崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「大和撫子」

2015年08月09日 04時26分54秒 | 講義

今日は長崎に原爆が投下された日である。イノセント無辜な人を大量殺人したともいえる残酷なことである。その被爆の残酷さを英語式で表現するといくら強調してもし過ぎることはない(too~to)。しかし昨日の朝日新聞によれば博物館などで日本の「加害展示」はしないようにするという。戦争の敗戦被害を強調するのだろうか。第二日目の講義では慰安所の写真として最も頻繁に利用される中国武漢で撮られたこの写真を読み取ることからはじまった。学生たちには初めて見る新鮮さがあったようである。右柱の「聖戦大勝」とは?。特に「聖戦」イスラム国などで使われている恐ろしい自爆のジハードだけではなく、日本も「聖戦」と言ったのか。なるほど自爆はいま頻繁にメディアに登場する「勇士」の「特攻」であった。当時西洋から見た日本とは今世界から見るイスラム国のようであったのだろうかと想像する。
 左柱の「身と心を捧ぐ大和撫子のサーヴィス」とは何だろう。学生たちから鋭い質問や意見が多く出た。垂れ幕を立てた人は?、「身と心を捧ぐ」の主語は何だろう。今では足指マッサージの休息店のように感ずる。「大和撫子」とは今日本代表の女性サッカーの名称にもなった「日本人の女性」である。もしこれが宣伝看板のようなものであれば他の慰安所や遊郭つまり中国人や朝鮮人より日本人の女性の格が高いということを示唆するのではないかなどの意見が出た。卓見であった。当時ビルマの朝鮮人慰安所帳場人が自分の所を「慰安所」といいながらビルマ人の「遊郭」はきたないと書いていた日記を思い出した。日本人の慰安所をはじめその他の慰安所とサーヴィス営業の競争をしていることが文脈からわかる。「捧ぐ」とは慰安の「心」であろう。しかしサーヴィスは主にセックスである。セックスだけではなく、将兵たちを慰安する。朴裕河氏が言った「疑似家族」という機能ももっていたのかも知れない。このように延々と質問と答えが繰り返されながら講義はタイムオーバーになった。
 伯亜ホテルまで35度の暑さの中、大学校内を熱中症を心配しながら歩き、立ち止まって夾竹桃の花を一カットカメラに収め、講義が避暑であったことを実感した。