崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

講演

2016年04月28日 05時54分24秒 | 旅行
 晴れても薄曇りの日、遅ればせながらの桜の花見、ここでは自然な季節であるが異国風景に感じた。大連一の海水浴場の金石灘に行った。夏までは閑散な海岸、海には魚養殖の船が密集している。内モンゴル大学の温都日娜氏が来られて12年ぶりの再会。彼女が広島大学留学時代大病をし、指導教官であった私が親代わりに面倒をみたことを憶えている。前日の夕食は中華料理、昨日の昼食は朝鮮族の「田舎の家」でいただいた。私の注文は韓国式の納豆湯であった。懐かしかった。朝鮮族の人は韓国や北朝鮮に美味しい料理が無いといった。私が時々「日本には料理がない」と行って日本人がびっくりすることがあるように。
 大学での講義は学部長により私の紹介で始まった。通訳と司会を兼ねて広大時代の私の学生だった呂秀一教授が勤めた。まず使用言葉を日本語、韓国語かどちにするかと聞かれ、一瞬躊躇した。日本語を知っていると挙手した学生が6人、韓国語はなし、英語はほぼ全員が挙手した。それで私は自己紹介を英語でした。反応は意外に大きかった。日本留学してから日本が好きになって韓国で「親日派」という汚名への反感から日本植民地研究、そして西欧諸国の植民地へ広がって行ったことを日本語で説明した。好き嫌いは大事な感情ではあるが、もうひとつ大事なことは客観、中立の態度を持つべきことを強く主張した。メモと質問時間も持った。結局植民地史、負の遺産とは言われても発展に持続するものではないかという学生の意見がでた。それを持って講義を終えた。引き続きオンドロナ氏の「国境地域の社会調査」に関する講義を楽しく傾聴した。
 夜の歓迎会には大学の学部長らと私の教え子がそろった。北朝鮮の女性が働いている大連鴻賓樓酒店であった。中国式の晩餐会で順番で祝辞や話たいことをはなすことになって私にの恩恵の言葉が多く、照れくさく、逆に感謝であった。後半には北朝鮮の二人の舞女が登場してカラオケ歌、孫連花氏が加わって登場し盛り上がった。最後に果物皿が出てから終わりと言い、閉会辞で終わった。良かった、無事だった。