崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

インタビューを受けた

2012年08月04日 05時36分56秒 | エッセイ
昨日ある有名全国誌の新聞記者が3時間ほど取材に来られた。彼女は私に関する予備知識を持っていたのでなんら負担なく旧友のように談話をするように進行した。写真や録音も気が付かないほど自然に行われた。楽しい研究を話した時間であった。私は古くからメディアの方とは接触する機会が多い。それは20代後半に韓国文化公報部専門委員の時に遡る。当時国家文化政策の一環として文化財関係の情報を収集、全国のメディアに提供するなどの仕事が多かった。各紙などに情報を提供して出た記事から見出しや写真などの編集方法などを検討したことがある。社会にとって貴重な資料であることを前提にして報道されるようにした。そのメディアへの態度は今でも変わっていない。
 民俗調査では村人が大きく宣伝されたいと思っている人が多いが、社会調査では報道されたくないような人が多い。個人も情報を出したい人と出したくない人がいる。その研究者や記者もその判断は難しい。その基準はあると思う。たとえば個人の癖のようなものでも広く通じる普遍性がある場合は「公」になる。ある個人、私的なものでも公的になりうる。つまり広く「公有」(共有)する必要性によって広報の意味があるはずである。個人を越えて公にするにメディアの重要な役割があるだろう。