アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

HB爆弾に関する報告書

2016-03-14 22:55:58 | 創作
          HB爆弾に関する報告書


 遺憾ながら以前とはすっかり変わってしまった私たちの現在の社会のありようを記述するにあたって、やはり私自身の経験を最初から語り起こすことがいちばん妥当で、理に適っているように思う。というのも、私はきれいに梱包されて誰からともなく郵送されてくるあれら無数の爆弾、あの致死性の贈り物を最初に受け取ったグループの一人に違いない、と思えるからだ。ただし言うまでもなく、その理由に私はまったく心当たりがない。

 最初の箱が届いたのは確か、8月の最初の週だった。私はガレージの中で、窓ごしに降り注ぐ夏のはじめの明るい光を浴びながら自転車の手入れをしていた。いつものように、きらきら光る細いスポークで構成された美しい自転車は、私の心を和ませた。ドアベルが鳴ったので庭を回って出て行き、背が高い配達人から宅配便を受け取った。それはちょうど小ぶりのバースデーケーキぐらいの大きさで、キッチンテーブルの上で包装紙を破ると、染み一つない白い箱が現れた。差出人の名前は読み取れなかった。贈り物を受け取る心当たりはまったくなかったが、その箱の非の打ちどころのない白さが私を魅了した。その完璧な、雪のような白さには誰だって胸を打たれただろう。そして唐突に愛に溢れる姿をあらわした周囲の世界に対して、心からの感謝と曇りなき友情を捧げただろう。私は鼻歌を歌いながら箱を開けた。その時点で記憶は途絶えている。

 意識を取り戻した時、私は顔と腕と胸の大部分を包帯でぐるぐる巻きにされた格好で、病院のベッドに横たわっていた。若い医者と看護婦が興味深げに私を見下ろしていた。医者は私に向かって、あの箱には爆弾が入っていたのだと説明した。その熱意溢れる口吻で、私と親密な驚きの感情を分かち合おうとするかのように。「いやまったく、この程度の軽症ですんだのは奇跡ですよ」
 地味な背広を来た二人組の男たちが病室に入ってきた時、その鋭い目つきと陰気な表情からすぐに刑事だと分かった。彼らの口から私は二つのことを知った、家のキッチンが当分の間使用不能であること、そして最近世間ではこれと似た爆発事件が頻発していること。逆に、私が彼らに教えられることはほとんど何もなかった。「いいえ、誰があの箱を送ってきたのか、まったく心当たりはありません」

 一週間後、退院した私はオフィスでたまった仕事を片付けていた。久しぶりに出社した私に特別の関心を払う者は誰もおらず、そのことが私に漠とした悲しみをもたらした。私は何を期待していたのだろう、思わぬ誰かからのいたわりの言葉か、あるいは親しみと気遣いが入り混じった友の笑顔か。気がつくと正午だった。みんながそれぞれランチを手に、右に左に散らばっていく。メール係がやってきて机の上に小包を置き、サインを求めた。何の疑いも持たずに小包を開けようとした時、小さなカチカチいう音が聞こえた。反射的に箱を部屋の隅に放り投げ、机の下に潜り込んだ。鈍く腹にこたえる音とともにオフィスが揺れた。部屋の一角から煙が立ち昇った。三々五々集まってくるオフィスの同僚たちは全員がぽかんとした、間の抜けた顔をしている。私は机の下から這い出して、サンドイッチを手に突っ立っている総務の女の子に、警察に電話をしてくれないかと頼んだ。

 このことですっかり意気消沈した私は、最近疎遠になっていたガールフレンドに電話をかけることにした。彼女と私は以前かなり親しかったし、その時の私は何よりも、優しい異性からの慰撫を必要としていたからだ。夕闇が迫る時刻、レストランの窓際のテーブルに腰かけて藍色に染まった街路を眺めていると、30分遅れて彼女が現れた。久しぶりに見た彼女は気さくで、上機嫌で、セクシーだった。私の中に淀んでいた憂鬱は春の雪のように溶けていった。白ワインを二杯飲み終えたところでトイレに立ち、鏡の前で髪を撫でつけてダイニングルームに戻ると、ウェイターが(まるで誰かからのサプライズ・プレゼントを渡す時みたいに、感じよく微笑みながら)私の席に白い箱を置いたのが、そして彼女がクッキー缶を発見した子供を思わせる無邪気な貪欲さで手を伸ばすのが目に入った。あわてて走り出した途端に脚がもつれた。私が床に倒れるのと、彼女が箱を開けるのがほとんど同時だった。うつぶせになった私の頭上を、生暖かい爆風が吹き抜けていった。人々が騒ぎ始めたが、めまいと吐き気で、私は立ち上がることができなかった。

