崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

新年おめでとうございます

2013年12月31日 23時40分52秒 | エッセイ
例年のように大晦日の夜にはNHK紅白歌合戦をみることになっている。昨年までは必ずお客さんと一緒だったが、今晩は疲れもあってゆっくりしたくて初めて我が夫婦とミミだけであった。ちょっと寂しかったが、そろそろ孤独になれていくためとも思われる。なんとなくテレビ映像に目を留めておいた。打ち合わや練習はしたのでしょうが現場には戸惑う場面もあり、生放送の面白さがあって良かった。特に台湾との連携で、台北に80万人が集まってライブを楽しんでいることは印相的であった。日本は台湾を国交を切って中国と国交を結んだが、台湾は反日ではない。
 私は去年を振り返ってみると多くの方々のお陰で無事に過ごし、多少の成果を出したと言える。この年末にはエッセイ集が出たこと、今朝の朝日新聞に報道されたように嬉しいことである。「朝日新聞」(下関)大晦日に大隈崇氏が「日韓を愛し友好の一助」と報道してくれた。以下のようである。

 下関市の東亜大東アジア文化研究所長の崔吉城さん(73)が初の日本語エッセー集「雀様が語る日本」を出版した。韓国で生まれ育ち、日本人と結婚、日韓を往来して40年余になる崔さんが、日常のなかで感じた日本人や日本文化についてつづった。「多様な視点から書いた。日韓の理解や友好について考える助けになれば」と話している。
崔さんは韓国・楊州生まれでソウル大を卒業。文化人類学が専門で、広島大教授などを歴任し、下関に移って8年になる。タイトルは、日本ではあまりなじみのない名字「崔」の字を「雀」と間違われ、「雀様」あての郵便物が届くことがあることからつけた。「飛ぶ雀の目を借り日本文化を俯瞰してみたくなった」という。
 ブログやフェイスブックに、ここ10年ほど書きつづってきた中から反応が良かった記事を選び、加筆・編集した。前半の9項目は日本人のまじめさや儀礼について考察。後半は「文化」として映画や教育、植民地など13項目を記している。「批判も賛美もたくさんした」と崔さん。「日本はもう先進国ではない」という項があれば、「日本はまだ先進国である」という項もある。
 日韓を往来する40年の間、日韓関係は良くなったり悪くなったりを繰り返してきた。だが、「今が最悪だ」と感じている。「日韓両国を愛し、基本的に両国を肯定的にみている。この本が日韓への理解の一助になり、親善につながれば」と願っている。

 多くの読者にこの場を借りて新年のご挨拶を申し上げます。

 謹賀新年
 昨年中はおかげさまで健康に守られ、大学では日本文化論などを講義と東アジア文化研究所の行事、広島大学大学院と九州大学大学院での植民地に関する集中講義、絹代塾と映画祭での映画解説、ドキュメンタリー映画「小山上等兵が撮った日中戦争」の監督、科研の植民地研究会やパラオでの現地調査などで多忙な日々でした。新年もたくさんの方々との交わりを楽しみにしています。そしてお一人お一人の方々のご多幸をお祈りいたします
2014年元旦


寂しい別れ

2013年12月31日 07時28分51秒 | エッセイ
毎年今頃家族ぐるみで訪ねて来てくれる家族が例外なく昨日訪問してくれた。それが今年が最後になるという。夫は日本人、妻は韓国人であり、我が夫婦とは逆組みではあるが共通点が多い。二人共中国留学で結ばれて日本の下関に住むようになった。私は妻の柳鐘美氏に大学や韓国文化論の講座などの講師として協力していただいていたので大切な人材を失うことになった。夫の浅野氏の東京の名門大学への転勤に伴う家族移動であるのでしょうがないことである。ここで共にした時間の流れは二人の子供の成長を見てわかるように6年、寂しくなる。小学校の低学年の天才少年のようへい君は昆虫に関心が高く、将来ノーベル賞を目指して頑張ろうとしている。それに相応しくDVDに出してあげたレニー氏監督の「Wonder under Water」に写されている数多くの魚の名前と解説をしてくれた(写真)。はるかに私の知識を上回っている。冗談で私は彼の受賞まで100歳まで生きらなければならないと言った。
 新年の前から来年の人事異動の動きが伝わっている。このよに別れに寂しく感ずる人がいる反面、別れて良かったと感ずる人もいる。それは別離、死別などに共通のものである。その点で自分の自己評価に苦しい。妻に、友人に、同僚に、隣人に寂しく別れてもらえるだろか。昨夜のテレビで彫刻家の亡夫を思い夫が好きだったイタリアで生活している人の放映は感動的であった。

