崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

地球は多様

2013年12月14日 07時27分43秒 | エッセイ
朝8時半家を出発して13時間、福岡空港からグアムを経由してパラオのパレシアホテルに着いたのは夜の9時半すぎであった。飛行機は200余人乗りのアメリカのユナイテッド中型、32番席が一番後、ある会社の社員慰安旅行の青年たちと一緒であった。スチューワーデスは黒人の中年の3人の女性と中年の日本人女性がサーブをしていた。機内と空港内にはどう見ても私一人だけ正装の老人最高齢者、最後席は乗り継ぎも、そして入管審査も最後であった。審査台が5箇所あって我が夫婦の前に立った人が何か問題があったのか審査員が出入りし、大いに遅れて結局最後になった。
グアムからパラオへ乗り継ぎの荷物チェクは厳しくて唖然とした。靴を脱ぎ、ベルトを外し、レントゲン撮影の時以上に両腕を高く丸くして挙げ、まるで捕虜たちのような姿になった。ドアが閉まり撮影のようなエアーボックスの中でサンプル図をみて笑ってしまった。今までの世界旅行で一番厳しい。観光を売り物としているところだから余計に安全を求めてのことだろうか。昔は「土人」か「野蛮人」と言われた「楽園」の今の状況はどうなっているのか。エアーボックスのような装置は北朝鮮の錦壽山宮殿に入る時を思い出した。神聖な楽園やあの世への道は払い清める宗教儀式かも知れないと笑ってしまう。観光化には役に立たないものであろう。
5時間以上「雲の上」の人になって太平洋を見下ろしながら雲の下の海を眺め考えていた。太平洋の文字通りに「たひら」「ひろい」地球儀を回すかGoogleマップを見るような想像の時間であった。灯りが点々と見える暗い闇の空からパラオに着き、遠くに来たことを実感した。楽園の初印象は暑い、脱がなければならない。1930年代の映像や画像では裸族のようであったがスペイン、ドイツ、日本、アメリカに変わり順に支配されて今に至っている。ガイドさんは日本人安藤氏、日差しの強さに注意するように言われた。今、日本の寒さとは対局である。地球は多様である。