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11月22日(月)のつぶやき

05:38 from web
Thank you so much for the retweets. @cirrusdream
@ moonflowernco @beezknez Finally leaves have various colors over here.
05:42 from web
thaks for the retweet of "corridor" poem. @mizukiyohakata @beezknez
11:07 from web
poetic fragments 14 #poem #poetry http://bit.ly/cajACz
17:06 from goo
芥川龍之介の俳句(2) #goo_delfini2 http://bit.ly/9cZoje
19:54 from web (Re: @sekihan
@sekihan 参考にお尋ねしたいんですが。読書と一口に言っても多様な読み方がありますが、iPadは資料としてどの程度使えますか。ラインマーカー引いたり、鉛筆で書き込んだり、頁を折ったり、切り抜いたり、付箋を貼ったりといった作業は可能ですか。
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芥川龍之介の俳句(2)

■旧暦10月17日、月曜日、、小雪、満月

(写真)in Basel

朝から、作業に入る。叔母の確認。転倒で新たにリハビリの必要性が発生。デイケアに連絡。午後、散歩。しばらく神社の桜紅葉を観る。書店で、『算数再入門』を購う。数学・算数関係、とくに、基本書を、ぼちぼち、趣味で集めているのである。



井月ぢや酒もて参れ鮎の鮨   大正十年

■芥川は、井月を詠んだ句が多い。意外であった。芥川のような超エリートと漂泊の俳人、井月の取合せ。自分にはないものにあこがれるのだろうか。

つげさんも『無能の人』の第六話「蒸発」で井月を取り上げている。金子兜太も『漂泊の俳人たち』で井月を取り上げている。この文章も印象的だった。ほかには、芭蕉、一茶、山頭火、放哉、三鬼というラインナップで、なるほどと思わされる。

つげ義春の『無能の人』は、組織にいた20年前は、なかば上から目線で、別世界の暗い世界と決めつけていたが、組織を離れて、心が自由になるにつれ、とんでもない、隣の世界、いや、自分の世界だと思うようになってきたから面白い。

芥川が井月を詠んでいる句には、ほかに、井月の瓢は何処へ暮の秋鯉が来たそれ井月を呼びにやれなど。

芥川は、井月の反社会的なところに共感したのではなかったろうか。俳人とは、廃人でもあり、無限に後退を繰り返す人間のことを言うのかもしれない。つげさんは、「蒸発」の最後の方で、こんなセリフを登場人物に言わせている。「だけど/おたくの/場合は/いずれ/帰るのでしょ」「まあ私は/ほんの/一時的に/こっちに//この世に/来ている/だけですから…」

この個所を読んでいて、突然思い出したのは、土曜のアファナシエフのコンサートで後ろの席に座っていたカップルの会話であった。女の方がこんなことを言っていた。「学習院のご学友にお友達がいて、プロヴァンスに別荘があるの。部屋が15室もあるから、遊びにおいでよって。行きたいんだけど、二人がファーストクラスやビジネスクラスで、ユキ(自分のこと)だけエコノミーだったら惨めだわ~。ユキの方が成績良かったのに…」

これ、アファナシエフのコンサートの休憩時間の一コマWWW。笑いが止まらなくなって困った。井月やつげ義春と、このクルクルパーとどっちがアファナシエフの音楽に近いか、いや、そもそも、芸術に近いか、火を見るよりも明らかであろう。マエストロは、ホームレスの俳句を読んで、自分とホームレスを重ねることのできるアーティストである。
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一茶を読む:七番日記(36)

■旧暦10月16日、日曜日、、波郷忌

(写真)Lausanne駅の日曜の朝

半袖で、ウォーキングしたのが祟って、一発で風邪。熱が出て、終日伏せる。家人らに呆れられる。

昨日は、Valery Afanassievのオール・シューベルト・プログラムへ行く。「楽興の時」と「幻想ソナタ」、アンコールが前代未聞の2曲。ともにブラームス(ブラームス:ラプソディ2番Op. 79-2とブラームス:前奏曲Op. 116 第6番 間奏曲ホ長調)。ぼくが記憶する限り、アンコール二曲は初めて。しないのが普通。数年前に一曲、アンコールしたことがあるだけである。物凄い演奏なので、完全に打ちのめされてしまった。楽屋で少し挨拶したのだが、まったく言葉がでてこない。マエストロは、元気であった。あれだけの演奏しても、声がでかい。多数のお客と立ち話。本日、朝に帰国の途についたらしい。来年11月にも、リサイタルを行う予定と聞いた。

