先日卒寿(90歳)を迎えた古川薫氏の『君死に給ふことなかれ』を読了した。古川氏の人柄や経歴などを知っており、自伝小説であることを知った。それについて著者が後書きに「この物語りは僕の私体験に基づいていますが、かなりの虚構を用いているので、あくまでも小説として読んでいただかなくてはなりません」と書いてある。著者の古川氏と同様主人公の深田隆平は1925年生まれ、主に太平洋戦争末期を描いている。軍国少年でありながら小柄な隆平は「火薬の臭いとともに育ち、疑いもなく軍国少年だったが、陸軍士官学校や海軍兵学校に進学し、職業軍人になるエリートコースを志願したり、飛行機乗りになろうと思わなかったのは、非力な体格を自覚していたからでもあった」(35ページ)。「神風」には劣等感のような感情を持っても空を飛ぶ夢をもって日立航空機羽田工場で働いた。劇的な時代に平凡な青年であっても徴兵されて「内務班」生活、挺身隊の女性と恋があり、自分がメモした「栄光ノ赤トンボニ祝福ヲ。武運長久ヲ祈リツツ本機ヲ誠心整備ス。羽田工場技師補・深田隆平」と書き入れた飛行機赤トンボに乗った特攻隊の兵士M・K氏から手紙が届く。玉砕が心に残り戦後墓参りに宮古島へ、そして終焉となる。
英雄でなく平凡に生きてきた凡人が英雄のようにされる戦後、70周年の記憶はさまざまである。私も時々小説で自分史など書きたい時がある。最近朝鮮戦争の記憶について小著を上梓した。記憶のみで社会的時代的検証はしなかった。間違えているかもしれないが記憶のままにした。記憶はそのまま貴重だと思っているからである。この小説を読みながら読者も記憶と虚構がどう混ざっているのか気になるだろうと思う。おそらく恋や特攻隊などはフィクションであろう。それより全部をフィクションとして虚構と思うべきであろうか。フィクションの中の真実は何かに注目すべきである。過ぎた過去の価値観と今生きている現在の価値観は異なっていることであろう。今の価値観は過ぎ去ってから非難されたり、評価されたりするはずである。未来の価値観とは何だろう。それを問いたい。
英雄でなく平凡に生きてきた凡人が英雄のようにされる戦後、70周年の記憶はさまざまである。私も時々小説で自分史など書きたい時がある。最近朝鮮戦争の記憶について小著を上梓した。記憶のみで社会的時代的検証はしなかった。間違えているかもしれないが記憶のままにした。記憶はそのまま貴重だと思っているからである。この小説を読みながら読者も記憶と虚構がどう混ざっているのか気になるだろうと思う。おそらく恋や特攻隊などはフィクションであろう。それより全部をフィクションとして虚構と思うべきであろうか。フィクションの中の真実は何かに注目すべきである。過ぎた過去の価値観と今生きている現在の価値観は異なっていることであろう。今の価値観は過ぎ去ってから非難されたり、評価されたりするはずである。未来の価値観とは何だろう。それを問いたい。