「民団新聞」に寄稿した新年随想「駅馬サル人生」

2013年12月31日 05時59分44秒 | エッセイ
「馬文化」
新年は干支で甲午年「馬」の年である。韓国では日常的に馬とは縁がなく、馬文化は定着していない。馬文化とは馬を飼育し、運搬、農耕、乗馬、馬具、食肉、乳製品など総合的に生活に密着していることを意味する。日本では馬を農耕や運搬、競馬などに利用し馬刺しを食べるほど韓国に比べて馬文化が定着している。
私は韓国中部地域の小さい農村で生まれて、父が牛の行商をしていたので我が家には常に牛が何頭かいて、幼い頃から牛には親しみを持っていたが、馬に接する機会はほとんどなかった。したがってもし牛と馬が喧嘩をしたら牛が絶対勝つだろう、馬は蹴飛ばすので足には注意すべきだが、牛は頭に良い武器の角があるので強いのだと牛に味方をしていた。
私がはじめで馬を近くて観察したのは1990年朝鮮日報派遣の学術調査でモンゴルの草原へ行った時である。当時、モンゴルと韓国はまだ国交が結ばれていなかったので、東京で暫く滞在し、読売新聞社などで調査資料を収集してウランバートルへ行った。ナダム祝祭に参加し、草原の遊牧民族の生活を40日間調査した。そこで私は初めて馬に関心を持った。
京城帝国大学の秋葉隆先生の報告書にしばしば出る、村の守り神を祀るオボを山頂で見つけた時はおもわず頭を下げてしまった。オボとは神木なるものの周囲に石を積み上げて天の神を祭るものである。そこには馬の頭蓋骨や馬を描いたヒモリという布が掛けられている。このような神木は韓国のソナンダン、日本の神社や沖縄のウタキにつながる象徴的なものである。
ナダム祝祭は弓、相撲、競馬がメーインの種目であり、少年少女の競馬には如何に遊牧民文化であるかを痛感させられた。あるゲルというテントの家でのことである。若い主婦がインタビュー途中、馬に乗って小山を越えて走って行って、羊の群れを連れてきた。馬はスピードが速い。定住農耕民とは異なるスピーディな行動、距離感もペルシアを隣村のように語るのにびっくりした。ゲルの入口には馬乳で酒を作る桶や革袋があり、馬肉を食べる。そこで馬文化を実感した。
韓国でも今は遊牧民族のように日常的に乳製品を食用とするが遊牧文化の社会ではない。19世紀フランス人宣教師のダレ( Charles Dallet)の『朝鮮教会史』(1874)によればある宣教師が韓国で動きの遅い牛を農耕に利用するのを見て、農夫に早い馬を使って耕すのはいかがかと言ったら貴方の国では犬をもって農業をするのか、と皮肉の言葉が戻ってきたと記している。済州島では農耕に馬を利用したと言われたが、それはモンゴルの影響といえる。

