崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

ハーバード大学観光

2016年04月15日 05時21分34秒 | 講義
新学期の学生たちとの対面は新鮮、その新鮮さを講義に反映しようとした。今日一回目、私の自己紹介、ホームページ、フェイスブック、ブログなどへの検索と登録方法なども話した。観光人類学の講義で大学が観光地になった例としてハーバード大学のキャンパスが観光化されたという画像を見せて説明している時、韓国からの中学生たち20余名ずつ授業参観に入った。その案内や通訳は女子留学生がしていた。主に二年生。日本、韓国、中国、ベトナム、ネパールなどの多国籍の学生で20余名名、4年生、修士、博士課程の学生も参加しているクラスである。
 日本語、漢字が大きいハードルであるが、明るい表情であり、その面子を生かすように大統領8人を出した名門ハーバード大学での講義を映画Paper Chaseを流した。大教室に学生には指定席があり、教授の教壇には写真付きの名簿があり黒板はあっても一度も書かない。古い注入式講義から質問式講義に変えていく場面を表す映画である。キングスフィルド教授の権威が表れている。その感想を書かせた。どうだろう。それを要約すると「高圧的な」「嫌な」先生が厳しい。指名質問されるのは緊張し恥ずかしい、プレッシャーがかかるが勉強にはなるだろう。予習、復習、論証ができると期待する学生もいる。その教授と最近のハーバード大学の教授方法はどう変わったのだろうか。その続きはサンダル教授の映像がある。次に紹介する。
引き続き、読書会では吉田清治氏の下関慰安婦に関する内容を検証すべきという倉光氏の話、嘘と事実、真実の話で討論、帰宅して夜熊本地震の余力4度で我が家でも棚から物が落ちた。下関で初めての体験、驚いた。

朴槿恵大統領の惨敗

2016年04月14日 05時14分51秒 | 日記
 昨日約束時間に研究室で待機していて、意外な客が訪ねてこられた。定年して今は非常勤の川村博忠先生は今平戸藩の松浦地図資料の鑑定をされているお話、近況を話てくださった。また詳しくイタリアの宣教師マテオ・リッチが作成し1602年に北京で刊行され、日本にも輸入された世界地図「坤輿萬國全圖」が日本にあり、中国や朝鮮に保存されていない。日本では倉庫、博物館、古文書館、図書館などが多い。そのような日本に比して韓国や中国は保存に粗末な文化であると聞こえる。私も韓国出身者として保存に粗末な性質がある。反省するところがある。が、山盛り資料の中にいて資料を探せず利用できない人が多いことは蔑視ている。「もったいない」日本文化を褒め言葉で喜ぶ人も多いが、「ごみ迷惑男」のような人が多いことは問題である。使えない物の倉庫文化は羨ましくない。遺物観は人の価値観によるものである。継承されながら伝統として意味がある。「坤輿萬國全圖」は日本の世界への視野を広げてきた価値基準である。
 昼は家内の誕生日祝いの外食、バグダッドカフェで藤中和岳氏個人展へ。二階建ての古い家屋の天井まで商店、芸術的は小作品が展示のように陳列、その中に藤中氏の手作り作品が展示されている。彼は福岡テレビ局のプロデューサーを定年して65歳で新しい趣味生活を始めるという。娘さんの韓国人青年との結婚式に参加した話など日韓親善の話を交わした。
 本日の韓国の投票も気になる。韓国のテレビニュースなどで投票速報を聞いていた。総選挙で与党セヌリ党は過半数を大きく割り込む惨敗となった。韓国の民主主義を強く感ずる。日本に住んで韓国の内政はよく知らないが、朴槿恵大統領の外交政策などには私も不満を持っていて、この選挙は正しい結果だと思う。これから始まる日本の参議院選挙はどうなるだろうか、気になる。 

