崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「日本とは仲良くしてね」という言葉を守っている

2012年11月15日 05時21分11秒 | エッセイ

 朴在圭総長の講演「東アジアの平和のための日韓協力」が予定通りに行われた。駐広島大韓民国総領事の辛亨根氏の祝辞で緊張する日韓関係においても友好関係が強調された。朴総長の講演が終わっても残り時間が30分もあったので私が出で司会者のように要約とコメント、質問を受けながら進行した。EU共同体を例にして東アジア共同体への提言が講演の骨組みであって、歴史認識の問題に私は問題意識を持ちだして二人を指名した。一人はドイツ語で評論活動をしている同僚の清永修全准教授、東アジアにおける歴史認識について在日文学者の朴仙容氏に指名して質疑を進めた。しかし余った時間をオーバーすることになって締め括らなければならなかったが彼は残った話としてつづけた。1944年京都生まれであり、母から言われた「日本とは仲良くしてね」という言葉を守っており、今後も守っていきたいという話をして、100人を超える聴衆を盛り上げたのである。形だけの行事ではなく、実のある講演会と親交であった。


創立39周年記念講演会の会場に生け花を

2012年11月14日 06時12分24秒 | エッセイ

 慶南大学校朴在圭総長と昼食をし、1970年代の話になり、懐かしく盛り上がった。教員10人ほどの大学校から現在学生1万5千人に成長させた迫力を感じた。ただ彼はお兄さんの朴鐘圭氏の政治的な権力によって作られたという一般的は通念とは異なる内容であった。彼は今日本の例を見て韓国の大学経営も参考にすると述べておられた。私は彼が30年も50年も先を見る、いわば先見の目があったことを高く評価した。彼は1970年代初め頃、極東問題研究所を設立して後に「北韓大学院」をつくり、それが政治的に認められて統一院長官になり南北頂上会談を成功させた人物である。学識兼備なる名士の講演を今日行うが市民の関心はどうであろうか。創立39周年記念講演会の会場の生け花を例年のように小生がした。明るい花を買って構内の木から枝を採って合わせて生け、大学の発展を祈る意味を込めたものである。丁度その時カント哲学の権威者であり、功山寺の住職の有福氏が現れ、立ち話をした。


慶南大学校

2012年11月13日 06時26分24秒 | エッセイ

 今日慶南大学校総長の朴在圭氏を迎える予定である。慶南大学校は1977年から2年間奉職したことがあり、古い縁によるものである。朴総長は設立者朴鐘圭理事長の弟であり、当時の同僚であった。当時の総長はソウル大学師範大学の恩師の尹泰林先生であり、それが縁で日本留学中の私が急に日本語教育科の教員として赴任することになった。ソウル育ち、東京で生活したものが当時馬山という地方に住むことは不慣れであった。当時、家内は韓国語ができず、水道水が出なくて水汲みしたり、練炭など大変であった。その時理事長の朴氏は教授アパートを建てる計画を発表し、入居することはなかったがて嬉しく思った。尹総長夫妻とは海で釣りをしたことや山登りなど楽しい時間もあり、安定する時であったが、大邱の啓明大学から誘われて転勤することとなった。尹先生とは引退後にもソウルでおあいしていたが、慶南大学とは縁が遠くなった。

 しかし慶南大学校の出身の学生たちとの子弟関係でつながり、中でも張竜傑氏との関係は強く太い。彼は啓明大学校の大学院を通してさらなる子弟関係、彼の結婚の主礼など延々と続く。彼は大阪大学から博士号をとって母校である慶南大学校へ赴任して今日に至る。彼が今日当時の同僚であった朴総長とともに下関に来られる。あれから三十数年が過ぎて朴氏との邂逅である。明日朴総長の講演を聞くことになる。感慨無量である。


「海と毒薬」

2012年11月12日 05時25分59秒 | エッセイ

 「しものせき映画祭」の準備会まではよく手伝うことができたが、本番では風邪で手伝うことができなかった。申し訳ないと思うが、同僚たちの協力により無事に終えることができて安心し、感謝したい。昨日最終日の午後は市民会館大ホールで「サマーワーズ」に続いて「海と毒薬」を観覧した。前者はアニメーションの映画で今までになれていない映画ではあるが、人間の想像力を無限に出すことに面白さを感じた。

