今日は大学の入学式、キャンパスの桜が丁度満開である。新任の教員の中には私と同年配の方もいる。広島大学の経歴もあり、今度同僚となる。高齢者の再就職となる。私がこの大学へ再就職した時を思い出す。前職では最高のシニアとして引退の気持ちいっぱいであったのに再就職においては新任教員、一番下の身分であった。いろいろ転職してきた私は昇進したこともあったが新任として若変えるのは良いが、新入社員になることには非常に不慣れであった。私は戸惑っていたが、私を仲間に入れようとする新同僚たちの反発も当然あったのだろう。彼らは「こちらではこちらの仕方がある」というような表情をしていたのも当然である。新任者は一人、既成のメンバーは多数であり、適応するのは心苦しいこともあった。しかし適応の方法は簡単である。新人という位置の意識、発言なし、無能力者になることが賢明な方法であった。
考えてみると私の人生にはもっと大変なことがあった。韓国で陸軍士官学校の教官、政府の常勤文化財専門委員を一気に放棄して日本に留学した時は唯一の身分は学生であり、自国語を失い、全く無能力者になってしまったのだった。ドン底に落ちてしまったのである。高齢になってから見ると自分の人生のドラマの脚本のように全体が見えてくるが、当時は一寸先も見えない不安な人生行路であった。ドン底に落ちた経験を持つ人は少なくないかもしれない。しかしそれは貴重な経験であった。それをどのようにこなすかは当人の運命を決めるのであろう。
*写真は窓から見る火の山の麓と関門大橋
考えてみると私の人生にはもっと大変なことがあった。韓国で陸軍士官学校の教官、政府の常勤文化財専門委員を一気に放棄して日本に留学した時は唯一の身分は学生であり、自国語を失い、全く無能力者になってしまったのだった。ドン底に落ちてしまったのである。高齢になってから見ると自分の人生のドラマの脚本のように全体が見えてくるが、当時は一寸先も見えない不安な人生行路であった。ドン底に落ちた経験を持つ人は少なくないかもしれない。しかしそれは貴重な経験であった。それをどのようにこなすかは当人の運命を決めるのであろう。
*写真は窓から見る火の山の麓と関門大橋