崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

後期植民地

2015年08月08日 02時57分29秒 | 旅行
 新幹線で予定通りに着き、広大で9時に授業は始まった。私のコンピューターのコードが合わず戸惑った。受講生や聴講生は日本人、中国人、フィリピン人、バングラディシュ人などで英語、日本語、中国語など同時通訳が3グループ、日本語のレベル差もあって進度はやや遅らせざるを得ない状況であった。英語と日本語での授業になった。私が在職した時代に比べてはるかに国際化が進展しており、外川先生は国際協力研究科という名称が無用な感、大学全体が国際化になっているという。日本のナショナリズムの主要学科の国文学科さえ留学生が多く、国際化になっている。
 戦後の後期植民地におけるさまざまな植民地や戦争の遺産から世界をみるテーマとした。フィリピン人はアメリカの植民地や英語について否定的ではない、つまりアメリカの支配についてそれほど否定的ではない。しかしバングラディシュの学生は英語はインテリーの言葉であり、英語に否定的で、ベンガル語が尊重されていると言う。パラオ、台湾、アフリカなどでも植民地史にそれほどアレルギー反応はない。しかし日本に一番近い韓国の反日感情、英国に一番近いアイルランドの反英感情は極端に強い。それについてはアメリカなどの植民地はフレンドリー、日本の植民地は強制があった差ではないかと言う意見があった。植民地開発によって豊かになった先進国例えば南アフリカ、シンガポールなどがある反面、独立してから内戦などで貧困国になった国も多い。植民地が戦後の発展に肯定的にプラスになったか否に関しても議論した。中国の学生は植民地による近代化はなかったという。私は戦後の韓国に植民地による経済、教育などの影響を例にした。植民地遺産の影響に納得したようである。
 もう一つのテーマは広島の平和記念館や南京虐殺記念館を見た人がどうして平和な心を持てるかという問題であった。悲惨な被害状況をみて平和を考えるのは一つの解釈や理屈であり、素直な感情ではないだろうということである。それが私の実感であるからである。つまり本欄で時々言及したように戦争を以て平和を語ることが正しいのかということである。差別を教えながら平等を教えることなどは、むしろ差別を習うようになる気がする。戦争を持たずに平和な心を教えることはできないのか。ウームと考えてしまった。醜いものを以て美を感ずるのではなく、美を追求するように平和を追求するのはできないのか。根本的な問題に迫っていった。
 さらに問題になるのは、戦前の価値観が戦後に変わったように、今の我々の価値観は変わるはずである。例えば慰安婦問題を考えてみよう。若い兵士の性欲は無視してよいのか。慰安婦の人権と同様青年(軍人)の性欲は去勢、抑制、男子貞操を主張するのは人権の問題にはならないのか、また価値観が変わるかもしれない。強姦や売春は触った人が蔑視されるが慰安婦は英雄化されている。性を蔑視しながら人間は性関係によって子孫を繁栄してきたではないか。もっと熟考する必要がある。講義は今日も9時から始まる。学生たちの真面目さに驚く。