崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

国民と民族

2012年08月12日 05時07分32秒 | エッセイ
 オリンピックでは国民、民族、人種などがクローズアップされている。人種的には西洋やアフリカなど長身者が有利なスポーツが多く、日本人や韓国人は不利であったのは事実である。しかし今度のオリンピックではそのハードルを超えている。昨夜日韓女子バレーボール「日韓戦」は日本が勝った。金メダリスト順位でも終半の現在中国が2位、韓国が5位、日本が11位になっている。スポーツにおいて人種より国民国家力の対決であることを痛感する。しかし国籍要件では出戦できなかった人が他の国籍を取って出るような傾向が出ている。数日前会った中国人は中国の国家選手ではなくとも世界には中国系、つまり中華民族が多くオリンピックに参加しているというのを聞いて中華思想を感じた。それらは国民を超えて「民族」意識が強くなったという意味でろうと思った。
 スポーツなどではある個人とは関係がないのに民族、国家を強く意識するのはなぜであろうか。民族愛か、愛国心であろうか。昨日も触れたように竹島が日韓関係の摩擦になっている。韓国のオリンピック選手が「独島は我が領土」とネット上書いたことがオリンピック精神を犯すことになるのではないかと検討中であるという。領土問題の専門家でもない人が領土を主張する根拠は何だろう。ただその国の国民であるからであろう。政治も国民感情で動かされている部分が多くある。政治は哲学者がすべきだというプラトン時代からあまりにも遠過ぎている。