 こんなことがあったあと、人々が私を疫病神と見なすようになったのは当然のなりゆきだろう。警察は今後私を厳重な監視下に置くことを(私の意向は完全に無視して)決定した。「これは通常、マフィアなどの組織犯罪向け目撃者保護プログラムで使われる施設です」とまだ若い、ベティー・デイヴィスに似た顔立ちの婦人警官が目の前の建物を指さして言った。その時彼女と私が立っていたのは郊外の、住宅地から遠く離れたひと気のない一画だった。「今日からあなたにはこの家で生活してもらいます。これからあなたが守らなければならないルールを説明します。一度しか言いませんので、注意してよく聞いて下さい」

 こうして私の軟禁生活が始まった。会社にも行けず、外出は買い物から散歩にいたるまで許可をとらなければならず、どこへ行くにもお互いに見分けのつかない黒いスーツを着た男たちによる監視がついた。私はほとんどの時間を家の中で過ごしたが、リビングは広く、おおむね快適で、新品の大画面テレビがあり、壁にミロとカンディンスキーの複製画がかかっていた。清潔で、現代的で、閑散としていた。この家の中で、私はしだいに(古いチーズか何かみたいに)凝固し、重みを増していく自らの孤独と向き合うことを余儀なくされた。時には自分の体がだんだん透明になっていく気がした。一日一回、あのべティー・デイヴィスに似た若い婦人警官が郵便物をチェックしに現れたので、毎回コーヒーを淹れてしばらく話をした。けれども彼女の態度は冷ややかで、事務的だった。私はなんとか彼女を笑わせようとしたが、どうしてもうまくいかなかった。

 時々宅急便や郵便小包が届いたが、開けることは禁じられていた。そのまま婦人警官に渡さなければならなかったが、退屈と孤独感に苛まれるあまり、私は勝手にそれらを開けるようになった。箱を空けずに内容物を調べる方法、爆発させることなく爆弾を剥き出しにする方法、爆弾を解体し無害にする方法、こうしたことを今では簡単にインターネットで学ぶことができる。学んだことは実際に試したくなる、そして試すことは面白い。白状すると、私にとって爆弾の解体はスリル満点で心躍る経験だった。婦人警官に解体済みの爆弾を渡すと、彼女はひとしきり文句を言った後で首をかしげ、不思議そうにつけ加えた。「一体どうやって解体したんですか?」
 その後も私は爆弾の解体をやめなかったが、やがて彼女は文句を言わなくなった。一体どこの誰が送ってくるのか、なぜ私なのかはさっぱり分からないまま、さまざまな大きさのさまざまな種類の爆弾が二日に一個ぐらいの割合で届いたが、私は片っ端からそれらを解体することで自分のスキルに磨きをかけた。そのうち婦人警官が「警察にもここまで見事に解体できる人はいませんよ」と感心するまでになった。

 こんな風に私の暮らしは比較的穏やかだったが、世間では爆弾騒ぎが深刻化しつつあった。ショッピングモールが、地下鉄が、オフィスが、学校が、老人ホームが、ボクシング・ジムが、市民プールが、動物園が、野球場が、コンサート・ホールが、展望台が、モーテルが、倉庫が、図書館が、次々と爆破された。爆弾は宅急便だったり、普通郵便の小包だったり、きれいにリボンをかけて誰かの手でドアの前に置かれた化粧箱だったりした。新聞や雑誌はこれらの爆弾を、最初の一個が誕生日の贈り物を偽装していたことからハッピーバースデー爆弾、略してHB爆弾と名づけた。猜疑と不信が町中を席巻した。誰もが家に閉じこもり、結果的に私の境遇と大差ない暮らしを送るようになった。

