崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

書信から読む牧師先生の人生論

2016年04月17日 06時19分58秒 | 旅行
先日下関韓国教会で行われた日韓合同礼拝で説教と講演をなさった牧野邦久牧師からお手紙をいただいた(写真の左から2番目)。私信ではあるが拙著『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたのか』へのコメントが含まれている。考えさせられる点が指摘された。「ご自身の自伝を含めての著作」「地上戦を現状で体験され、心象のまま、誠実な記載に敬服いたしました。私も戦中は、横浜での空襲で実家を焼却し、祖母は焼死しました。10歳頃の体験は、意外に冷静というか、もの知らずというか、成人してからの思いとは異なる感があります」「戦争と性の問題をリアルに認識されての著作」「日本軍の従軍慰安婦問題」「沖縄においてはレイプの件数が多く、これは全て報告されない、表に出ない」
 特に私の主点である貞操の問題に次のように指摘してくださった。儒教の貞操理念の高い村人が自衛のため慰安婦を受け入れざるを得ない「屈辱的な選択により変容した現実は重く、深く考えさせられました。人は悲しいかな、関係を生きるものであり、状況をどのように生きるか選択の可能、不可能の中で生きることの課題を考えています」。「日本人の貞操観念は、思想的にも、理念においても「あいまい」なことが常に伴います。「おおらか」というか、遊郭、赤線という公然とした場が昔からあり、戦国時代においても大名、将軍の傍らにはべる小姓(太刀持ち)も明らかに女性を伴えない戦場での性の用具であったこと。性に関わる人間生活を深く、広く考察する必要があります」といい、「性愛が広く人格的、情感的、感性において、生理的に、相互信頼において、広く人間生活にとって総合的な性の交わりであり、豊かな喜びを共にする局面であり、その豊かさを経験してもらいたいものです」とまで広く展開している。拙著へのコメントより牧師先生の人生論そのものに私は感動した。