アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

人形つくり

2015-11-29 21:47:10 | 創作
          人形つくり


 当時、京の都のはずれに城山又右衛門という裕福な商人が屋敷を構えていた。又右衛門には係累がなく、若くして妻をなくして以来ずっと独り身を通していたため、孤独には慣れ親しんでいたが、とはいえ気難しい性分でもなく、人前では物柔らかな物腰で気をそらさない男だった。私生活では風流を愛し、余暇は趣味に打ち込んで過した。趣味とは人形の蒐集で、古今東西の人形、それも一級品ばかりを集めて屋敷の中の奥まった一室に陳列し、特に親しい知人にだけ観覧を許していた。彼の蒐集品の素晴らしさは、京の趣味人たちの間でも有名だった。

 そろそろ秋の風が吹き始めた季節に、一人の男が又右衛門の屋敷を訪れた。すりきれた木綿の着物に垢じみた袴という身なりで、生活の困窮ぶりが一目で見て取れた。大きな木箱をかかえたまま、ご主人に会いたいと女中に告げた。おそらく評判を聞きつけて人形を売りに来たのだろう、そう見当をつけて又右衛門は男を座敷に通した。品物を見せていただきましょう、と促すと、男はひとつお辞儀をして木箱の蓋を取った。箱の中には白無垢を着た花嫁姿の人形が収まっていた。出来は悪くない、と一目見て又右衛門は思った。顔立ちには気品があり、立ち姿はすんなりと端正である。腕のある職人が作ったものであることは明らかだったが、形が整っているばかりで、どこか物足りなさを感じさせた。見るものを陶酔の境地に誘うような妖しさに欠けるのである。しばらく無言で吟味した後、又右衛門は男に言った。「せっかくですが、お持ち帰り下さい」

 人形売りは感情を表さない細く吊り上がった目で商人を見やり、何がお気に召さないのかご教示願いたい、と応じた。その態度は淡々とした中にもどこか不遜で、この人形の価値が分からないとは魯鈍な男とでもいいたげだった。又右衛門は少々むっとして、この人形には魂がこもっておりません、と言った。「魂がこもっていないと言われる」男は無表情のまま反駁した。「さて、いかにも曖昧な。人形はしょせん作り物、人のような魂は宿りようがない。しかしもし人形に魂というものがあるとするならば、それは人とは違って、人形でしかありえない宿り方をするものでありましょう。それを分かった上で仰っているのか?」

 又右衛門も負けずに言い返した。「曖昧と言われるが、人形の美しさなどというものは算盤をはじくのとは訳が違う、曖昧さを排除できない、いや、むしろ曖昧さあってこその美しさといえましょう。貴殿こそそのことをお分かりなのか。人形の魂については私なりの考えがあるが、そもそも私は気に入ったものを集めるだけの好事家、あなたとここで人形談義をする義理もありません」すると人形売りは更に言い募った。「私はただお断りの理由を知りたいだけ。あなたも名の知れた収集家ならば、ご自分の見識を披露するのに躊躇されるとは合点がいきませんな。逆にもしこれといったお考えもなしに魂などと口にされたのなら、それは横着というもの。ただ正直に、この人形は好みに合わない、と仰れば良いのです」

 埒もない押し問答をしばらく繰り返した後、又右衛門は一言一言にいちいち絡みついて来る人形売りに辟易してしまった。しまいには怒声を発して一喝し、見送りもせずに自室に戻った。やがて男が箱を持って帰ったことを女中から聞き、食うに困った貧乏侍が形見分けか何かで手に入れた人形を売りつけにきたのだろう、侍は貧乏しても気位だけは高いから始末に悪い、などと女中にこぼした。そして一晩寝て、このことは忘れてしまった。

 一週間後、また別の男が又右衛門の屋敷を訪れた。ぼさぼさの蓬髪に顎鬚を生やした作務衣姿の大男で、先日の人形売りよりもさらに大きな箱をかついでいた。先日の件でいささか懲りていたけれども、掘り出し物の人形が見られるかも知れないという誘惑には勝てず、また女中が今度の男はとても腰が低いというので、会ってみることにした。「実は最初に、お詫びをしなければなりません」と座敷に通された大男は言った。「先日こちらに参った人形売り、実は、あれは私の家の者なのです」またあの話かと、嫌な気がした。ほう、そうでしたかと億劫そうに相槌を打ってみせると、大男は恐縮して頭を下げた。「さぞや不愉快な思いをなさったことでしょう、お詫び申し上げます。あれも悪い男ではないのですが、いかんせん世間知らずで」

 大男は自分が人形つくりであること、彼の者が自分の作った人形を勝手に持ち出したこと、そもそもあの人形は自分としてははなはだ不本意な出来であること、などをあらためて説明した。「すると、あの人物はあなたのご親戚ですか?」と又右衛門。「そのことですが」人形つくりは持参した箱の紐を解き、蓋を外した。「これをご覧いただきたい」又右衛門が箱の中を覗きこむと、そこには等身大の人形が収められていたが、それは先日屋敷を訪ねてきた男にそっくりだった。切れ長の目尻、口元、頬、どこをとっても生き写しである。人形つくりが言った。「実は、先日こちらにお邪魔したのはこの人形だったのです」