「新年は甲午年」
午年の運数はどうだろう。新年の初めから言うには不適切かもしれないが、運に関しては真剣に考えない方が良い。一般的に午年生まれは結婚運 に関しては、特に女性は気が強く、結婚運 が悪いと言われている。また駅馬煞(サル) の厄運と言われることもある。元々煞(サル)とは「(運)数」ともいわれ、昔はムーダンを呼んでサルプリ・煞(サル)払いを行うことが多かった。紅い高粱で小さい餅を作りそれを弓の矢につけて射,雑鬼を払う儀礼を私は調査したことがある。
私も在日同胞も「駅馬煞(サル)人生」つまり駅馬の運であろう 。駅馬とは文字通りに駅の馬であり、人や物を運搬する馬の運、落ち着かず、あちこち放浪、引っ越しなどが多いことを意味し、悪い運とされている。つまり一定のところに定着せず流れ「放浪する人生」を指す。
私は同胞の1世の方との付き合いが多い。自分の意思で日本に移住してきている私はニューカーマーであり、前から日本に住む同胞のオールドカーマーたちをみると故国離れて他郷暮らしの悲しさや惨めさが伝わって来る。藤沢の民団 でアルバイト、社員旅行に同行し、銀座の地下のバーやキャバレーにも同行させていただいた時、彼らは悲しく李美子の「タヒャンサリ(他郷暮らし)を歌うのをよく目撃した。私は彼らが故国と故郷を離れ、恋しく、懐かしく歌っているのをみて心から深く感動し、同情もした。
日本植民地時代には自他意問わず多くの韓国人が強制、半強制の動員や移住によって故郷を離れて中国、満州、樺太、沿海州、南洋群島、日本などへ移動した。戦後本国への帰還事業が大規模に行われたが多くの同胞は現地に残った。戦前の帝国時代には国際化のような現象が起きたが、終戦とともに戦後冷戦時代、国家のナショナリズムによって国境意識が高まり鎖国時代のようになった。21世紀になってようやくグローバリズムが叫ばれても以前と同様、あるいはより厳しく民族主義や国粋主義が目立つようになっている。しかし今時代は変わっている。
なにより意識の変化である。たとえば客死や放浪が悪く思われる時代では放浪や旅にネガティブであったが、ロマンティクに思われる時代に代わった。韓国では女性の人権が高くなり、女性大統領を出した。自ら「駅馬サルだ」と自称する人さえ現れるようになった。韓半島の外、海外の同胞が国際化の時代には活力あるディアスポラになった。在日同胞は世代を重ねながら日本に適応し、本国との関係の繋がり網として役割を強化してきている。
一方グローバリズムやナショナリズムがいたるところに夢とロマンスを持たせたが、その陰にはナショナリズムと民族主義・国粋主義が固まっていて、新しい問題点として現れた。国家は国土、領土への関心を高め、国家間の関係を悪くしている。それは日韓の両方において同様であり、最近日韓関係が最悪の状態になっている。韓国では反日感情が高まり、日本ではヘートスピーチが行われている。
その根源を探って考えてみると土地と人の関係の感情から出たものといえる。生まれ故郷への愛郷精神、縄張り意識に起因したもの、最近はそれに基づいて村おこしなどを行っている。その考え方を革新すべきであろう。私は川崎の故李仁夏牧師が『寄留の民の叫び』という本で主張した「寄留者精神」を受け入れる必要があると思う。しかし、このことばは在日の方々に届いていないのが残念である。李牧師は日本社会において在日外国人が厳しい差別におかれた「寄留の民」に「抑圧する理不尽な力から解放され、自由になろう」と叫んだ。人はある土地に寄留しているにすぎないという認識である。「寄留とは一時的に身を寄せること」 である。在日同胞だけではなく、「土地の者」の権利を主張している日本人にも言うメッセージである。聖書は「わたしたちはこの地にあっては寄留者、旅人である」と教えている。オールド・カーマーの「在日」もニューカーマーも日本人も「寄留の民」であるということである。
「土地の者」意識を持つ日本人と、「在日」が民族や国家の壁を乗り越えて「寄留の民」として平和に共生を願うのに新年の午年のメッセージは大きい。