パラオも今日で4日目、歩いて国立博物館に着いた。先日市内ツーアでは概略的に見回ったが再び詳しく見ることにした。短い滞在中に二度目の、ナショナルミュージアムを見ることは私にとっていかに重要な意味のある施設であるかといえる。早速日本人の女性事務員の井上氏に図書室に案内していただいた。展示自体に関心があったのでまた入場料を払って入館した。写真撮影は禁止のため、メモを取り、家内が説明を読み私が録音した。スペイン、ドイツ、日本統治時代を二階で詳しく展示しているが、アメリカの展示は一階であり、粗末なものであった。パラオの歴史は全てが植民地史であり、それを自国史にするしか仕方がなかったのかもしれない。外国による侵略と収奪さえも、開発近代化と表現しているようである。
ベラウ国立博物館と在パラオ日本国大使館の共催でベラウ国立博物館設立50周年記念展示の「日本統治時代パラオの歴史と文化」という展示を集中的にみた。「日本植民地が現存」しているような展示のように感じた。日本統治時代に原住民たちを内地観光させたことが、私との共同研究メンバーであった飯高氏の文が展示されていた。植民地からの内地観光は朝鮮でもほぼ同様な内容で行ったので日本帝国の植民地政策として行われたことがわかった。原住民のための公学校で教育を受けた人の懐かしい当時の思い出と、戦争の被害の証言を紹介している。博物館のカフェではクリスマスキャロルのピアノ演奏が行われていた。
終戦70年弱過ぎても日本との関係は有効の関係をはるかに超えて親密になっている。時差もなく、日本語がほぼ通じる、戦跡も含む日本文化が多く残っている。多くの日本人がなにも大きな不便さを感じず日本の免許証で一ヶ月以内であれば国際免許証がなくてもそのまま運転もできるという。戦前多くの日本人が移住して住んだ。
年中28度から30度の常温、湿度80から90パーセント、お酒に酔って外で眠っても死ぬことはないと言われている。今日本は真冬の寒さを避けてダイビング、水泳を楽しめる。住所はなく、信号もなく、バナナ、パパイヤ、各種花が咲いて楽園である。私は強い日差しの中、日笠をさして歩きながら檳榔の木の美しさに焦点を当てる。バイBAIという伝統的な集会所の周りにはクリスマスを迎える準備のためにサンタクーロスの飾りが異風景に感ずる。バイは朝鮮半島の南にある茅亭と同様なものであり、昔韓国で南方文化起源説として議論したことを思い出した。
日本が委任統治して夢を賭けた旧植民地、まだ現にも南国の理想郷として、日本人の「楽園エデン」として生き残っているようである。全てを終えて明日午前には帰宅する。楽園から俗世へ戻る。それは外から見える楽園に留まらず住む人にとってもそうであって欲しい。
ベラウ国立博物館と在パラオ日本国大使館の共催でベラウ国立博物館設立50周年記念展示の「日本統治時代パラオの歴史と文化」という展示を集中的にみた。「日本植民地が現存」しているような展示のように感じた。日本統治時代に原住民たちを内地観光させたことが、私との共同研究メンバーであった飯高氏の文が展示されていた。植民地からの内地観光は朝鮮でもほぼ同様な内容で行ったので日本帝国の植民地政策として行われたことがわかった。原住民のための公学校で教育を受けた人の懐かしい当時の思い出と、戦争の被害の証言を紹介している。博物館のカフェではクリスマスキャロルのピアノ演奏が行われていた。
終戦70年弱過ぎても日本との関係は有効の関係をはるかに超えて親密になっている。時差もなく、日本語がほぼ通じる、戦跡も含む日本文化が多く残っている。多くの日本人がなにも大きな不便さを感じず日本の免許証で一ヶ月以内であれば国際免許証がなくてもそのまま運転もできるという。戦前多くの日本人が移住して住んだ。
年中28度から30度の常温、湿度80から90パーセント、お酒に酔って外で眠っても死ぬことはないと言われている。今日本は真冬の寒さを避けてダイビング、水泳を楽しめる。住所はなく、信号もなく、バナナ、パパイヤ、各種花が咲いて楽園である。私は強い日差しの中、日笠をさして歩きながら檳榔の木の美しさに焦点を当てる。バイBAIという伝統的な集会所の周りにはクリスマスを迎える準備のためにサンタクーロスの飾りが異風景に感ずる。バイは朝鮮半島の南にある茅亭と同様なものであり、昔韓国で南方文化起源説として議論したことを思い出した。
日本が委任統治して夢を賭けた旧植民地、まだ現にも南国の理想郷として、日本人の「楽園エデン」として生き残っているようである。全てを終えて明日午前には帰宅する。楽園から俗世へ戻る。それは外から見える楽園に留まらず住む人にとってもそうであって欲しい。