演奏全体の感想は、やはり、マエストロは、完全に音のしもべに徹しているという印象を受けた。どんなに技巧的に巧い演奏を聴いても、心が動かされることは少ないものだが、マエストロの演奏は、音を完全に自分の身体にいったん取りこんでいる。そうして出てくる音は、身体の一部であり、音楽のしもべとは、自分の外部の音に仕えるのではなく、演奏家自身が音と化すことであるのだろう。これは結果として、現代の演奏形式へのアンチテーゼであり、批判なのだと思える。身体化された音は、普通の解釈と異なっていても、どこか自然に、こちらの身体に入ってきて、なんらかの強い反応を起こす。マエストロの演奏の本質は、時間の長さというよりも、音楽の身体化あるいは身体の音楽化なのではなかろうか。前頭葉だけで解釈しているのではなく、身体全体で咀嚼しているように思えるのである。

30年前に録音された「幻想ソナタ」と今回の演奏は、演奏の時間を含めて、かなり変化した印象を受けた。これは、解釈が変化したというよりも、音楽と身体の関係が変化したのだと思えるのである。

シューベルトの音楽は、牧歌的でウィーンの地方性の体現という語り方から、絶望的な現実と手の届かない幸福への憧れという語り方に変わってきたが、この解釈の変更は、後期のピアノソナタの存在が大きいのだろう。今回のプログラムは、前期の「楽興の時」と後期の「幻想ソナタ」という取合せで、意図としては、プログラムノートのあったように、前期・後期の連続性を明らかにすることだったのかもしれない。マエストロが弾くと、確かに、連続性が見えたような気がする。つまり、どちらにも、両面があるという意味で。

ただ、音楽のロジックというのは、確かに、存在し、連続性だけではなく、対照性・断絶性もともに浮かび上がらせる。音楽のロジック(あるいはソナタ形式、サロン用・教育用の目的)といったものと、作曲家の人生全体との緊張関係が、このプログラムの論理的な意味だったのかもしれない。

実際に、ピアノを弾ければ、ずいぶん、違ったアプローチで、マエストロの演奏を語れると思うのだが、こうした抽象的な語り口でしか語れないのが少し残念である。



大仏の鼻から出たり煤払い   文化十五年十二月

■ユーモアに惹かれた。鎌倉の大仏を思い浮かべた。鼻から出られるかどうか確認していないが、二年前に、数十年ぶりで鎌倉大仏と対面したとき、その憂愁の深さに打たれた。







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一茶を読む:七番日記(35)

■旧暦10月15日、土曜日、

(写真)tram in Basel

早朝から、仕事に入る。朝、ケアマネが来て、叔母の腰部の痛みについて説明を受ける。毎日、観察していても、わからない変化というのが確かにあって、念のため、病院へ連れてゆく。先週、今週と、二度にわたり、叔母が転倒したのである。痛みの程度は、ぼくの前では、普段と変わらない様子だったが、デイサービスでの様子がひどかったと言う。幸い、レントゲンレベルの骨折は、なかった。寒くなり、筋肉が固まりやすくなっているところへ、フローリングの廊下で滑ったのだった。転倒防止が、今度の担当者会議でのテーマの一つに浮上してきた。予約なしだったので、3時間以上かかった。その間、スパイにして、ロリコンのGraham GreeneTHE HUMAN FACTORを読み始める。これまで、小説はあまり読んでいないのである。Greeneも初めてだが、文章に、ユーモアのセンスがあって面白い。

今日で、狂気のように連呼していた市議会選挙の運動が終了する。いったい、いつまで、こんな有権者をなめきった選挙運動を続ける気なのだろうか。ゲッペルスじゃないんだから、名前だけ連呼すればいいわけじゃないだろう。もっと、人間の理性に訴えるような静かな運動はできないものかと思う。だが、ふと、こういう風土って、日本の諸芸が生まれてきた根と、どこかでつながっているのだろうとも思うのである。この根には、面白さと怖さと懐かしさを覚えるのだが…。



ごろり寝や先はことしも仕廻酒   文化十五年十二月

■男に生まれて良かったと思うのが、こういうときではなかろうか。一茶の至福が「ごろり寝」で表現されていて惹かれた。今年もやるかな。








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一茶を読む:七番日記(34)