 何の冗談かと思いながら膝を乗り出し、つくづくと間近に人形を観察した後で、ようやく又右衛門はその言葉が掛け値ない真実であることを知った。先日自分が会ったのはこの人形だと直感が告げており、彼の直感は、こと人形に関する限り彼を裏切ったことはないのだった。度肝を抜かれ、又右衛門は言葉もなく箱の中の人形を見つめていた。ようやく口がきけるようになると、嘆息して言った。「それにしても人形が勝手に歩き回り、人を訪ねて言葉を交わすとは」

「前代未聞のことではないようですな」と人形つくりが言った。「中国の古書にはいくつか記録が残っていますし、西洋にも似たような例があります。しかし、今の世の中、実際にそれを見た者はまずいないでしょう」「これもあなたの腕の証ということだ」庄八郎は感服して言った。「参りました。この人形、ぜひとも買い取らせて下さい」大男は莞爾と笑い、頭を下げた。「あなたならそう言ってくださると思っていました」

 又右衛門は金貨で支払いをすませ、女中に酒肴の準備をさせた。そして遠慮する人形つくりを強引に引き止めた。人形つくりもやがて腰を据えた。外はそろそろ夕闇が迫ろうという時刻、女中が行灯に火を入れると座敷の眺めは華やいで、たちまち宴席らしくなった。「さあ呑んで下さい。あなたほどの名人にはめったにお目にかかれるものではない。長年人形蒐集に打ち込んできた私だが、こんな経験は生まれて初めてだ。今日こそ私は、名人の技というものの凄まじさを思い知らされました」

 人形つくりは謙遜しながら呑んでいたが、酒が嫌いではないらしく、白い顔をしたままくいくいと杯を重ねた。又右衛門も気持ちよく酔いながら、これまでに男が作った人形のことを色々と尋ねた。「お断りしておきますが、歩き出すほどの人形はもうありません」と人形つくりが言った。「あれは唯一無二のもの。二度はありません」「しかしそうとは限らないでしょう。一度あることは二度あるかも知れない。いや、あなたの腕ならきっと」「いやいや、それだけは絶対にありません」人形つくりが妙に依怙地に言い張るので、もしかすると前に何か都合の悪いことでもあったのかも知れないと思いながら又右衛門は話を逸らし、知らぬ顔で酒を勧めた。「もうおひとつどうです」

 こうしてだんだんと夜が更け、大男は人形づくりの難しさなどを語りながら饒舌になった。銚子が七、八本空いた頃、又右衛門は冗談で言った。「まったく、人形が人形を売りつけに来るとは実に面妖なことです。ひょっとして、そういうあなたもまた人形ではないでしょうな?」そう言って笑った時、人形つくりの異変に気づいた。杯を持った手が空中で止まり、顔は青ざめ、表情が貼りついたように動かない。その目は宙を睨んでいる。背すじが寒くなり、又右衛門がまじまじと男の顔を眺めていると、突然大きな音がして人形つくりの体が縦に二つに割れ、右半身と左半身が畳の上に倒れて転がった。

 又右衛門は肝を潰して尻もちをついた。見ると、ぱっくり二つに割れた残骸は中空で、素材は青竹、その上にぺたぺたと和紙が貼ってある。酒をたくさん呑んだせいか、中がびしょびしょに濡れている。夢を見ているような心地で又右衛門は手を伸ばし、その割れた半身に触れ、固い、竹の感触を確かめた。やっぱりそうだった、とめまいを感じながら呟いた。腹がたつやら怖いやらで茫然と腰を落としていたが、やがて立ち上がろうとして、ようやく自分の腰が抜けていることを知った。

 京の二寧坂に住む田所という高名な文楽の師匠はこれを聞いて、最近の人形つくりは技巧偏重の気味があり、常々苦々しく思っていたが、こうした事件がちらほら起きるようになったのもその弊害です、と又右衛門に語った。人形がふらふら歩き出すなどというのは決して腕が良いからではなく、人形つくりとしてはむしろ恥ずべきことなのです。不見識を恥じて又右衛門は顔を赤らめた。その後で、それにしても一体なぜあの人形は正体を顕したのでしょう、と首をひねった。いや、人形というものは面と向かって正体を告げられると、それ以上人を騙すことはできないものなのです。そう田所は講釈した。

 それからというもの、又右衛門は人形売りと会う時は最初に手を握らせて欲しい、あるいは頬をつねらせて欲しい、と要求するようになった。奇異に思った来訪者が理由を訊いても、念のためとしか答えない。商人の態度が真剣なので応ずる方も笑うこともできず、この儀式はいつも静粛に行われたという。



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