 そんなある日、私は憂鬱を振り払うため散歩に出かけた。透き通るような日差しの秋の日だった。カフェに入ってミルクセーキを注文し、カウンター越しにテレビを眺めていると、爆弾騒ぎのニュースが流れた。病院で見舞い客が置いていった箱が爆発したのが一件、スーパーマーケットで落し物が爆発したのが一件。いまや人々は競い合うように、もしくは止めるタイミングを逸した遊びを続けながら疲弊していく子供たちのように、互いにHB爆弾を送りつけ合っていた。カフェを出ようとして、私は隣のテーブルの忘れ物に気づいた。それは包装紙に包まれた四角い箱で、さっきまでそこに座っていた少年が両親にプレゼントされた玩具に違いなかった。急いで立ち上がり、レジの前に立っていた親子三人連れにその箱を差し出すと、父親が叫んだ。「おい、その箱を私たちに近づけるな!」

 カフェの中にいた全員がテーブルの下にもぐり込んだ。母親が子供に抱きついて(まるで死の爆風から子供を守ろうとするかのように)背中を丸めた。私はその光景に衝撃を受け、悲しみの矢に心臓を貫かれた気がした。私はこう言いたかった。違います、これはその子の忘れ物で、私はただ忘れ物を届けてあげたかっただけなんです。しかしその言葉が発せられる前に、フットボール選手並みの胸板をした父親の鉄拳が私の顔にめりこんだ。私が気を失い、床の上にのびている間に、親子三人はいずこともなく去った。目を覚ました時、私は無害な玩具の箱がバラバラになって床に散らばっているのを見た。殴られた頬が痛んだので冷たいおしぼりをもらおうとしたが、ウェイトレスは私の声が聞こえないふりをした。

 自分の部屋に戻った時、私の顔はバレーボールのように腫れ上がっていた。燃えるような痛みが頭全体を包んでいたが、またしても郵便箱の中に届いていた新たな箱を見逃すほどではなかった。私はその箱をダイニングテーブルの上に置き、じっくりと考えた。これほど大勢の人間が私を粉々にしたいと望んでいるのなら、もしかしたらそこには正当な理由があるんじゃないだろうかと。私はズキズキ痛む頭を抱え、ジンマシンのように全身を苛む幻滅と孤独感の中で考えをめぐした。そして私が生きるに値しない人間なのか世界がもはや生きるに値しない場所なのか、そのどちらかが真であるとの結論に達した。もしかしたら私はただ単に、うんざりしていただけだったのかも知れない。いずれにしろ、そろそろケリをつける頃合だと感じた。だから私は、ダイニングテーブルの上でその箱をあけようと思った。美しく薄青いリボンをサラサラとほどき、丁寧に折られた包装紙を取り除いた。

 箱の蓋を開けた時、私はそれが爆発せず、自分がまだ意識を保っていることに驚いた。箱の中に私が見出したのは、私がファンであるところのニューヨークヤンキースのTシャツとベースボール・キャップだった。そして控えめなサイズのカードが一枚(「お誕生日おめでとう」)。つまりそれらは本物の誕生日プレゼントで、差出人はあのベティ・デイヴィスに似た婦人警官だった。私が箱を開けることを禁じられているのに彼女が私にそんなものをよこすのはおかしかったが、もちろん、彼女は私がどっちにしろ箱を解体して開けてしまうことを知っていた。そしてまた、なぜか彼女はその日が私の誕生日であることも知っているらしかった。

 私は誕生日プレゼントとカードをテーブルの上に並べ、しばらくの間それらから目をそらせなかった。私はその意味を過大に考えるほど愚かではない。しかしそこに何か蜃気楼を思わせるはかない美しさがあったとしても、そしてその馴染み深い何かが指の間からすべり落ちていく感覚にこの目が少量の涙を浮かべたとしても、どうか驚かないでいただきたい。私にはその気持ちを説明することはできないし、またそうするつもりもない。たとえば1961年、かのユーリイ・アレクセーエヴィチ・ガガーリン大佐が人類史上初めて宇宙から、青く輝く地球を眺めた時には、もしかしたらその時の私と似た気持ちだったかも知れない。



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