■旧暦10月14日、金曜日、、二の酉

(写真)Lavaux

早朝から、仕事に入る。一段落ついて、江戸川ウォーキング。叔母の食事の関係で、ヘルパーさんに伝言など。午後、昼寝。夜、仕事。

最近、マエストロに刺激されて英語の詩を試みている。ご興味のある方は、こちらから>>> 今、二冊翻訳しているのだが、偶然にも、両方とも、インタビュー集である。話された言葉は書かれた言葉よりも、行動に近くて面白い。書き言葉は、座って机に向かって書かれるが、話し言葉は行動しながら状況に向って話される。しかし、訳す方にとっては、かなり難しい。



ムチヤクチヤやあはれことしも暮の鐘  文化十五年十二月

■暮には早いが、十一月の半ばを過ぎて、一茶のこの句が目にとまった。己の人生をふり返っての感慨とも、人の世の一般的な感慨とも取れるが、たいてい俳句では、自分のことを詠んでいる。自分の人生を「むちゃくちゃや」「あはれ」と突き放せる人間は、どこか、信頼できるものを持っているのではなかろうか。



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一茶を読む:七番日記(33)


■旧暦10月13日、木曜日、

(写真)Rock concert in rainy Bern: 写真を見ると「ACT NOW」とあるので、何かのキャンペーンだったのかもしれない。一番最初のバンドは上手かったが、後になるほど外れていった。

朝4時から作業開始。午前中に、レクチャー原稿をひととおり仕上げて、石塚先生へ送付する。アウトラインはできたので、あとは、微調整だけ。30枚を超えたので、2時間の枠では、どこか省略する方がいいのかもしれない。これで、ヴィトゲンシュタインの検討は一段落ついたが、引き続き、「断片」(Zettel)(mainly 1945-1949)を読んでいきたいと考えている。



はつ雪やイロハニホヘト習声   文化十五年十月

■初雪と「イロハニホヘト」の音の取合せに惹かれた。「色は匂へど」とも謡われるので、初雪の白と色という文字が呼応する。



Sound and Vision






















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11月16日(火)のつぶやき

13:10 from goo
After Dry Silence : Valery Afanassievの詩(6) #goo_delfini2 http://bit.ly/cEtVcQ
18:06 from web
poetic fragments 11 #poem >>> http://bit.ly/akUSUM
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After Dry Silence : Valery Afanassievの詩(6)


■旧暦旧暦10月11日、火曜日、

(写真)Lac Léman

6時起床。12時前に寝られると、だいぶ体が楽である。外で体操。オールブラン+バナナ3本+キリマンジェロの朝食。今日は、即、仕事に入る。

最近、叔母の様子は比較的安定しているが、以前よりもさらに、物忘れがひどくなってきた。11月上旬に介護保険の認定更新があり、現在、要介護2である。かなりきびしい。来週には担当者会議を開いて、今後の介護の方向性を定めることになっている。認知症と言っても、原因はさまざまであるから、一度、専門病院で、原因を検査してもらべきだとケアマネは言う。確かに、それによって、改善された例もあるのだから、近いうちに、専門病院へ連れて行こうと考えている。

気分転換に写真を撮っています。ここから>>>




Lights are so rare.

We all just woke up one morning
And saw a light. The people
With whom I saw it disappeared.

So did the lights.

It could be read as allegory.
It wasn’t.



光はとても稀なものである

だれでもある朝めざめ
そして光を見る
光といっしょに
消えた人たちに気づいた

光とはそういうもの

アレゴリーと受け取ってくれてもいい
だが 事実だったのだ


■光を詩にしてしまう卓越した感性に感嘆する。日常の中に、ふかぶかとした深淵がのぞく。かねがね、詩人の価値は、「危険性」にあると信じているが、マエストロの詩には、それが底流にいつも流れている。



Sound and Vision













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11月15日(月)のつぶやき

09:03 from web
poetic fragments 10 #poem >>> http://bit.ly/aXaJsH
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11月14日(日)のつぶやき

12:08 from goo
After Dry Silence : Valery Afanassievの詩(5) #goo_delfini2 http://bit.ly/dt4ccl
18:20 from web
poetic fragments 8 #poem >>> http://bit.ly/cj67Gh
21:41 from goo
一茶を読む:七番日記(32) #goo_delfini2 http://blog.goo.ne.jp/delfini2/e/f535c89ab82cddeb931f7c4e607b266c
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