崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「骨をどこに埋めるつもりか」

2013年12月08日 04時56分45秒 | エッセイ
  
私と縁の深い堀麗子氏の長男の広島市立大学の堀研氏の「スケッチ展」を見に行った。彼の生まれ故郷の湯玉の隣村の豊浦町小串の夢が丘中学校で行われた。イタリア、ネパール、中国、ソ連、アメリカなどでの50余点のパネル展示の前に立ってライオンズクラブ主催で血縁、地縁、学縁中心の観客80余人の前でハンドマイクを持って説明するギャラリートークで彼は異なった地理や文化の中でその生きている人々の生活、雰囲気、空気を体で感じてスケッチしたものであり、写真は一つの瞳で撮ったものといえばスケッチは全身で感じたものを描くと強調した。スケッチとは現場で直接見て描くものであり、記憶して描くものではないと。まずパステル、水彩などで色で描いてから鉛筆で中身をスケッチすると言う。鉛筆で書いた上に塗っていくようなぬり絵はしないという。
 そこから湯玉へ、堀麗子氏宅を訪ねた。数年ぶりでお会した。現在87歳、足は不便であってもお元気であった。彼女は宇部にアトリエを作って息子の研に絵の勉強をさせた話、玄関にはひ孫静香の絵が掛かっている。堀家とは巨文島調査から知り合って30年以上、数年前は現地まで同行させていただいたことがある。一歩先に高齢化していく方をみて自分の先がわかる対話であった。のどかな漁村、そこから20世紀初めころ韓国南海の無人島へ移住して日本村を作った木村忠太郎の子孫たちなど近い歴史を振り返った。麗子氏の弟の中村彰二氏が最近亡くなられて初めて訪問した。私も地元人に近くなり、縄張りを張った郷土心をもっているように感じた。時々韓国人から荒っぽく「骨をどこに埋めるつもりか」と言われる。その度に下関だよと言っている。