崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

趙基元老牧師が日本の地震に発言

2011年03月16日 05時51分15秒 | エッセイ
 世界最大のソウル汝矣島純福音教会の趙基元老牧師が日本の地震と関連し、「信仰的に神の警告ではないか」といった発言が韓国で多くの非難を受けている。以前、原爆投下を神の祝福だと言った牧師がいた。10年ほど前の出雲の雷の被害を「偶像崇拝への罰だ」と説教した牧師がいた。その時には牧師に異見を述べた。神の警告や罰は共有しなければならない。韓国と日本を分けることはできない。国家や国境を越えて人類愛に立たなければならないのが新約(イエス)の根本趣旨なのに牧師が民族主義であることは非難されるべきである。本欄でも、また以前私は在日教教会の民族主義を批判する論著を書いた。
 私は神学、教育、医学などが一方で進歩しながら精神思想は退歩したのではないかと感じている。趙基牧師は敬虔主義的キリスト教の伝道に大きく貢献した方ではあるが、彼の「我が民族」信仰は修正すべきであろう。新約時代の神が「愛の神」であり、普遍的な個人信仰であることを忘れてはいけない。国家や民族を前提にしない信仰である。まずこの大震災の人の痛みを共有すべきである。影響力のある牧師として悔い改めて説教しなおすべきである。クリスチャンはもちろん、人々の牧師への不信感を払拭して欲しい。


自粛

2011年03月15日 06時25分21秒 | エッセイ
地球的大規模な東日本地震により、映像媒体が悲惨な場面を必要以上に繰り返している。9.11の倒壊画像をマスコミが繰り返すのに自制を呼びかける声があったのを覚えている。いま番組がそれに集中しているのは必要な情報共有のために最小限にして欲しい。悲惨な映像が見世物のように氾濫してはいけない。その点自粛してほしい。昨日も韓国から知人や留学生から数回、安否と問い合わせの電話があった。明後日の「新老人会」での私の講演は延期となった。4月8、9,10日の「しものせき映画祭」はチャリティーに方向を変えることになった。
 私は地球の持つエネルギーと生命の不思議を考えている。同僚の自然人類学者の鵜沢氏に地球変動と生命の誕生に関する質問などをした。彼は地球の中核には3000度位の熱があり、それが原動力になっていること、ほんの偶然ともいう地球環境の中から生命が誕生したことを分かりやすく説明してくれた。地球と生命に関する不思議さに研究は進められている先端の研究にも触れていた。私は中学校時代に学んだ進化論、メンデルの遺伝学に強く魅力を感じて生物学者になりたかった時を思い出した。自然を征服する人間の知恵を磨くことばかりではなく、自然に関する不思議と恐怖感も尊重すべきであろう。微生物から人間にいたる生命、わずかかな地球表面に苔のように付着している存在であることを悟り、助け合うことを考えている。

クレメンタイン

2011年03月14日 00時03分12秒 | エッセイ
海の静かな波の音はリズミカルな音楽のように聞こえる。海岸の平和な生活を歌ったクレメンタインは百年近く愛唱されている。「広くて広い海辺にあばらや家一軒、魚を釣るお父さんと物心つかない娘」という歌は私は子供のときに良く口にした歌であった。その他にも海への憧れを歌ったものは数多くある。今私は海辺に住むことを幸せに思っている。海岸のマンションから夜景を見下ろせるのは贅沢であると思っている。 
 しかしその海の波が悪魔(津波)のように襲ってきた。おとなしい人間の優しさもいつか恐ろしく変わって、襲ってくるかのように怖く感じる。それが自然の属性かもしれない。恩恵と悪戯、人情と背信など常にあるもの。それを総合的に見るのが正しい、勇気かもしれない。きっと立ち上がってくれると信じて祈る。