 後者は戦争中の捕虜に対する人体実験。かなりしんどい話だ。遠藤周作の小説を熊井啓監督が映画化したものである。太平洋戦争中に、捕虜となった米兵が臨床実験の被験者として使用された事件(九州大学生体解剖事件)を題材とした。この映画では医学の発展のためには人間をモルモット化することも正当化されていることに作家は批判的な罪意識を問っている。

  病院ではなによりいのちを大切にし、植物人間でも病院側からいのちを断つことが難しい。しかも生きている人を「生体実験」したことは医学への不信なイメージを作ることになる。私(おそらく私だけではない)は手術受ける時の恐怖感を持つようになったのであろう。この映画が名作であろうか。トークショーでは賞をめぐる周辺的なはなしはあっても肝心な問題点の話はなかった。私がピンと外れたかな。


恨(ハン)

2012年11月11日 07時45分17秒 | エッセイ

 風邪で声が出にくかったが、「風の丘を越えて」の上映の前に解説した。1960年代全羅道で被差別集団のムーダンを調査したこと、そのムーダンつまり巫俗から生まれたパンソリ、旅芸能人の生活、パンソリと恨の関係について語った。元々神にささげる宗教的な神歌から発生した歌であり、服飾や踊り、伴奏は最小限にして音の美しさと神秘さが重要視される。その音の神秘さを悟ることを「得音」という。原題「西便制」とはその悲しさと神秘さを特徴とするという。それは「恨」が主題である。「恨み」を越えることが「恨」である。なぜ女性に生まれたのか、なぜ被差別集団に生まれたのかなど運命とか構造的な矛盾に対する怒りと諦念の感情である。

 日本人にこの映画の面白さが伝わるように解説したがどうであろうか。今朝の「毎日新聞」の西嶋氏の記事を読んで安心した(写真)。いま研究所主催で行っている「楽しい韓国文化論」の最終講義として私が以前調査した現地へ旅行を計画している。巫俗とパンソリの本場を訪ねてみたい。昨日の映画祭は「金色夜叉」など多様な内容であったが私は残念ながら体調不良で麻生氏の活弁だけを見て帰った。映画実行委員会と大学の皆さんには大変迷惑をかけてしまったが、心から感謝したい。

 


今日は「しものせき映画祭」

2012年11月10日 07時21分54秒 | エッセイ

 今日はこの映画祭二日目、東亜大学で10時から私の解説で上映することになっている。しかし私は風を引いて持病の薬とかぜ薬を飲んで薬に酔った感じで、朦朧としており、声が正常ではない。二日間休んでもなかなか回復できない。演壇に立つのが観客に迷惑をかけることになるかと心配している。

 林権澤監督の「風の丘を越えて(原題は西便制)」は私の研究と密接なものである。被差別人のムーダンの神歌、旅芸能人のパンソリがオーバーラップする。そこには被差別者の恨(ハン)、断念、諦念などから素晴らしい芸が生まれる過程を描いた作品である。原題の「西便制」はパンソリの流派であるが、日本語の題目は「風の丘を越えて」となっている。韓国語の風とは神の威力、精力、病気など幅広く使われている。ここでは差別を越えて芸術化して行くことと解釈したい。


中国共産党大会

2012年11月09日 07時28分19秒 | エッセイ

 次の最高指導者の選出の共産党大会が今日行われる。アメリカ大統領選挙の直後であり、それとは全く対照的である。前者では接戦で勝敗を決めたのに、後者では後任者が決まって承認するような点が対照的である。しかし中国は経済成長を効果的に成し遂げて国民の不満を抑えている。いわば経済独裁であるといえる。状況は多少違っても韓国の朴大統領が経済独裁をしたが、それから民主化へ変えていった。中国も経済発展を進めながら民主化への変化が期待される。歴史物語りでは王様でも良い人間であれば良い政治が行われた。制度より人ではあるのは普遍的なことかもしれない。しかし全国民が選挙過程を経験して行くのも素晴らしい。


