アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

リスボンに誘われて

2015-06-17 23:12:12 | 映画
『リスボンに誘われて』 ビレ・アウグスト監督   ☆☆☆☆☆

 日本版DVDを購入して鑑賞。大好きな俳優ジェレミー・アイアンズが主演、大好きなリスボンが舞台ということで観た映画だったが、期待にたがわぬ芳醇な映画だった。完璧に好みである。

 まずは、陽光溢れるリスボンの美しさ。リスボンといえばアントニオ・タブッキの小説でおなじみの地であり、そのせいで私の思い入れが強いのは認めるがそれだけじゃない。私自身、もう何十年も前にたった一日だけ訪れたリスボンの美しさはこの目に焼き付いている。その美しさが、まばゆい太陽の光とともに画面から溢れ出してくるようだ。

 それから、年輪をへた役者たちが見せる芝居の味わい深さ。ジェレミー・アイアンズはもちろん、シャーロット・ランブリングやその他もろもろの年配の役者たちが実にいい。考えてみればリスボンという町も、その中世的なひなびた雰囲気を人間にたとえれば年配の老人のようなものだろう。だからこの役者たちがリスボンを背景にして映えるのは当然のことで、またそれが深みと滋味と、熟成したワインのようなコクをこの映画にもたらしている。

 とはいえ、これはただ年寄りが出てくるだけの映画ではない。現在と過去が交錯する物語において、「現在」パートではジェレミー・アイアンズその他の年配俳優たちが静謐で抑えた芝居を繰り広げ、「過去」パートでは若い俳優たちが情熱のほとばしりを見せる。この対照の妙も巧い。

 また、これは書物をめぐる物語でもある。一冊の書物に導かれ、ジェレミー・アイアンズ演じる老学者にして教師はリスボンの町を彷徨い歩く。映画のあちこちに、その書物からの哲学的な引用がちりばめられる。引用とはたとえば、もし人があるべき人生の一部しか生きないとしたら残りは一体どこに行くのか、とか、自分の人生を充分に生きるならそれは自分自身を発見する旅となる、たとえそれがどんな短いものであったとしても、などのようなものだ。それらは主に、人が生きるということ、そして自分自身の人生を見出すということに関わる文章である。

 無論、それらはこの映画のテーマの注釈となると同時に、味わいを深くするためのスパイスにもなっている。ジェレミー・アイアンズ演ずる教師は、自分本来の人生を生きていないと感じている。だからこそこの書物に惹かれ、リスボンを彷徨い、色んな人々と出会い、そして自分と自分の人生を見つめなおすことになるのだ。すなわち、これは書物の物語であると同時に探索の物語であり、遍歴の物語である。また悔恨の物語であり、過去の断片の物語でもある。

 こういう風に書くと、この物語がなんだかタブッキの小説とよく似た構成と雰囲気なんじゃないかと思われる方もおられるだろう。私もそう感じた。実際、この映画の「現在」パートはタブッキが小説に書いていてもおかしくない筋立てである。おまけにこの映画の原作を私は未読なのだけれども、その小説は、明らかにフェルナンド・ペソアへの敬意をもって書かれているという。

 一方で、「過去」パートはタブッキ的世界とは異質である。ファシズムへのレジスタンスという題材はいささか共通点がなくもないが、そこで展開するドラマは古典的な三角関係の恋愛劇で、友情や嫉妬、そして裏切りが生々しく渦巻く。ファシストの残忍な弾圧も物語に陰影を添える。「現在」の物語が陽光に溢れた昼のイメージだとしたら、「過去」の物語は夜のイメージに彩られている。このように二つの物語が重層的にハーモニーを奏でることで、映画の奥行きが増す仕掛けになっている。

 久しぶりに見たジェレミー・アンアンズも、歳は取ったけれどもやはり変わらず魅力的だった。私はこういう爺さんになりたい。しみじみした、幾分苦さもまじった物語の果てに待ち受ける、予想外に爽やかなラストも好印象だ。そして、壮麗な蜃気楼の如きリスボン。久しぶりにヨーロッパの香りに酔わせられた。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