じられるが、表面的には少年の母親を優しく気遣いながら、その実残酷な、しかも反論できないような質問をわざとぶつけてくるのである。ブラックというほど剥き出しではなくもっとさりげない形でだが、メディアが持つ残酷性と非人間的なメカニズムへの批判が込められている。

 そしてラストシーン。問題の「部屋」は、二人が監禁された忌まわしい犯罪現場であると同時に、少年にとっては生まれ育ったなつかしい「生家」でもあるというアンンビバレンツが(それまでも何度が仄めかされていたが)さりげなく、しかしそれゆえに真に感動的な形で描写される。自分がなじんだものひとつひとつに、少年は別れを告げる。かつて彼が「部屋」の中の牧歌的な日々(それは残酷な状況であると同時に、少年にとっては幸福な日々でもあった)の中で、毎朝愛情をこめてそうしていたように。そしてこの場面を観た私たちはイヤでも気づくことになる。少年が世界と向き合っていくこの不安、そして生まれ育った場所との訣別は、誰もが例外なく通り過ぎなくてはならない道だということに。

 オリジナルで、抒情的で、大変に美しい映画である。おそらくこれまでに私が観たどんな映画にも似ていない。何というか、とても驚かされた。



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