崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「嫌われる」

2013年12月22日 04時41分07秒 | エッセイ
 昨日西日本で最低気温吹雪や雨の時、絹代塾で10人で同僚の山本達夫准教授の解説による映画「ヨーロッパ・ヨーロッパ」の上映があった。第二次世界大戦下で主人公のサリーは生まれてすぐユダヤ教によって神との契約である割礼をされた。それはユダヤ人の印として彼にとって大きく障害になってしまう。ナチスの迫害を逃れるためにポーランドへ行き、そこでも一家はバラバラになり、彼は敵国のソ連の施設に入り、ソ連軍、ドイツ軍の兵になり、敵・味方、それぞれの両国の間で悩む。ドイツのヒトラーユーゲントに入り、レニという少女に出会い、恋をするがユダヤ人という正体の割礼がバレてしまう恐れから性行為ができなかった。彼の恋人は他クラスメートとできて妊娠した。それを知って絶望する。実話でありながらフィクション以上のフィクションのような事実、ユダヤ人の悲劇が圧縮された映画である。山本氏は上映の前後にユダヤ人の差別の歴史について語った。
 私は日本社会の差別に照らして考えた。主人公のサリーにとって割礼を隠す、それはキリシタンにおける踏絵のようなものである。サリーにとって割礼は信仰の印、その意識はあらわすことができない。ただユダヤ教を背景にして他のキリスト教信者と対面して信仰を隠している場面はクリスチャンである私にとってつらい場面であった。しかしユダヤ人差別は宗教差別というより人種差別になっている。白人同士で人種的な差別はあいまいな差別になり、隠すことができる。それがもっとも辛い、この映画の見どころであった。日本における在日差別の問題を考えさせられる。人種的に区別もつかない印(戸籍など)を探して民族差別という点で差別の構造は同様である。もう一つこの映画で重要な点はなぜ嫌われるのかである。特に主義、主張、信念、個性、創意力などを持つことは人間らしいとされて、好かれることでありながらそれがまた人に「嫌われる」という要因にもなっていることである。「好かれる」と「嫌われる」のは裏表である。