贅沢な出勤

2012年11月08日 06時39分16秒 | エッセイ

 米国、カナダ、中国などの旅の疲れてノックダウン、授業だけをしてくるために初めてタクシーで出勤したが、曜日替えのため授業はないという。バスで帰宅して横になり、アメリカ大統領選挙開票中継をCNNを通してみた。接戦の選挙結果であり、世界的にも関心が高い。最後のオバマ大統領の勝利宣言演説まで見た。4年前の時も感動して「東洋経済日報」コラムに書いたようにオバマ大統領を応援したい気持ちであった。大衆演説の上手な彼のレトリックは言葉を入れ替えながら繰り返す、その時は早いテンポで、そして盛り上げ、終える。貴方がどうような形に見えても、白人であっても、黒人であっても、富裕な人でも、貧乏な人でも、民主党の人でも、共和党の人であってもなどなど、貴方達はアメリカ人で、アメリカを作って行く人であり、選挙が重要な意味があるという語った。その光景を見て日本にはない選挙、羨ましく思った。中国や北朝鮮は新しい人物を選ぶと言っても世襲や指名選挙であり、面白くない。韓国の大統領選挙が近い。面白い。


私の乱暴な決断

2012年11月07日 05時20分02秒 | エッセイ

 田中文科相の3大学の新設を認めない決断が話題になって改革の意味を考えさせられた。重要な判断基準によって決心し、決断を下して整理して行くのが改革政治であろう。その参反は別として私の乱暴な決断を振り返ってみたい。私は何回か変身するほど決断してきた。当時韓国の大学では教育者として学者として、役職や給料も、社会的評価も安定していたと思われた時、日本側から誘われて「日本ではよりよい研究ができる、日韓の壁は低くなる」というただその一つの基準で妻と一緒に移住を決心した。それは信念というより乱暴な行動のようなものであった。決心を先行してから準備を進めた。多くの方から助言、反対、損得などさまざまな話しに悩まされた。それに困難なことも多かったが「生活の質を変えた」のは事実である。乱暴な留学と、日本へ移住は私の人生に二大変化をもたらした。今はそのような体験、経験を繰り返す余力はない。若い時の良い経験はその後の人生に活かされるが、今の私には苦労に過ぎない。


強すぎるリーダー?

2012年11月06日 05時38分39秒 | エッセイ

 中国での学会を終えて主催者と数人の参加者から感謝のメールが私より一足早く届いた。私は調査旅行の終わりはこのように無事到着の音信を送ってから完全に終了と思っており、院生たちにもよくいっている。一般的に中国人はマンマンディだといわれ大器晩成の意味もあるが時間管理意識が薄いという否定的なニュアンスが強い。今度の中国での話だが、ホテルのロビーで8時半に集まることが数回あったが韓国からの人が遅れたので、ある人が最近中国人は日本人のように時間を守り、韓国人がマンマンディだと冗談をいった。時間管理は近代化の基礎とも言える。中国の高度経済成長はこのような意識や制度の変化によるものであろう。

 中国へ日本から行って強く感じるのは強い国家統制である。共産党を通して人材が養成され、その人が大学でも指導と監視者になっている。大学間提携の時中国側の大学代表として共産党の書記と副総長が来られた。私は名刺交換をして英語では書記がsecretary共産党書記、副総長vice presidentとなっていて共産党書記を副総長の秘書と間違えて大変な失礼をしたことがあった。共産党書記の方が地位や権力の面でも上位だという。大学が共産党に支配されていることを意味する。日本でも大学は文部科学省の傘下にあることは同様である。田中大臣の大学申請不認可が暴挙といわれている。強いリーダーシップを求める声と強すぎるリーダーと混乱している。このたびはいろいろな問題があるとは思うが大臣の裁量権が無ければ官僚主義、あるいはコンピューターで決めても良いだろう。今度のケースは裁量権の意味をも熟考する契機となってほしい。(テーブルに花を飾ってみた)


Special Thanks

2012年11月05日 07時08分44秒 | エッセイ

 Dear Participants

 The symosium < Korea among East Asia> was held at The University of Zhejiang Gongshang University, Hangzhou city on November 2. I was very pleased to be there as a participant together with from China and South Korea,my key note speech cancelled by the political situation, but having very deep friendship while staying and touring to the great lake and so on. It was very impressive on me. This time will be more fifteenth visits to China but I couldn't understand China of great nation state. 
 The greeting of gratitude is also given to the care of people of many including Assistant Professor Kim Jun of the University, and many people that participated from South Korea.

