昨夜韓国のKBS9時のヘッドニュース15分は安倍総理の靖国神社参拝に関するものであった(写真)。最悪の日韓関係をもっと悪くしたので何と表現したら良いのか。「最々悪」「極悪」…というのがろうか。韓国の聯合通信はその最悪を「メガトン級」と言っている。喧嘩や戦争に近い状況であると言えるが、安倍氏は「積極的平和主義」と言っているので戦争にはならないだろと安心した。平和主義、すなわちパシズムPacismには暴力と戦争は含まれていないからである。日本と隣国の関係が危険であることは植民地と被植民地の歴史認識の対立に因んだものであると言われる。しかし私はそれを認めない。日本の植民地であった台湾、パラオ、サハリン、北朝鮮とその他占領地との関係などは一様ではないからである。今の現象はただの競争と葛藤の日中関係、日韓関係によるものであろう。歴史認識とは名分に過ぎない。それと同様神社参拝も宗教儀礼だけとはいえない。政治的な行為ともいえる。
私は『恨の人類学』(平川出版)で怨霊や悪霊を祀ることを分析した。また祖先祭祀の研究では如何に道徳的に悪い人でも家族や親族は死者を祖先として祀ることを明らかにした。犯人の死霊を祀るのは異様なことではない。このようなことは宗教学や文化人類学では常識であるが、靖国神社の問題はこの分野をはるかに超えた国際政治の問題である。
日本、中国、韓国それぞれ正しいと主張する言い分がある。「国のために尊い命をささげられた方々に尊崇の念を示すことは大切だ」と「戦犯を祀る歴史認識の誤り」と対立している。その対立は喧嘩の論理である。安倍総理が日韓関係を意識していなかったとは思えない。むしろそれを意識して慰安婦像を立てても我慢をし発言を控え、腰を低くしても日韓、日中関係は悪く、さらに国境問題などで迫られる一方ではこれ以上我慢する必要性はないと思っているようであるという解釈もある。喧嘩するときはなんでも非難攻撃するようになる。喧嘩や政治は裁判ではない。解決を求めようとするとき裁判が必要である。
最近自民党と野党の対立を見ていると韓国側は日本の共産党と似ていると感じる。幸いなことは日本では自民党に反対する野党が健全であることである。中国のような独裁政権とは質を異にする。日本や中韓が「靖国参拝」を政治問題としないことを願う。
私は『恨の人類学』(平川出版)で怨霊や悪霊を祀ることを分析した。また祖先祭祀の研究では如何に道徳的に悪い人でも家族や親族は死者を祖先として祀ることを明らかにした。犯人の死霊を祀るのは異様なことではない。このようなことは宗教学や文化人類学では常識であるが、靖国神社の問題はこの分野をはるかに超えた国際政治の問題である。
日本、中国、韓国それぞれ正しいと主張する言い分がある。「国のために尊い命をささげられた方々に尊崇の念を示すことは大切だ」と「戦犯を祀る歴史認識の誤り」と対立している。その対立は喧嘩の論理である。安倍総理が日韓関係を意識していなかったとは思えない。むしろそれを意識して慰安婦像を立てても我慢をし発言を控え、腰を低くしても日韓、日中関係は悪く、さらに国境問題などで迫られる一方ではこれ以上我慢する必要性はないと思っているようであるという解釈もある。喧嘩するときはなんでも非難攻撃するようになる。喧嘩や政治は裁判ではない。解決を求めようとするとき裁判が必要である。
最近自民党と野党の対立を見ていると韓国側は日本の共産党と似ていると感じる。幸いなことは日本では自民党に反対する野党が健全であることである。中国のような独裁政権とは質を異にする。日本や中韓が「靖国参拝」を政治問題としないことを願う。