崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

翻訳と読書

2011年03月11日 05時41分05秒 | エッセイ
 日本語を韓国語に翻訳中である。翻訳には意訳と直訳という二つの方法があるが、私は著者の趣意と言葉を生かして、訳者の言葉で書く。著者の文を理解して、訳者の言葉で書くことは難しく楽しい。言い換えれば読書と作文である。しかし中には単語一つ、センテンス一つを一日中考えなければならないものがある。一つの単語でも主意味、副意味やニュアンスなどもあって両国語で同じものを探すのは難しい。
 翻訳のはじまりは良い読書である。しかし読書はストーリーや思考の流れに追及が中心になる。場合によっては知らない単語などがあっても止まることなく文に流されることもある。しかし読み直すこと、立ち止って考えることが良いかと思う。
 生きることも同様であろう。人の意見は自分と違う場合がある。ただ対立、反対だけではなく、聞いて、思索する。社会でも自分と違うことが多く起きている。しかし、私はそれに対して不満はなく、社会運動もしない。私の思索の対象にしているだけである。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