「あなたは安全か」

2011年03月13日 06時38分32秒 | エッセイ
海外から「あなたは安全か」「日本は安全か」という電話に「ここは安全だ」と応えいくい。被災地に親族、知人も多い。まだ連絡がとれていない人もおり、被災者と痛みを共に分け持つ気持ちがあるからである。いま安全とはいえない。かなり心を痛めており「ここは安心だ」とはいえない。いつも食事のとき、これが最後の晩餐になるかもしれないという気持ちがより強く感じる。
 全マスコミは被害と救済に関して集中している。画像や記事によって心がかなり痛い。また家内とミミの体調もよくない。大きい被災時に「自分」しか知らないかと思われるかもしれないが、命と健康を意識することによっをて生きていることに感謝している。世界から心身ともに支援の手が、心が届いている。被災者たちも希望をもって再起して欲しい、多くの行方不明の方々がひとりでも多く無事であることが早く確認されるように、今以上の災害が起こらないように祈りを捧げる。
 

東北・関東地方で強い地震

2011年03月12日 06時17分00秒 | エッセイ

国会中継を見ている途中で画面がそのままマグニチュードは8.8の地震情報に変わった。東北地方の太平洋岸など広い範囲で大きな津波が発生して白、黒の津波が陸地を呑み込み港の施設や工場、人家、畑などこの世が全滅するような映像が映ってきた。船舶や自動車が子供の玩具のように流れる悲惨な状況が続いた。私は唖然として本当に津波が止まるように祈るしかなかった。(写真はNewyork Times)
 その後も余震が続いており、日本列島が不安な危機感に包まれている。津波の影響はもっと広く、CNNによるとロシア、台湾、マレー半島などまで注意を呼びかけている。潘基文・国連事務総長、オバマ米大統領、李明博大統領などの支援のメッセージが日本に届いているという。我が家にも韓国から家内の友人、私の教え子などからも安否の電話が来た。
 地球は生物が生きるように創造され、われわれがこの世に存在することができて感謝すべきであるが、時にはこのように人力ではどうにもならない自然災害が起こることもある。東京タワーの尖塔が曲がったという。高くなりたい人の欲望ももう少し謙虚な態度をとるべきではないだろうか。地盤の弱さや不安定(地震)に謙虚な政策をとるべきであろう。まず人類愛で回復がなされるよう祈る。 

翻訳と読書

2011年03月11日 05時41分05秒 | エッセイ
 日本語を韓国語に翻訳中である。翻訳には意訳と直訳という二つの方法があるが、私は著者の趣意と言葉を生かして、訳者の言葉で書く。著者の文を理解して、訳者の言葉で書くことは難しく楽しい。言い換えれば読書と作文である。しかし中には単語一つ、センテンス一つを一日中考えなければならないものがある。一つの単語でも主意味、副意味やニュアンスなどもあって両国語で同じものを探すのは難しい。
 翻訳のはじまりは良い読書である。しかし読書はストーリーや思考の流れに追及が中心になる。場合によっては知らない単語などがあっても止まることなく文に流されることもある。しかし読み直すこと、立ち止って考えることが良いかと思う。
 生きることも同様であろう。人の意見は自分と違う場合がある。ただ対立、反対だけではなく、聞いて、思索する。社会でも自分と違うことが多く起きている。しかし、私はそれに対して不満はなく、社会運動もしない。私の思索の対象にしているだけである。

日本人の愛国心

2011年03月10日 05時12分03秒 | エッセイ
 妄言、失言、スキャンダルの続出している国会議員を見ていると危機感を感じる。年間5万円の献金で外相を落とした勢い、ケビン・メアKevin K. Maher氏の発言で更迭(読売新聞)、土肥隆一衆院議員の竹島発言などで「違犯は違犯だ」「国会議員としは」「米国務省の部長としては」で日本国民は怒っているとマスコミが大きく報道している。このような一連の出来事を見ると以前の韓国での反日感情による運動とも似ていると思う。日本の国会議員が韓国で竹島に関して発言したのに「日本人として」怒りを感じるというコメンテーターがいた。私は韓国人に日本やアメリカでは全体主義ではなく、多様な意見がある国家の強さとして紹介したことがある。しかし今のように日本のマスコミ、野党の意見、愛国心が強すぎると、否、戦前の「非国民」云々時代に似ていると感じる。
 「違犯は違犯だ」と攻撃する「あなた」大丈夫ですか。一年間車道の分離線を越えたことがないか。赤信号を守り間違ったことはないか。聖書には行動以前の犯す心も違犯であれば罪としている。今のスキャンダルの勢いでは国会議員は存在できない。神の支配の「神国」を希望するというか。
 メア氏の大学生相手に講義した内容としては問題がないわけではないがそれを「問題にするのも問題」である。私は陸軍士官学校で教鞭をとった時、教壇にマイクが着いていて監視されたことがあったのを思い出す。しかし講義は脱価値観的な時間であり、教育者の重要な教権の時間である。政治家の演説とは違って学生に人格や問題意識を持たせるためには多くの例を、場合によっては悪い事例を紹介して反応を誘発することもある。それを一般に公開して問題にするネット時代になるとそれこそ教育崩壊である。

