崔吉城との対話

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「解放記念日」と「光復節」(「東洋経済日報」2012.8.24連載寄稿)

2012年08月28日 05時35分16秒 | エッセイ
「解放記念日」と「光復節」

夏休みの学生不在のキャンパスで空虚感を感ずる。学生や教職員たちはどこで何をしているのだろうか。休みを韓国語ではノルダ、ノリ「遊び」という。遊びに出かけるのだろうか。日本では「お休み」は「眠る」ことも意味する。昼寝ばかりするのだろうか。里帰りなどで解放感を満喫するだろう。中には休み期間中創意的な創作をする人もいるだろう。
一般的には休みとは正規的な仕事から解放されることを指す。バカンスやノリは仕事から解放された上に楽しい遊びをするという積極的な意味がある。この解放と自由は人間を幸せにする。解放は民族や国家の幸運にもなる。1945年8月15日は、韓半島が日本植民地から解放された「解放記念日」である。そして4年弱の期間、その日が「解放記念日」であった。1949年10月国慶日制定の時にその「解放記念日」が「光復節」となった。解放記念日となっている国家は多い。解放とは束縛から解放か釈放され、自由となるという消極的な意味もあるが、より積極的な深い意味もある。記念日はさて置いて「解放」の意味を改めて考えてみたい。
日韓両国では不幸な歴史を持っている。日本は挑戦して敗戦した。侵略と植民地、戦争と原爆、ポツダム条約の受け入れ、連合軍に敗戦した。その歴史は片方だけが持つ訳ではない。大混乱な戦後、韓国では朝鮮戦争が勃発し、日本は経済発展を遂げた。その近い歴史は日本と朝鮮半島に今も残っている。両方とも懺悔すべき、その負の遺産から完全に解放されるべきである。
目下日韓における一連の出来ことから植民地史を新しく想起せざるを得ない。終戦や終結によって植民地史は突然消えるものではない。戦後処理など、物心とも引き続くのである。政治的・軍事的に植民地は終わっても両方とも完全に解放されない状態をポストコロニアルという。韓国は戦後処理をしたとしてもまだ怨念のしこりを持っている。それは支配してきた側や支配された側の不均等な関係から解除され平等化されなければならない。それは女性解放運動のように男女差別からの男女平等化と自由を意味する。解放は日韓両国の解放と自由を指す。仏教的に言うと解脱していく基礎になるのである。
負の遺産に縛られた人間はそこから解放された自由な人間とは言えない。未来志向を目指すと宣言してもいつの間にか敵対関係に変わることがある。平素良い関係から時々難しくなると植民地史のカードを出す場合が多い。それは相手があるから自然のように言われるが、自分の生き方をキチンと確立することによって相手にあまり左右されないように国家も巍然とした自立した態度を持つべきである。人によっては恨みを払うために生きる。それは一時的には活力を持つかもしれないが、深みのある、より永久に生きる姿勢とは言えない。日韓関係にはまだ危険性がある。しかし一般民衆が友好の堅い基盤を築いている限り安定していくだろう。