崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

『ここまでできるのか』

2011年03月04日 05時38分20秒 | エッセイ
 東アジアには広く反日感情があるが、植民地にされた地域でも日本人は「正直で勤勉だ」とよく言われる言葉である。私は留学当初日本社会の正直さに感動し、魯迅がそうであったように私も韓国に帰国して授業で正直さを徹底的に指導して悪名(?)高くなったことは以前にも書いたように卒業生たちが語ってくれる。日本の大学に転職してからはカンニングはほぼみつけられなかった。それは大学の成績が就職と結びつきにくい点にあると思っている。しかし入試のようになると合格、不合格に直接関係があるが、それにしても今度のような京都大の入試に男子予備校生(19)がインターネットの掲示板に投稿した事件が発生したことは驚きである。
 日本に住むようになって政治家や官僚の不正の話が多く、正直な国に住むイメージはダウンしている。「一人で黙々とやるタイプ」「実直な生徒だった」「信じられない。技術の進歩に『ここまでできるのか』」というコメントもある。その技術は私でも英語などを翻訳exciteや辞書を使っているのに大した技術とはいえない。監督体制とか妨害電波、チェックなどを考える方が多い。それより正直さを含む良心、その教育を根本的な改革をすべき体制を作るべきである。インタネットの技術に驚く、大したことではないという人々のモラルを再考すべきである。ロバートベラーやエズラヴォーゲルなどから正直さをほめられた日本人の道徳再武装をして欲しい。写真はヴォーゲルの著書のJapan as NO.1)