花食

2016年04月13日 06時05分13秒 | 旅行
 中国の留学生からお土産をいただいた。漢方薬剤か食品か、後にレシピがメールで送られてもどんな味か想像できなかった。「差し上げたエゾキスゲは、父の妹が山から摘んでから干したものです。お口に合うかどうか分りませんが、よろしければ、召し上がっていただけませんか。」家内がレシピによって料理を作ってみたが初めての味、何か関心が沸いてきた。中国ではポピュラーな食材であり、栽培も行っているという。ユリ科の花を乾燥したものであり、水に戻して料理をして食べるという。花といえば美しく鑑賞の対象であるが食用にするということに中華料理として有名な中国らしいと思ったが実は日本でも菜の花や菊の花を食べているではないか。韓国では花煎があることを例にすれば花を食べるということは決して稀とは言えない。しかし私には花を食べるという発想に抵抗がある。
 花から実った果実や種、あるいは植物の幹、根っこなどを食べるというのが常である。花は見て鑑賞するというのが通念である。花の鑑賞に高調になり花さえ食べるかのように先日東京新宿御苑付近で桜の花の香りを付けたソバの昼食を食べたが私は普通のそばがいいと思った。美女は鑑賞の対象であって結婚するものではない(?)と言うことばを思い出した。花を食べる、花さえ食べるその花は花びらが大きい。本格的な花の料理である。栄養と漢方薬の効果があるという。美と栄養のバランスの料理であろう。

佐野賢治『宝は田から』(春風社)

2016年04月12日 05時26分29秒 | 旅行
 一昔前までの生活は記憶にある。しかし知っているのは全体像ではない。人によって辛い経験や楽しい思い出で描くかもしれない。時代によって生活の全体像を描くことは難しい。私が戦前生まれ育った韓国の農村をもって全体像として持っているが、当時の韓国社会の一部に過ぎない。部分は全体の一部であると点綴して、それをもって全体を想像するのも無理であるように感じている。1930年代の映像や画像、雑誌などを読むと我が農村とはかけ離れた世界があったのを知っている。その生き方に迫ってみたい。
 当時日本の農村ではどうであろう。佐野賢治氏の「仕合せ」の農村民俗誌『宝は田から』を読んだ。植民、開拓移民、戦争などに巻き込まれながらも村は村として村民の生活のパターンがあった。その一つが「幸せ」というキーワードである。日本では漢字語ではなく「しあわせ」「仕合せ」ということばがある。韓国では幸福、福という漢字語があって固有語が見当たらない。セマウル運動の標語の話題で探したのが「よく生きる」(잘 살다)という言葉である。それは主に経済的に豊かになることではあるが、幸せを目指す言葉として歌われたのである。佐野氏は自然とのかかわりの中で生きる人々の生活を描き多少分析的に触れている。子供、女性・嫁の“幸せ”な―日常性、“知恵”と“知識”の100年前の日本農村を描いている。私は佐野氏の幸せな表情と合わせながら読んだ。

嘘の免疫

2016年04月11日 05時58分59秒 | 旅行
 ある人が私に民俗学者でありながらクリスチャンであることに違和感があったというコメントを書いてくれた。つまりナショナリストと国際主義者とは不調和のような印象を受けたのだろうと想像する。それについてはエッセー集などに既に書いているが、今執筆中の『韓国のシャーマン』(仮)に詳しく書くつもりである。私は本当にクリスチャンであろうか。昨日礼拝で説教を聞きながらクリスチャンになることは難しい、説教を聞くことも難しいと思った。講義は説教と似ているが、大きく異なる。説教は実践を前提にしている。例えば昨日の説教の「左頬を殴られたら(侮辱)右頬も出せ」(マタイ5.38-42)は講義や解説はできるが、説教としては難しいテーマである。聖書に書いてあるとただ紹介するのか、理解して一緒に考えるのか、その価値観を共有するのか、非常に難しい。その意味で牧師の使命は大きく、難しいといえる。説教を聞き、聖書を読んで理解するだけではなく、その価値観で生きるのがクリスチャンである。それが本当のクリスチャンであろう。
 北朝鮮の挑発抗議に韓国人はあまり懸念しないことが不思議だと言われている。私は日本人が朝鮮半島の南北関係緊張を戦争直前のように言うのが大げさと感ずる。この差は何だろう。私自身もいまのところ脅威は感じていない。それは歴代韓国政府政権者の嘘の大業績(?)によるものである。韓国政府は長い間北朝鮮の脅威だと繰返してきてきた。それが免疫になっている。狼少年の話はもう比喩できないほどである。私は今だにKAL機事件やトンネルなども心から信じていない。日本では政治家の不正の話、3大嘘(ベトーベン、STAP細胞、甘利記者会見)も有名であり、多くの嘘により免疫になっている。もうすでに嘘に免疫がついているのである。

