崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

初めて行く南洋群島

2013年12月12日 15時32分24秒 | エッセイ
 今日は2013年12月13日真冬の日本から虫除けの薬を持って熱帯地域の、旧日本の植民地であったパラオへ向かう。日本植民地を研究しながら南洋群島には初めて行くことになる。今まで朝鮮半島はもちろん、台湾、満州、樺太などの旧植民地、そして占領地であった東南アジアの国々と西洋植民地のアイルランドや南アフリカなどを回ってきたが南洋群島には行く機会がなかった。今度は東洋大学の植野弘子教授が代表とする科研の分担者として調査を行うことができて感謝である。
 私はもうすでにパラオなど南洋群島の専門家と研究会などで討論したことが多い。その度私は矢内原忠雄の『南洋群島の研究』(岩波書店、全集3)に触れたことがある。出発前までにその本を読み終えて、最近の研究報告として、飯高伸五氏の論文などに目を通していく。また映像「海の生命線」画像なども持っていく。現地で自分の目で見れることを楽しみにしている。
 矢内原は日本統治下の島民の社会的経済的生活の近代化過程について述べている。つまり日本人による南洋群島の開発、日本の統治が前任国ドイツの統治と比べて、如何に効果的であったかがわかるように書いた。その他政治、経済、歴史、民俗など諸分野のことにも触れている。彼の調査当時の1933年日本人居住者は約3万人となっていたが、終戦直前には2倍以上増加した。そして悲惨な戦争と犠牲、引き上げの混乱時代になった。「海の生命線」で太平洋を支配し、守り、世界を支配しようとした勢いと夢が露の如く消えたのである。日本の植民地のなかではもっとも西洋植民地に似て、成功(?)的であったが泡のように消えたのである。
 しかしまだ日本との関係が綺麗に消えたわけではない。最近の研究をみると混血児の問題などもあり、その他多くの後期植民地現象があるという。このような先行研究を踏まえて行くが、それが良いかどうか。それが先入観にならないように4泊の間、現実をみてきたい。特にクリスチャンの矢内原氏が宣教師について多く触れていることにも注目したい。

同僚が参観に「漢字文化圏」

2013年12月12日 05時19分15秒 | エッセイ
昨日ある同僚が私の「日本文化論」の講義を参観した。嬉しかった。平常通りに行った。

 出席チェク
 導入では先週の講義で提出した感想と質問についてリマインド(日本の性と美としての芸者)させた。
 ここからパーワーポイントの画像を開いて、今日の課題は「漢字文化圏」であり、その中で日本文化はどうなっているか。
 私のエッセー近刊予定の「雀様が語る日本」(1200字)の一部を10分間読ませ、エピソードの面白さや筆者の意図の把握ができたか問う。中国と韓国の留学生から「日本人の文盲」が指摘された。それをテーマにして議論、説明する。私は主張しない。考え方や見方の多いところを紹介するに止めた。
 漢字文化圏の地図(写真)を見せる。
 中国・台湾、北朝鮮、韓国、日本の中、1940年代北朝鮮、50年代にベトナム、70年代に韓国が廃止して今は中国と日本しか使っていない。
 意味で読む中国人にとって日本の漢字は覚えにくいという。例えば「毎度有難」(メーターが上がる度苦難があるの意味)「手紙」(韓国ではトイレ用の紙)「娘」(母)「愛人」(妻) などの滑稽な変異を指摘して学生側から意見を出した。日本では地名など読めないのが多い、韓国や中国ではありえない。「下」の読みがたが14もある日本の国語施策について否定的でありながら語彙が豊富、考えるには肯定的な面もあると結論に近つけた。
 5分間感想と質問を書かせた。質問などを聞いて終了した。

 以上のように読み書き、聴き話すの4つの機能を発揮させながらプリント、映像、画像、インタネットを利用して議論し、考えるように講義した。参観した教員にも時々日本文化について説明を求め、協力していただいた。あらゆる人、材料を利用する、授業は芸術であるということばがある。