アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

悪魔の涎・追い求める男

2012-08-30 22:44:22 | 
『悪魔の涎・追い求める男』 コルタサル   ☆☆☆☆☆

 岩波文庫から出ているコルタサルの短編集を読了。これは色んな短編集から代表作をチョイスした独自編集の短編集である。実は私、これを読んでコルタサルのイメージが大きく変わった。これまでの私のコルタサルのイメージは初期の短編集『遊戯の終わり』とアンソロジー『遠い女』によって形成されたところが大きく、一流の作家だとは思いながらものめり込むほどではなかった。前にも書いたが、どよーんとした不気味さと「ミイラ取りがミイラになる」パターンのプロットがコルタサルのトレードマークだと思っていたのである。ところがこの短編集を読んでみると、そういうものもあるにしてもそれだけじゃなく、プロットもバラエティに富んでいるし、何より研ぎ澄まされた文体の力が尋常ではない。畳み掛けるように投げかけられる独特の感性を持ったフレーズ、特異な時間処理、センテンスごとのイメージの明滅。どうやら、私がこれまで持っていた印象は初期のコルタサルのものだったようだ。やはり作家は進化する。一部だけ読んで分かった気になってはいけないんだなあ。

 今回印象に残った短編は、まず「悪魔の涎」。これは一枚の写真がもう一つの世界を映し出すという呪術的なシュルレアリスムというか、どことなくマンディアルグを思わせる鮮やかなビジュアル・イメージが鮮烈な短編。それから「正午の島」。これは明澄な美しさに貫かれた、しかもアポカリティックな悲劇性を持った見事な作品で、光に満ちた島と海のイメージとその呪縛、そして墜落する飛行機の映像が複雑に乱反射して読者を幻惑する。これこそ私の大好きなタイプの短編である。そして「すべての火は火」。これはユニークな構成の短編で、古代の競技場における決闘と現代の情事という、時代が異なる二つの情景がクロスしつつ進み、最後にはいずれも火による浄化を受ける。

 いずれも「ミイラ取りがミイラになる」なんて定型の怪異譚とはかけ離れた自在さ、闊達さ、そして放縦な想像力を示す作品ばかりだ。おまけに文体のスイング感、時間の刻み方も非常に独特だ。コルタサルがこんなにいい作家だったとは、まったくなんてこったい。さっそく他の(後期の)短編集を入手しなければ。



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2 コメント

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コルタサルについて (reclam)
2012-09-06 12:20:46
この短編集は私が前にupしたベストの中では外れてしまいましたが、「南部高速道路」はとても印象に残っています。この短編を読んだ後には、何とも言えないやるせなさが残りました(ego_danceさんはこの短編をどう感じたでしょうか?)。
「悪魔の涎」や「すべての火は火」などの価値は、ego_danceさんのように小説を分析的に見れる人ではないと理解しづらいような気がします。
このレビューを見て読み返してみようかなと思いました(私もコルタサルは余り好きではなかったので)。

後期の短編集で邦訳されているのは、「通りすがりの男」(現代企画室)や「愛しのグレンダ」(岩波書店)あたりですかね。ちなみに、代表作で絶版の「石蹴り遊び」は縁があって所有済みですが、読みづらくて読了できませんでした。これらのレビューを楽しみに待っています。
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コルタサル (ego_dance)
2012-09-10 02:35:59
「南部高速道路」は池澤夏樹の「短編コレクション I』で初めて読みましたが、コルタサルらしいアイデアの、洒落た短編だなあと思いました。奇想だけで終わらず、最後にちょっと哀愁が漂って寂しい感じになるところが良いですね。

とりあえず「愛しのグレンダ」を入手して読んでいますが、ハマっています。私は後期の方が好きですね。ある程度印象が固まったらレビューを書きたいと思います。
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