「お客様は神様」

2016年04月10日 06時36分57秒 | 旅行
 ある御婦人は買い物が趣味だという。ストレス解消によいという。なぜであろうか。昨日お土産の購入のために百貨店の贅沢な春ファッションが陳列されている所に立った。フロアーの全店員さんの明るい表情、親切さに私は気恥ずかしく、何だか恐縮な感じであった。「お客様は神様だ」と言われるその当人であることを悟った。身分が上昇する感があった。なるほど御婦人の買い物の趣味にはこの雰囲気も含まれるのであろう。私もその雰囲気によってまったく予定していなかった高価なカバンを買ってしまった。最近市役所に寄った時もその雰囲気であった。私たちは新入生をどのような顔で迎えていたか反省すべきである。事務室へ入って暗い表情のスタッフをどうすれば明るく出来るるのだろうか。
 オーストリアの北部ブラウナウに残るナチス・ヒトラーの生家の保存をめぐって話題になっている。この負の遺産をどう使うのか私は関心がある。いわば右翼新ナチス派が民族主義高揚に利用するのか、負の遺産の資料館とするのか。家主の女性は「私はヒトラーの子供ではない」といいなからデーサービスなどで利用していた。家主は勝手な利用を恐れてこれまで国への売却を拒否しており、政府の報道官は「ナチスの支持者のために建物が利用される事態を避ける唯一の策が強制収用だとの結論に達した」と語った。利用方法を話し合ったりしたが、まとまらず、今空き家になっている。破壊すべきなのか、保存すべきなのだろうか。
"Once people refused to talk about the facts... but now they speak about it," "It's a matter of how to deal with the heritage."photo BBC

中国の抗日運動

2016年04月09日 05時37分02秒 | 旅行
新学期の初講義には新しい顔たちとの対面、講義準備なし、やや緊張した。二十歳前後の男女半数ずつに院生二人を含め18人であった。韓国、中国、ベトナム、日本の4カ国の混成であり楽しそうな構成のクラスのように感じた。日本語で講義ができるだけでも嬉しい。どうして1年程度の日本語の勉強でこれほどできるのか自分の留学生時代日本語がうまくできず苦労したことを思い出しながら名前だけの自己紹介で、学生たちの自己紹介を聞きながら反応した。2年間の兵役を終えて復学した学生、交換留学生、中国の桂林から来た学生、ベトナムのハノイなどからきた学生など私が訪ねたことのある。この講義は「日本文化論」。私の留学の話から日本を語るということで期待している明るい表情を見て楽しい学期を過ごせるのではないかと期待が大きい。
 講義の他に読書会では研究の話し、研究所の研究会では時期に合う話題を以って行いたい。7月には「戦争と難民」を計画している。今私は後期植民地、特に反日感情の文化圏(?)について出版準備中の校正に没頭している。中国の小学校の教科書の抗日運動についての記述に興味がある。昨日も書いたが中国軍が大きい岩をもって日本軍を殺したという勝戦意識を誇張する挿絵の話は中国の誰もが知っている話であるといった楊小平氏がこの物語に関する映画や図書の表紙絵添付して送ってくれた。

戦争遺蹟

2016年04月08日 05時51分28秒 | 日記
 貴重なものを保存するに際し隠したい心が込められている。去年フィリピン調査の時、購入した戦前東南アジアなどで使われた軍票をきちんと保管したはずなのに保管場所が分からなくなり、探すのに数日間かかった。忘れないように、しかも大切に保管したのに探すのが難しい。自宅や研究室を整理しながら捨てるものをゴミに出した。なかなか見つからない。最初は宝探しのような気分で楽しみもあったがドンドン不安になった。読書会でメンバーに見せたことを思い出して林さんに聞いてみた。フィリピン映画DVDケースの中から出た。万歳。昨日の読書会は中国人3人、日本人2人、韓国人1人の満室。新しく東アジア文化研究所の研究員となった楊小平氏が広島から来られて話題を提供してくれた。彼は中国・四川省出身の留学生として広島大学で原爆体験の継承に関する論文で博士号をとられた方である。私が10年間広島大で集中講義をした時ほぼ参加したので彼の研究熱は十分知っている。
 原爆展などからの反核運動であり、決して反米ではない。それはやや政治的かもしれない。中国でも反米は強くない、反日思想も最近のメディアによるものであり、それほどではないというのが中国人たちの意見であり、韓国とは相当異なる。北朝鮮は反米が強いが反日感情はそれほと強くない。私が校正中の『植民地歴史を正しく見る』(韓国語)に中国の小学校の教科書のランア山の抗日戦争の挿絵を見せながら勝戦意識を誇張するといった。その話は中国の誰も知っている話であるという。原爆への世界的な見解も検討した。核戦争では全滅という地球レベルでの脅威に触れた。それは抑止力になっていると夜のプライムニュースでも石原慎太郎氏が主張した。私は読書会で自分が死にあう場面で全滅でも構わないという黙示録、千年王国思想などを紹介し、アノミー状況を招く自爆などにも触れたが皆が驚く表情をしているので詳しくは触れることはしなかった。

