崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

盤石の上の信仰

2016年04月16日 06時31分43秒 | 旅行
今朝午前1時25分頃熊本地方の地震、震度6強。下関でも酷く揺れた。4回ほど断続的に揺れた。棚の上の花瓶や人形などが落ちた。花水用のバケッツの水もこぼれた。私は命が安全であっただけで感謝している。昨日韓国ソウルから来た中学生団体37人の来校を歓迎した。熊本へ行く日程であったが地震に驚き、引率の先生たちの賢明な判断で下関に泊まることになった。熊本ではどうであろうか想像して地震の怖さを実感している。このような経験は日本で4,5回ほどしている。なぜ基盤が揺れることで怖くなるのだろうか。愛犬ミミも怖がって吠えていた。命あるものの本能的なものであろうか。人々は堅い基盤の上に生きている。人によって盤石の上の信仰、家族、職場、国家などであろう。しかしそれが不安定、壊れることもある。土がただ堅く固定していることが如何に大事なことであるか考えさせられる。
 日本文化論の授業は大変良くできた。留学生の多い授業であり、サンダル教授の負の歴史は継続か、断絶かについて討論してみた。まず映像のポイントを知らせ、数回繰り返して見せてから自分の意見をメモするようにしてからメモを見ながら意見を発表するようにした。植民地や戦争の歴史を今の学生たちは責任がある、責任がないと分かれた。時間の関係でその討論まで行かず多様な見方があることを理解することになった。私は政治家たちが歴史を利用する傾向を指摘した。例えば韓国は日韓親善を言う時は朝鮮通信使を、日本を悪く言う時は慰安婦の問題を出すなどである。しかし私の意見はあえて強く言わなかった。彼らに考えてほしいからである。熊本の地震は韓国馬山地域にも影響し、マンションなどが揺れて、外に飛び出す人々もいたという電話があった。