内政干渉と人権

2011年03月09日 06時19分46秒 | エッセイ

日本では子供の虐待は親でも処罰される。それは子供の人権はプライーバシーを超えて社会、法律が干渉するようになっている。このような人権意識は日本でも定着しつつある。しかし他国への人権については同であろうか。それには内政干渉しない態度をとる。
 今カダフィが自分の国民を愛するといいながら数千人を殺し、空爆をしている。国際世論が高潮して、リビアの内政、内乱にどう対処すべきかいろんな意見が交差している。北大西洋条約機構(NATO)大使はリビア上空の飛行禁止区域の設定が必要ではないかなどの意見が出ている。
 グローバル的な平和のためには人権政策を取るべきであるが、あるレベルまでは内政干渉しないという判断は難しい。不正献金で外相が辞任する日本が国際的に正直と正義はどう行動すべきか、考えてみたい。

貴重な因縁

2011年03月08日 04時41分46秒 | エッセイ
 最近Facebookによって貴重な因縁を思い起こすことができる。ブログと電子メールの中間的なものとしてネット上情報交換ができる。十数年前に私の日本語の本『韓国民俗への招待』を韓国語に完訳して連絡してくれた金学道牧師からメッセージが来た。その後数回広島とソウルで出版に向けて話し合ったが未だに完成されていない。彼は高齢にもかかわらずブルガリアなどで宣教活動をしていた。その後の消息が切れたのに先日Facebookに写真と共にメッセージがきた。嬉しい。出版も完成させたいと…。また3年前に南アフリカで難民村で宣教活動をしている宣教師の韓氏からのメッセージも嬉しい。イギリス植民地支配者のローズ(Cecil Rhodes)氏に関する論文を書きたい。もう一度調査に出かけたい。しかし帰路の飛行機で体調不良で辛かったことが重く感じている。
 情報は広く、早くよい時代ではあるが多くの人は無縁のこと、また悪用することさえある。しかし地球上に因縁を広げるよい道具にもなりうる。私は古くよい因縁をこのネットによって広げていこうとしている。しかし地球の果てまで広げようとしながら自分の足元が緩んでいるのでは。昨日は会議の時間を錯覚し、1時間遅れて途中で出席し、失礼してしまった。遠くへ関心、近くへ無関心、また人に厳しく、自分に甘くなったようで反省している。

日本人と韓国人の結婚式に参加

2011年03月07日 05時04分34秒 | エッセイ

 大阪で日本人と韓国人の結婚式に参列した。参列と往復で12時間かかった。私は多くの結婚式の司式した事が多いが、お客さんとして席に参席したことはほぼなかったので少し異和感があった。しかし、ロシアやモンゴルなどで数十回も結婚式を観察調査したことがあり、式のパーフォマンスに注目した。昨日のものも階段の上から入場と賛歌のアベマリアは共通のものであった。結婚式はどの社会においても高級、華麗な式、祝賀、厳粛なものである。しかし昨日は披露宴での乾杯の音頭から面白くしようとして面を被り笑わせたのは異例というか…。新郎新婦の入場が二階からだったりガーデンなどの側門からの入場だったり、お色直しての登場、その都度明暗の照明、初めから終わりまで私の人生で一番多く拍手をした日でもあった。
 新婦は友人の李永松氏夫婦の娘の英才美女の名門出、高学歴のピアニストの慧林であり、新郎は日本人男性である。家内は我が夫婦の後輩のような新婚さんに異文化コミュニケーションの講義のように祝辞を語った。韓国側は新婦の祖父(89歳)をはじめ、中には李永松氏と特別な友人もいた。彼からは民主化運動でスパイとされて拷問を受けた話を聞くことができた。祝賀会で拷問の話は似合わなかったが、厳粛と笑い、人生は悲喜の劇であることを象徴するようなこととして受け取った。
(写真は父が娘を連れて入場する)