カント哲学

2016年04月07日 05時42分06秒 | 旅行
 日本全国花見の話にあきることなく昨日桜が満開した功山寺の庭に入った。櫛田学長の車で同行させていただき、東亜大学新入生たちの恒例の座禅の模様を見た(今朝の毎日新聞下関版)。堂内では東亜大学客員教授の住持有福孝岳先生の説法と喝を入れる儀式が行われており、庭で交代を待っている新入生たちがいっぱい、引率の教員、学生に言葉を掛けながら回った。渡辺君はカナダトロントに半年間、英語語学研修を終えてきて明るい表情であった。彼の留学体験を聞いた。私はその体験が人生にとって如何にプラスなるかは後に分かるだろうと話した。
有福先生には久しぶりに会って、「説法は難しくならない」ようにと冗談混じりに言った。彼は京都大学教授を退官したカント研究者であり、功山寺の住職となった方である。カント哲学専門の住職の説法が注目されるのは当然。彼自身は難しくないというが聞き手にとって難しく感ずるという。それはどうしてだろう。カントという名前を聞くだけで「難しい」と思う人が多い。カント自身の考え方、あるいは表現の下手さにあるかもしれない。単純明快な真理が難文になっているのかもしれない。聖書、特に新約聖書は手紙や伝記、旅行記などで例をあげながら分かりやすく書かれている。その聖句一節をもって長々しく難しく語る牧師が多い。そして「人に説教する」「野壇法席の説法」などの皮肉なことばができている。言葉の難解性より実行実践が難しい。「愛」ということばは単純明快であるが、実行は難しい。

「海域の植民地」報告書

2016年04月06日 04時57分02秒 | 旅行
昨日東冷社の社長の石本弘之氏が訪ねて来た。入院中の訪問や電話などの記憶が薄いことに気が付いた。大病中の記憶が薄いということと思う。また櫛田学長や鵜沢副学長も加わって、中国からの留学生3人と研究室が満杯になった。私は鵜沢氏が科研申請が採択されたということに喜しくお祝いの挨拶を言った。彼は長い間ペルーで発掘調査をしており、それに私は常に関心をもって中間報告会を設けたこともあり、大学だけではなく、地域の大きいニュースになっても良いと言ってきた。特に地方の大学が専門学校化していく傾向にある中で本学では研究にも熱心であることを表すことである。実は科研申請は激しい競争になっていて、祝う空気は全くない。私は本気で嬉ばしいと思っている。私に言わせるとそれが同僚愛と言える。
 今年度の東アジア文化研究所の活動も活発にしていきたい。毎週読書会を行っており、月例会なども考えている。研究所の叢書発行(非売品)が始まっている。地方創生であろうか、研究はグローバル化していく。先週東京での「海域の植民地」は私が長く調査研究したこともあって積極的に参加し、若手の学者も多く参加して議論できて嬉しかった。一般の方も多く参加したその様子は東京新聞に報道された。これから私はその報告書を整理編集して研究用非売品として発行しようとしている。企画から終わりまでの過程が収録されるようにしたい。ご意見を受け賜りたい。
 *写真は東京新聞
 

