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芥川龍之介の俳句(2)

■旧暦10月17日、月曜日、、小雪、満月

(写真)in Basel

朝から、作業に入る。叔母の確認。転倒で新たにリハビリの必要性が発生。デイケアに連絡。午後、散歩。しばらく神社の桜紅葉を観る。書店で、『算数再入門』を購う。数学・算数関係、とくに、基本書を、ぼちぼち、趣味で集めているのである。



井月ぢや酒もて参れ鮎の鮨   大正十年

■芥川は、井月を詠んだ句が多い。意外であった。芥川のような超エリートと漂泊の俳人、井月の取合せ。自分にはないものにあこがれるのだろうか。

つげさんも『無能の人』の第六話「蒸発」で井月を取り上げている。金子兜太も『漂泊の俳人たち』で井月を取り上げている。この文章も印象的だった。ほかには、芭蕉、一茶、山頭火、放哉、三鬼というラインナップで、なるほどと思わされる。

つげ義春の『無能の人』は、組織にいた20年前は、なかば上から目線で、別世界の暗い世界と決めつけていたが、組織を離れて、心が自由になるにつれ、とんでもない、隣の世界、いや、自分の世界だと思うようになってきたから面白い。

芥川が井月を詠んでいる句には、ほかに、井月の瓢は何処へ暮の秋鯉が来たそれ井月を呼びにやれなど。

芥川は、井月の反社会的なところに共感したのではなかったろうか。俳人とは、廃人でもあり、無限に後退を繰り返す人間のことを言うのかもしれない。つげさんは、「蒸発」の最後の方で、こんなセリフを登場人物に言わせている。「だけど/おたくの/場合は/いずれ/帰るのでしょ」「まあ私は/ほんの/一時的に/こっちに//この世に/来ている/だけですから…」

この個所を読んでいて、突然思い出したのは、土曜のアファナシエフのコンサートで後ろの席に座っていたカップルの会話であった。女の方がこんなことを言っていた。「学習院のご学友にお友達がいて、プロヴァンスに別荘があるの。部屋が15室もあるから、遊びにおいでよって。行きたいんだけど、二人がファーストクラスやビジネスクラスで、ユキ(自分のこと)だけエコノミーだったら惨めだわ~。ユキの方が成績良かったのに…」

これ、アファナシエフのコンサートの休憩時間の一コマWWW。笑いが止まらなくなって困った。井月やつげ義春と、このクルクルパーとどっちがアファナシエフの音楽に近いか、いや、そもそも、芸術に近いか、火を見るよりも明らかであろう。マエストロは、ホームレスの俳句を読んで、自分とホームレスを重ねることのできるアーティストである。
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