 Dr. Prof. Choe Kilsung of University of East Asia, Japan 


審査委員長として講評

2012年11月05日 05時08分59秒 | エッセイ

 

アメリカから帰国し、三日後に中国でのハードスケジュールに続いて、昨日は午前教会の礼拝に参加し、午後21回山口県韓国語弁論大会では審査委員長として長い時間を会場で費した。最後のところで講評をした。日中関係の最悪の中の中国で韓国語で歩いて無事に帰ってきたこと、韓国語が良い武器であったと冒頭で述べ、スピーチ教育をあまりしていない日本で人に感動を与えるスピーチコンテストの意味、これからの展望と期待を述べた。懇親会では最高齢者として乾杯の音頭等などがありハードスケジュールをこなせた満足感と弁論大会が楽しく観客の多くも最後まで参加してくださり感謝であった。幸せも疲れも倍増の一日であった。


深夜帰宅

2012年11月04日 07時03分26秒 | エッセイ

 この度の参加者たちと話し合い、情がたっぷり交わされていて別れる時は寂しく挨拶を交わし別れた後、残り7,8人が杭州名所観光スポットの西湖へ向かった。車内ではそれぞれ話し、騒音の極まりのようになり、私はカメラをもって前席で杭州市の市の木の桂樹の並木などを観察しながらスナップ写真を撮った。冬でもまだ温かく感ずる。風光明媚な観光名所ではあっても観光客の中に押し入って歩くようで鑑賞するどころではなかった。広島大学と東亜大学の出身の金在国と李月順の両氏の案内と説明を聞きながら歩き、我がグループから離れ迷う時もあった。詩人蘇東坡の詩に因んで銅像、塔、遊覧船など、蒋介石や毛沢東の別荘などが紹介された。

 韓国人の観光スポットである高麗寺を観覧した。ハングル経文などがおかれている。お茶畑、植物園、菊花展示会などを見下ろしながらホテルで昼食会を最後にタクシーで空港へ向かうことにしてメンバーたちにいちいち握手をしてからもタクシーに乗ろうとしたが、満員で気まずさを感じ、飛行場に着いた。飛行場の免税店や飛行機には客が少なく、ガラガラ状態で寂しく感じた。両氏から杭州絹製の名品をお土産にいただいて飛行機は30分以上遅れて出発、関西空港に着き、新幹線、在来線の最終便で深夜1時近くに帰宅した。

 中国の観光案内板の日本語が消されたことや、南京や918記念館などの歴史は悲しくても結論的には未来的関係へという展示え無くそうとする動きがあることなど本格的に日本嫌い政策が聞かされた旅であった。しかし私は韓国人たちに韓国語で防衛されて安全であった。観光地で日本人に会うことはなく、至るとこに韓国人団体観光客の逞しい行列にであったような感じである。このような状況を作ったのは政治家であり、政治の愚かさが痛感された。今日は山口県韓国語弁論大会の審査、その論評の時何を語るか、複雑な心境の朝である。

 


「東アジアの中の韓国」

2012年11月03日 05時06分09秒 | エッセイ

 浙江工商大学本館9階の会議室で9時から5時半まで「東アジアの中の韓国」という国際学会が行われた。この会は広島大学に留学した金俊氏が2か月前延辺大学から赴任して実行されたものである。私は全体の基調講演として頼まれて原稿を送って記載されているが論文発表のようになって異様な感がした。それは日中関係の悪化によって日本から来た人が基調講演をすることは無理であるという調停の結果であるということを後から知った。この杭州地域は日本の侵略と植民地に反抗した韓国の愛国運動者が多かった歴史を持っていることが分かった。一方では現在日本との企業の協力が盛んな地域でもあり、中国では豊かな地域と言われ、日本への感情は非常にアンビバランスであるという。観光用の大型ショーも今は日本語の字幕も消しているという。私は日本からの唯一の参加者として目立つし、異様な存在にもなっているようである。