国会中継を見て

2011年03月06日 05時05分11秒 | エッセイ
一昨日前原外相が在日朝鮮人から献金を4年間で総額20万円を受けたと自民党の議員から鋭く攻撃されるのを見た。子供の時から可愛がってくれて5万円ずつもらったことに激しく攻めるのを見て違法とは思われても情けのない社会だと思っていた。昨日広島からこられた当大学の名誉教授の方がそのことについて「いじめだ」という。意外に私と同感であった。彼は金額が少ないこと、外国人とは言っても国籍だけの在日朝鮮人であり、幼いときからの人間関係からお年玉やお小使いのようなものと思われるという意見であった。
法律を守るという論理は正しいかもしれない。しかしそれはイエスがユダヤ教の立法主義を非難しながら愛を叫んだことを思い出させる。自民党は60年以上政権を握ってきたのに100年否、永遠に独占しないと満足できないのであろうか。権座に居座ったときは一見ジェントルに見えた議員が、今は狼のように怖い顔をしている。
今は昔韓国のある青年が警察に監視されているとき、自転車で物を運んいた。その時物を物差しで計って数センチオーバーしているので違反として捕まった話を聞かせてくれた。その国民が怒って民主化されている。先の名誉教授は前原外相が窮地に追い込まれているとき菅直人総理が小額、人情、特に日韓関係の立場からも問題視ないといったらよいのに、と嘆きの溜息をした。正義や遵法精神は必要であるが、その以上重要なのは法律lawが成り立つ慣習文化folkwaysへの理解であろう。W.G. SumnerのFolkways: A study of the sociological importance of usages, manners, customs, mores, and morals (1907)を参照して欲しい。

「静中動」

2011年03月05日 04時06分50秒 | エッセイ

先日下関の長府博物館の古城春樹館長の善意によりで朝鮮通信使関連資料を見て感動したものがある。朝鮮通信使行列図など多くの貴重な資料を拝見したが、中でも私の目を引いたのは通信使としてこられた朝鮮の画員の金明国氏が描いたもので箒を立てて、ちょっと考えている姿の絵である。ロダンの「考える人」像に対比できるようなイメージを受けた。箒で掃く仕事中にちょっとそれを止めて、何かを考えているような姿である。暇そうにも見えるし、忙しい仕事忠に、立ったままで一休みして考えている姿が伝わってくる。ロダンの「考する人」が深く考えるように感ずる反面、この絵からは仕事の中の思考の姿と感じ取れる。
 これらの絵などの資料はよく保管されているが、もっと公開されて鑑賞されて欲しい。この絵が大小の仕事ばかりで「忙しさ」に埋没されている現代人にくれるメッセージがある。現代人は「忙しさ」に孤独を避けるか埋没されている。多くは「忙しさ」に生きがいを感じている。しかし「忙しさ」だけでは人間の本質が蝕まれる。箒を立てて「静中動」一瞬でも考えてみたい。それが人間性の回復であろう。(写真下は名護屋城博物館で調査)