英語で式辞

2016年04月05日 05時08分47秒 | 旅行
海外に住んでいる韓国人は全国民の1割以上であると言う。現代のユダヤ人のように海外に住んでいる人が多い。その人たちの連携ディアスポラも多くある。最近ネット上の対話も多くある。オーストラリア在住の友人韓君の奥さんのフェイスブック投稿を紹介したい。彼女は豪州国の公式通訳の方で英語と韓国語のバイリンガルであり、金大中と朴クネ大統領の英語は良いと評価した。それに反応した当地の人が日常的に使っている英語がなぜ韓国やその他の国に住んでいる人から洒落た言葉とされ、さらに移住し始めてすぐ英語式に創氏改名することを異様に感じていると反問した人がいる。創氏改名を民族抹殺の侮辱と言った民族が自ら創氏改名をするようになっている。
 東工大学長が入学式で全文英語で式辞を述べたと言う。日本の国語を英語にしたいのだろうか。学問の言葉、あるいは洒落たショーであろうか。私は英語を聞き、読むのも好きて未だに毎日英文を読み、放送を聞いている。国際的学会の打ち合わせでは必ず使用言語が話題になる。私は通訳を入れるように言う。英語の弁論大会ではないのだから各自国の言語で発表、通訳を入れてでも議論の中身を重要視することを指す。大学長の挨拶は議論ではなく、洒落た儀式にすぎない。本気ではない。本気であれば日本語を国語から外すべきであろう。その哲学を含めて叫ぶなら彼は英雄であろう。中国語ではなく英語を使用しているシンガポールのようにする方が良いのかどうか考えてみる必要があろう。

連載

2016年04月04日 05時51分07秒 | 旅行
直樹賞作家の古川薫氏が先日会った時、毎日新聞下関版に毎週1回、2年間連載することとなっていると話しておられ、91歳の方の熱情に私は負けた気がした。彼の連載には大いに期待する。有名人であり筆力を知っているから連載を楽しみたい。私は8年間毎月一回エッセーを連載している。原稿依頼が直前に来るように頼んおり、負担なし、ほぼ直筆のエッセーである。長く連載していると繰り返しや重複しないようにテーマを選ぶが、以前書いたものが分からず困る時もある。実は同じ題で2回書いたことがあり、読者には申し訳ないと思っている。
 書く側からは嬉しいとか、大変だというが、他方読者側はどうであろうか。狭い地域では地縁や人脈のある人が連載することが多い。地域で筆者を広く発掘していない。それは編集上便利かもしれないが紙面の価値を下げることになりかねない。ある新聞は年中同じ自社関係のものを広告に載せていて新聞ではなく、古い新聞のように感ずる。ある新聞では4人のリレーエッセーの長期執筆、またある新聞には元地域官僚のエッセーなど、読者を退屈させ、遠ざける。連載は両者が慎重にしなければならない。本を書く時も連載の気持ちが必要であろう。毎ページが新しく、意味深いものを書くべきであろう。ただの知識の羅列にならないようにすべきである。書くことは創作である。「創」になるように工夫し、共有したいものを書くものである。それが文である。

再就職

2016年04月03日 06時20分50秒 | 旅行
今日は大学の入学式、キャンパスの桜が丁度満開である。新任の教員の中には私と同年配の方もいる。広島大学の経歴もあり、今度同僚となる。高齢者の再就職となる。私がこの大学へ再就職した時を思い出す。前職では最高のシニアとして引退の気持ちいっぱいであったのに再就職においては新任教員、一番下の身分であった。いろいろ転職してきた私は昇進したこともあったが新任として若変えるのは良いが、新入社員になることには非常に不慣れであった。私は戸惑っていたが、私を仲間に入れようとする新同僚たちの反発も当然あったのだろう。彼らは「こちらではこちらの仕方がある」というような表情をしていたのも当然である。新任者は一人、既成のメンバーは多数であり、適応するのは心苦しいこともあった。しかし適応の方法は簡単である。新人という位置の意識、発言なし、無能力者になることが賢明な方法であった。
 考えてみると私の人生にはもっと大変なことがあった。韓国で陸軍士官学校の教官、政府の常勤文化財専門委員を一気に放棄して日本に留学した時は唯一の身分は学生であり、自国語を失い、全く無能力者になってしまったのだった。ドン底に落ちてしまったのである。高齢になってから見ると自分の人生のドラマの脚本のように全体が見えてくるが、当時は一寸先も見えない不安な人生行路であった。ドン底に落ちた経験を持つ人は少なくないかもしれない。しかしそれは貴重な経験であった。それをどのようにこなすかは当人の運命を決めるのであろう。
 *写真は窓から見る火の山の麓と関門大橋

