崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

佐野賢治『宝は田から』(春風社)

2016年04月12日 05時26分29秒 | 旅行
 一昔前までの生活は記憶にある。しかし知っているのは全体像ではない。人によって辛い経験や楽しい思い出で描くかもしれない。時代によって生活の全体像を描くことは難しい。私が戦前生まれ育った韓国の農村をもって全体像として持っているが、当時の韓国社会の一部に過ぎない。部分は全体の一部であると点綴して、それをもって全体を想像するのも無理であるように感じている。1930年代の映像や画像、雑誌などを読むと我が農村とはかけ離れた世界があったのを知っている。その生き方に迫ってみたい。
 当時日本の農村ではどうであろう。佐野賢治氏の「仕合せ」の農村民俗誌『宝は田から』を読んだ。植民、開拓移民、戦争などに巻き込まれながらも村は村として村民の生活のパターンがあった。その一つが「幸せ」というキーワードである。日本では漢字語ではなく「しあわせ」「仕合せ」ということばがある。韓国では幸福、福という漢字語があって固有語が見当たらない。セマウル運動の標語の話題で探したのが「よく生きる」(잘 살다)という言葉である。それは主に経済的に豊かになることではあるが、幸せを目指す言葉として歌われたのである。佐野氏は自然とのかかわりの中で生きる人々の生活を描き多少分析的に触れている。子供、女性・嫁の“幸せ”な―日常性、“知恵”と“知識”の100年前の日本農村を描いている。私は佐野氏の幸せな表情と合わせながら読んだ。