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司馬遼太郎の短編

■旧暦9月27日、水曜日、、文化の日

(写真)Bernの秋の雨

今日は、朝から、白岡へ行ってきた。義父と久しぶりに会う。長年、仕事の傍ら、蜜柑やキーウィ、レモンや柿、柚や大根、茄子や山芋などを作ってきた自慢の畑へ、みんなででかける。周囲は、宅地になってしまったが、よく手入れされた庭のような家庭菜園。ひととき、みかん狩りや柚狩りになった。両手に持ちきれないほどの野菜や果物を貰ってくる。早速、茄子をタジン鍋で食す。スーパーのものよりも、実が詰まっていて美味である。茄子はあまり大きくなると、大味になるらしい。

その義父が、勤めていた頃、大のファンだったのが、司馬遼太郎である。ぼくも家人も司馬さんは大好きで、これまで、『街道をゆく』シリーズやエッセイ、対談をおもに読んできた。小説は、なぜか、これまで、一冊も読んでいない。帰りに、ぼくらがファンであることを知った義父が、もう読まないからと、ダンボール箱一杯に、司馬遼太郎を詰めてくれたのである。あとで、送ってくれると言うが、ぼくは待ち切れずに、短編集『最後の伊賀者』と『新史太閤記』(上下)を野菜や果物の間に挟むようにして持ち帰って来たのである。帰りの電車で、即、『最後の伊賀者』を読み始めたら、止まらなくなって、さっきまで読んでいた。

小説も、コミックも歴史系は好きで、これまで、ぼちぼち、読んできたが、司馬遼太郎は、面白すぎる。とくに、蕪村や秋成が出てくる「天明の絵師」は、抜群の面白さだった。藤沢周平が、一から物語を構成するのに対して、司馬遼太郎は、史実を調べ上げて、空隙を自分の想像力で埋めていく。なので、実在の人物や事件が、実に生き生きと内側から描かれている。蕪村の人物造形は、司馬さんのものだろうが、実際、こういう人物だったのではないかと思われてくる。司馬さんの小説の方法は、物語るだけではなく、批評するスタンスが同時にあるために、読者の人情に訴えて話に引きこむ安っぽさがない。

天才とは父の蕪村のような者こそそうではないか。孤高で気むずかしくて、人が好くて、暮らし下手で、独り歩きができないほどに心もとなげなところがあって、つい近所の法事にでかけても、道をまちがえて夜半になってもたどりつけない、―そんな人間こそ天才なのだ、とお絹はおもっていた。(『最後の伊賀者』p.192)

「天才」と言う概念は、19世紀のショパンあたりのロマン派から、という議論はあるにしても、現代から見れば、蕪村は、まさに天才なのであるから、こんな感じだったのかもしれない。

また、司馬さんは、蕪村にこんなことを言わせている。

「心が、砥げてくる」
刃物のように、と蕪村はいった。旅に出れば、自分の心の奥にある、あったとも思えぬ意外な琴が、意外に鳴りだすこともある。「その琴の音を」と蕪村がいった、「聴く。聴くことが旅というものだ、その音だけが自分を高めてくれる」
(『同書』p.211)

語られている思想からは、芭蕉や蕪村をいかに読み込み理解しているかがわかる。結局のところ、人間や人生を知悉していなければ、なかなか、上記のような文章は、出てこないのではないだろうか。内容だけでなく、語り方に注目すると、欧文文体を独自に取り込もうとしている様子もうかがわれる。この短編集を書いたとき、司馬遼太郎37歳である。

この短編「天明の絵師」(『最後の伊賀者』所収)は、蕪村とその弟子、月渓(呉春)を軸に秋成や応挙などが出てくる興味深いものだが、読後、一つ疑問が湧いてくる。それは、蕪村ほどの天才芸術家が、なぜ、自分とはまったく資質の異なる、いわば絵画技術者である呉春を評価したのか、ということである。蕪村の友人の秋成は、呉春をこう評している。

「絵がカタチならば世に絵は要らぬ、ホンモノの山水があればいい、というのがあの男(秋成)の画論だ。絵は精神(こころ)である、それに尽きる、とあの男はいう。精神がなくて、カタチのみうまい絵師は、うまければうまいほど絵から遠ざかり、俗の俗になる、とあの男はいう」(『同書』p.209)

蕪村は現世で貧窮のうちに死に、呉春は名利を博し、その流儀の系列は、明治、大正、昭和の日本画の画壇まで及んだ。

司馬さんの言いたいこととは違うかもしれないが、蕪村は、蕪村としてしか、ありようがなく、呉春は呉春としてしかありようがなかったのではあるまいか。二人には、そんななにか必然的なものを感じた。



新装版 最後の伊賀者 (講談社文庫)
クリエーター情報なし
講談社










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スイス:Lac Léman


(写真)レマン湖のヨット



ロザンヌからメトロでウッシーの駅で降りると、すぐにレマン湖。この透明度。



餌に群がる白鳥



ヨットが多く停泊



オリンピック博物館などがある公園の一角



同上



レガッタ



ウッシーから見たレマン湖の感じ



ホッケーの練習



公園から



同上



同上



白鳥



地元の子どもたちが車道でミニテニス



ウッシーの街



同上



ウッシーのイタリア料理店で:カルボナーラ、さすがに材料がいいので、抜群に旨い



同:フランス風オムレット



同:レマン湖で獲れたパーチのフライ、レモンソースがけ、さっぱりしていて美味。



レストランの珍客、雀。ここは地元の人が新聞を読んだり、ウェイトレスと話し込んだり、思い思い日曜日の午後を楽しんでいた。アジア系らしいウェイトレスのおばちゃんは、フランス語で、歌うように注文を取って歩く。



公園にて



























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11月2日(火)のつぶやき

21:38 from goo
L・Wノート:確実性の問題(26) #goo_delfini2 http://blog.goo.ne.jp/delfini2/e/6f53f8dd4f36a6c640dd350173b2c679
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