『甦る民俗映像』

2016年04月02日 04時57分45秒 | 旅行
先週「日本映像民俗学の会」の会場の法政大学市ヶ谷キャンパスにて岩波書店の編集局副部長の馬場氏からDVDブック『甦る民俗映像―― 渋沢敬三と宮本馨太郎が撮った1930年代の日本・アジア ――』を執筆者として献本して頂いた。国立歴史民俗博物館でのシンポジウム以来出版を準備して完成されたものである。これまで公開されることのなかった,渋沢敬三が創ったアチックミュージアムで制作された渋沢・宮本の動画作品のほぼすべてを高画質のデジタル映像で再現.1枚2時間6枚組のDVDと詳細な作品解説の書籍をボックスで提供.コラムとフィルモグラフィーを付す.30年代の日本各地および朝鮮・台湾・樺太の生活の映像と合本した本である(A5判・並製・480頁)。編集委員としては1930年代に撮影した宮本馨太郎氏の息子の宮本瑞夫先生をはじめ佐野賢治,北村皆雄, 原田健一,岡田一男,内田順子,高城玲の諸氏である。
 私は「記録と記憶」という一節を寄稿した。日帝植民地史を遡りながら調査をしているうちに私は文書から画像へ、さらに動画の映像・映画へと向かって行った。多くはプロパガンダ的なものであったが、中にはその時代の生活ふりを覗いてみることができた。同時期において国策映画やプロパガンダ映画が多く作られて多くの人が影響された。それは今CMに影響されるのと似ている。しかし多くの人はそのような脈絡とは関係なく、映像を作り残している。植民地の京城での生活、花見の盛りあがり、喫茶店やバーなどでコーヒーやビールを飲み、ファッション街の通りなど人間が生きている動画には私は大きなショックを受けた。映像を通して植民地研究をすると決心し、植民地期の映像に関心を持った。1936年の映像記録の「朝鮮多島海探訪記」「蔚山達里農楽」は当時盛んに作られた国策映画とは違って、当時の民俗学や人類学の映像として新鮮さがある。韓国の戦前の記録映像の唯一のものである。麦わら帽子に巻いたリボンが映画フィルムであることに気が付いた。私は子供の時にこのフィルムのリボンを巻いた帽子をかぶったことがあり、映っている画像を観察した覚えがある。このようにフィルムを切り売ったので保存されなかったことが分かる。
 




鰊漁の力強い男性合唱

2016年04月01日 05時27分23秒 | 旅行
 昨日は年度末の日、閑散としたキャンパスの研究室で読書会を行った。1960年以降間歇的はあったが続けてきた。恩師から見習ったことである。毎週曜日、日にちを決めて一人でも二人でも続けて本を読んで議論するという形式である。一時啓明大学ではメンバーが40人ほどまで増えたことがあった。日本留学時代以降も続けた。ただ楽しい時間である。昨日は博士課程の中国留学生の宮さん、メンバーの倉光誠先生の3人であった。私が前日曜日に東京で行われた日本映像民学の会の「海域の植民地」の報告をし、それを議論のテーマにした。
 会で話題にした国策映画の「国策」とは何かの問題である。今、国立、国家公務員など日常的に使われている言葉も戦争などの敵国のことであれば異様に感ずる。植民地という言葉も同様である。戦前には日常的な言葉が「国策」であることに戦後教育を受けた倉光氏は戦前とは断絶、戦前のことは検討する余地もなく無知であったのに国策ということばには戸惑うような感じがあると言う。意外な反応があった。ただ反米平和運動に参加したことがあったという。私は戦前に戦争賛美した人たちの反米平和ではないかと疑問を提議した。民衆は天皇に関する態度からも戦前と戦後は断絶せず連続しているようだという意見は一致した。
 植民地時代の国策映像の中から国策精神への批判、ナレーションにも注意すべきであろう。民族音楽研究者の酒井正子氏が

「北進日本」の鰊漁の力強い男性合唱には感銘を受けました。音頭一同であったり、二手に分かれて音程を変えハーモニー感覚を伴っていたり。声もよく揃って素晴らしい男性合唱でした。集団の作業はほかにも沢山あったのに、何故鰊漁に突出して優れた作業歌が伴っているのか、考えさせられます。小島美子さんが以前北海道の映像を、少しTVで紹介していました。大変充実した記録で素晴らしかったです。

会長の北村皆雄氏は「今回の大会は今までの中でも指折りのものであったと思います。成功は先生の力に依る所が大です。」と身に余るお言葉を頂き恐縮している。

 私はこれから大会の報告書作成に入る。