 会議は副総長の戴文戦氏の開会宣言の挨拶と記念写真撮影から始まって、中国国際問題研究所の研究員(教授)の姜ヨウ春氏は経済成長から見た日本の衰退と中国や韓国の成長を紹介し、目下、領土問題で膠着して東アジア共同体の推進は困難な状況であると通訳を通して発表された。特に日中関係が悪くて韓国が徳を得ている現象にも触れた。しかし延辺大学の方浩範氏の学生へのアンケート調査では「日本が好き」という結果になっている。今調査をしたらその結果はどうであろうか、と疑問を投げた。しかし私は経済成長で社会の発展を測ること自体の問題点、それより生活の質を高める努力をすべきだと言い、また「日本はまだまだ十分先進国であり、中国や韓国は日本をモデルにすべきだ」と主張した。これに黄有福氏は日本がドイツの首相のように本気で戦争の加害者としての反省と謝罪が十分行われなければ共同体は無理であると日本を強く非難した。会議参加者は中国の朝鮮族、韓国人など金俊氏の人脈と人徳によって成功させたことになる。それは本会議では十分議論され、夕食会と二次会につづいて評価された。私が東亜大学に赴任して2カ月ほどで日本映像民俗学会の全国大会を主宰して教員たちの協力を得られず主催者としての挨拶もできなかったことなど苦労したこととは非常に対照的に金俊君は成功させたことにはほんとうに驚いた。今日は西湖を回って日本に帰国する。

 


日中関係の最悪の中、杭州にて

2012年11月02日 01時19分45秒 | エッセイ

 昨日関空から中国の杭州へ飛んできた。広島大学時代の弟子の金在国、金俊、李月順に迎えられた。また北京・民族学院大学の黄有福先生に再会した。観光の都市の杭州の景色の美しさを感ずことなく、まず大気汚染で喉に異常を強く感じている。韓国からも10人弱の方が見えたが、日本からは私一人だけである。ホテルのロビーで名刺交換に始まり、夕食後は台湾式の飲食兼ね個室のあるコーヒーショップに入った。私にはブルーマウティンが勧められた。つまみとしてでたピーナツが特に美味しかったので一般的に韓国や日本では中国産は美味しくないと言われるのに意外に「美味しいのはなぜであろうか」と話題を出した。一斉に賛同してくれながら韓国と日本から中国との比較文化論(?)が始まった。(写真私の右が黄、左から李、金)

 日中関係の最悪の中の中国で日本に関する話が多く、多少脅威感さえ感じている。東京都知事の石原慎太郎氏の国有の話し、韓国李大統領の上陸などから発端したもの、政治家の言動による難問題と話された。この状況をどう解決するか、心配であると。黄先生の体験談によると、北京民族学院大学の近くにある食堂にはまだ日本人は出入り禁止と張り紙があるという。その食堂で黄先生が韓国人と韓国語で話をしていた時ある従業員が話している言葉が日本語と間違い、断られたという。李月順氏の大学の日本人教師の3人には外出を控えるようにしており、買い物などはしてあげるなどの話がながく披露された。その中で私が日本から来たという話を聞いた同僚が意外な表情をしたという。日系産業で仕事をしている人の生産量が以前の半分、3分の1位に激減している。特に日本製の車を乗るのは危険であるという実感が述べられた。日本人でも「韓国人だ」というのが身の安全だと言うほど、思った以上深刻であるようである。しかし最近日本に一人旅をしてきた朱氏の話では「日本はアジアでは唯一の先進国である」と明言、それは中国や韓国ではないこと、満員電車に最後に乗る人がお尻から身体を入れながら乗るのを面白く語った。私は莫言氏のノーベル賞受賞の話で中国への関心を見せたがその反応は鈍かった。