崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

大学入試不正

2011年03月01日 05時21分02秒 | エッセイ
 京都大学などの入試に携帯フォーンを利用したカンニングが発生して話題になっている。韓国に次ぐ事件ともいえる。極少数な人の犯罪行為とはいえ、社会に大きくショックを与えたのは高度な不正行為であるからである。これらを防ぐために試験場へ入場時にボディチェックをしなければならないかもしれない。あるいは韓国の陸軍士官学校の無監督試験制(生徒互いに監督)を導入するのがよいのだろうか。試験は正直な心を自らテストする時間でもある。無監督、無人販売は正直な社会を象徴する。
 試験はテストであると同時に「教育」そのものでもある。昨日ブログに触れたように私は若いときカンニングに厳格であった。当時日本の社会から正直の必要性を痛感し、私は韓国の教育の現場で知識教育より人格教育に重点をおいていたからであった。戦前から日本は正直な国民性を持つ自慢すべき国であるが、今度の事件はそれを踏みにじる事件である。「正直」教育は学校教育だけでは足りない、何より家庭教育をしっかりすべきである。しかし家庭教育がうまくいってない時代になっている。ただ保育機関などによる早期教育が進み、正直性などの教育が行われているのは幸いである。しかし社会は良心だけに任せることはできない。監督、監視も必要である。