『ここまでできるのか』

2011年03月04日 05時38分20秒 | エッセイ
 東アジアには広く反日感情があるが、植民地にされた地域でも日本人は「正直で勤勉だ」とよく言われる言葉である。私は留学当初日本社会の正直さに感動し、魯迅がそうであったように私も韓国に帰国して授業で正直さを徹底的に指導して悪名(?)高くなったことは以前にも書いたように卒業生たちが語ってくれる。日本の大学に転職してからはカンニングはほぼみつけられなかった。それは大学の成績が就職と結びつきにくい点にあると思っている。しかし入試のようになると合格、不合格に直接関係があるが、それにしても今度のような京都大の入試に男子予備校生(19)がインターネットの掲示板に投稿した事件が発生したことは驚きである。
 日本に住むようになって政治家や官僚の不正の話が多く、正直な国に住むイメージはダウンしている。「一人で黙々とやるタイプ」「実直な生徒だった」「信じられない。技術の進歩に『ここまでできるのか』」というコメントもある。その技術は私でも英語などを翻訳exciteや辞書を使っているのに大した技術とはいえない。監督体制とか妨害電波、チェックなどを考える方が多い。それより正直さを含む良心、その教育を根本的な改革をすべき体制を作るべきである。インタネットの技術に驚く、大したことではないという人々のモラルを再考すべきである。ロバートベラーやエズラヴォーゲルなどから正直さをほめられた日本人の道徳再武装をして欲しい。写真はヴォーゲルの著書のJapan as NO.1)

鵜澤和宏さん(44)=先史人類学

2011年03月03日 05時51分26秒 | エッセイ
同僚である東亜大副学長・教授の鵜澤和宏氏の研究調査に関する「歴史・迷宮解:古代アンデスの動物食」が「毎日新聞」全国版に大きく報道された(2011年2月23日)。鵜澤氏が毎年夏にペルー北部高地にある古代文明胎動期の神殿跡、クントゥル・ワシ遺跡に発掘調査に出ているのは知っており、断片的な話は聞いていたが学内では聞くことがなかった。私は広島大学で行われているランチタイムゼミナーのような集まりをこの大学でも進めたが未だに反応はない。私が研究会を開き誘っても教員が参加することはなかった。また地方のマスコミに彼の研究について取材を進めたが反応がなかった。今度の報道と関連して毎日新聞下関支局長の三嶋氏に勧めたら昨日掲載分の2部と丁寧な反応があった。近いうちに取材になるのではないかと思う。私は地方から発信、隠れている人材の発掘、情報の共有などで下関に住んでいる満州映画協会に勤務した曽根崎氏などをテレビなどに紹介したことがある。
 鵜澤氏の研究は狩猟から家畜飼育への転換はなぜ起きたのかが問題点である。ペルーの遺跡で出土した動物の骨を調べて、人類史の謎に迫る。不思議なことに、全く交流がなかった約2500年前の古代アンデス(南米の太平洋岸地域)の北部高地と日本で、同じように家畜の飼育が広まり、狩猟が衰退に向かうとともに、子ジカが捕獲されて食料になっていた。人類が家畜の飼育を始めた要因として、技術革新、気候変動に伴う野生動物の減少、人口増加が挙げられている。弥生時代の日本で、イノシシを家畜化した豚の飼育が始まった。その一つの要因として、鵜澤氏は、気候変動を考える。彼は日本と比較しながら古代アンデスについて二つの可能性を考える。一つは、気候変動により野生動物が減少して、幼獣まで捕獲しないと食料を調達できなくなり、家畜を飼育するようになったということである。

しものせき映画祭ポスター

2011年03月02日 05時56分16秒 | エッセイ
 
 2月の海峡映画祭が終わったばかりだが4月8、9、10日に東亜大学と共催で「しものせき映画祭」が開かれる。そのポスターを持って打ち合わせ会をした。東亜大学のデザイン学科のアニメコースの東氏の映像の上映、パネル展示、そして私の「東アジアの映画文化」という講演、「ブルゴギー」などのグ・スーヨン監督のトークショーなどを入れて、アカデミズムと映画上映をマッチしようとしている。
 地域から発信する映画祭にしてほしい。ハリウッドからの流れの映画界、最近韓国や中国からの韓流、漢流ともいわれるこの一方的な波のうねり流されるのではなく、日本から、地方からの発信によって相互交流を促進すべきである。すくなくとも東アジアにおける映画を通して、文化交流を目指して下関から発信することに意味があると思う。観客というより、文化交流の参与者として多くの人が参加することを期待する。