アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

フレンズ

2016-09-01 21:13:22 | 創作
          フレンズ

 去年の9月頃、日曜日の夕刻に私の家のドアをノックする者がいた。ドアを開け、60代ぐらいの赤ら顔の男がニヤついてつっ立っているのを見た。
「こんなに近くに住んでいるなんて、今の今まで知らなかったな」と男は言った、まるで久しぶりに再会した親友に話しかけるみたいに。「知ってるか、おれの家はそこの角を曲がった二つ目の通りなんだ」
 私はすぐ、彼がだれか他の人間と私を取り違えていることに気づいた。「あの、人違いです」
「人違いか。こりゃいい」男は笑いながらどんどん家の中に入ってきた。「ほう、なかなかいいところに住んでいるな」

 こんな時、私はどうしたらいいか分からなくなる。だからとりあえずコーヒーを淹れて、その見知らぬ男にすすめた。この国ではコーヒーを出せばその場を取り繕うことができる。特に香りがいいコーヒーならなおさらだ。それから私は自分の名前と職業と、出身校と略歴を手短かに説明した。これで誤解が解けるはずだったが、男はあいかわらずニヤニヤ笑いをやめない。私が彼の知り合いだという彼の確信は微動だにしなかった。私は途方に暮れ、息でレンガの家を吹き飛ばそうとする狼のような気分になった。言葉を失ってしばし茫然自失しているうちに、男も自分のことをあれこれ喋ったため、彼が引退した元警官で、今はこの町で一人暮らしをしていることが分かった。男の名はロバート・ブーン。

「ボブと呼んでくれ、昔みたいに」とボブは言った。「また来る。近所だからな」

 それからというもの、ボブはしょっちゅう私の家に遊びに来るようになった。引退して時間を持て余していたのかも知れない。元警官だからか態度にどことなく横柄なところがあったが、一緒にいてそれほど不愉快な人物ではなかった。基本的には喋り好きで、陽気な男だった。私たちはコーヒーを飲んだりジャズのCDを聴いたり、時にはTVのクイズ番組を見たりして過ごしたが、やがて二人で外に出かけるようになった。最初は釣りに行き、次に野球観戦に行った。誰もが知っている通り、この町にはいい釣り場があるし、私たちは二人ともレッドソックスのファンだった。外出して夜になると、近所のバーに寄って酒を飲んだ。彼が飲むのは決まってビール、私はバーボンだ。やがて私も彼の家を訪問するようになり、ボブの手料理をごちそうになるまでになった。信じられないかも知れないが、彼のパエリアは絶品だった。

 つきあいがどれほど長くなっても、ボブはあいかわらず私を昔の知り合いだと思い込んでいた。私も大雑把な性格なので放っておいたが、ボブとその人物との関係は多少気になった。同僚の警官だったのだろうか、あるいは司法関係者か、仕事とは無関係の遊び友達か。もしかしたら犯罪者だったのか。まさか肉親と取り違えているということはないだろう。しかしそんな好奇心、もしくは懸念も時とともに薄らぎ、しまいにはどうでもよくなった。ボブは単に私が近所づきあいしている隣人であり、珍しく年長の友だちだった。最終的に、私たちはかなり良い関係を築き上げたと言ってもいい。

 ある時、私の家の居間でソファーに座り、ビールを飲みながらTVでボクシング観戦をしていた時、ボブが急にこんなことを言いだした。「まだおれが警官だった頃、よく一緒にいたマギーを覚えているか? 赤毛でのっぽだったあのマギーだよ」
 私が黙っていると、ボブは続けた。「おれは一度マギーにプロポーズしたことがあるんだ。見事にフラれたよ。けど、もしあの時おれと一緒になっていたら、マギーもあんなことにならずに、まだこの町にいたかも知れないな。時々そう思うよ」

 彼はビールを一口すすった。目の縁が赤くなり、その声はどこか潤んでいた。おそらく彼は、慎重にタイミングを見計らってこの話を切り出したのだろう。それが大切な言葉であること、その時私たち二人の間に流れたのがきわめてプライヴェートな、男同士の親密な魂の共鳴とでも言うべき特別な時間であることは確かだった。私は何も言わずに立ち上がり、キッチンに行って冷蔵庫からビールを数本取り出した。もちろん私はマギーなんて知らなかった。彼女がどうしてこの町からいなくなったのかも知らない。一体自分は何をしているのだろう、という疑問が浮かんだ。私の家の居間でビールを飲んでいるこの男は果たして誰なのか。この男と一緒にいて私は何をしているのか。彼はただ、人違いしているだけの赤の他人ではないのか。

 なんだかばかばかしくなった。同時に得体の知れない不安が胸を締めつけた……。が、やがてその瞬間は過ぎ、私は追加のビールを持って居間に戻った。そして何事もなかったかのように、ボクシング観戦を続けた。なぜって、結局ボブが私の友だちであることに変わりはないからだ。それを否定するのは、あるいはあえて疑念を呈するのは、おそらく友だちを一人も持ったことがない寂しい人間だけだろう。



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