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飴山實を読む(56)

■旧暦4月15日、月曜日、

(写真)取り巻き

疲労から昼まで眠。杉浦日向子の『百日紅』(上・下)読了。非常に面白かった。絵が、デザインのセンスを取り入れて斬新だし、北斎周辺を描いていることも、興味深かった。杉浦さんの本は、先日、書店でまとめ買いをしてきたので、しばらくは楽しめそうである。2005年に若くして亡くなってしまい、残念でならない。それにしても、晩年、漫画から離れてしまったのには、どんな理由があったのだろうか。これほどの才能は、そうそうはいないだろう。



もう山の影がとゞいて大根引

■大根引で冬11月。一読、畑の様子が目の前に広がってくるようで惹かれた。広々として、背後か正面に山がある。ほかには、何もない。この山は、大きな山なみかもしれなし、里山のようなものかもしれない。山と畑と大根、人の影。空は抜けるような11月の晴天であろう。
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芭蕉の俳句(174)

■旧暦4月14日、日曜日、、浅草三社祭

(写真)a Usual Cafe

今日は久しぶりに休日である。そろそろ、5月の「一日一句」に本腰を入れないといけない。一か月強、塾で中高生に英語と国語を教えてみて感じたのは、いろんな意味で、「子どもは馬鹿にできない」ということだった。また、予想以上にいい子が多く、将来に希望のようなものも感じられる。子どもに何かを説明したり、指導したりする行為は、そのまま、己にも帰ってきて、翻訳や物を書いたりする上でいい刺激になっていることがわかる。仕事の他者。そんな気がする。

中高生で、「問題」になるのは、たいてい、ゲームと勉強の時間の両立であって、かなり、中高生がゲームにはまっている実態が窺われる。ゲームに関連したライトノベルやコミックもよく読まれている。実際、ゲームをしないぼくとしては、それがどんなものなのか、よく見えないのだが、何時間でもノンストップでゲームをやり続けることもあるようだ。先日、映画化もされた「ひぐらしの鳴く頃に」の原作コミックを少し見せてもらったが、コミックをそれなりに読んできた者から見ると、タッチが荒く、とても、まともに読む気になれない絵だった。潜在能力に変わりはなくてもゲームを自己管理できるかどうかで大きく成績が違ってしまうという奇妙な事態になっている。



菊の香や庭に切れたる履の底

■元禄6年作。主の素堂への挨拶であるが、「菊の香」と「切れた履の底」の取り合わせに、庶民生活の肯定性を感じとって、惹かれた。

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飴山實を読む(55)

■旧暦4月13日、土曜日、

(写真)花の家

今日は、早朝に目が覚めてしまった。静かでいい。『原爆詩集181人集』の日本語版、英語版をアップした。お読みいただければ幸いです。今日は、終日、サイバーを翻訳してから、兼業へ。洗濯物が工事の関係で、いつまでも干せないのが困りもの。




竹籠に鶏をつめこむ秋の暮


■この鶏は食材にされるのだろう。ほかの命を食して生きながらえる。ひとの業であり、非情さであるが、「秋の暮」という季語が、やがて、なにもかも包み込む懐かしい月光の闇を示唆していて、取り合わせに惹かれた。
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芭蕉の俳句(173)

■旧暦4月12日、

(写真)Untitled

工事の音がひどくて昼間仕事にならないので、困ったものである。今週中には、騒音の出る工事は終了するらしいが。

寝る前に、ひとときの楽しみとして、杉浦日向子の『百日紅』を読んでいる。芭蕉や蕪村、一茶などが生きた江戸という時代の空気が、このコミックを読むとなんとなく伝わってきて、楽しい。この本は、江戸っ子の気性がよく表現されているのだが、自分の伯父さんや叔父さんたちのありし日の短気な言動と重なり、どこか懐かしくなる。




菊の花咲くや石屋の石の間
  (藤の花)

■元禄6年作。一読惹かれた。石屋の乱雑に置かれた石の間から菊の花がのぞいている。「石屋の石の間」のリズムもいい。
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飴山實を読む(54)

■旧暦4月4日、木曜日、

(写真)散歩:花を一緒に

疲労のせいか、朝から、耳鳴りが激しい。さて、今日は、どこまで、サイバーを進められるか。




虚空蔵菩薩が灯り木の実ふる


虚空蔵菩薩。意味よりも音に惹かれた。木の実ふるで秋十月。虚空蔵菩薩の意味を知ると、木の実が知恵の実のようにも思えてくる。
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芭蕉の俳句(172)

■旧暦4月10日、水曜日、、肌寒い

(写真)木漏れ日

このところ、昼間は、工事のドリル音で仕事ができない。朝の8時半から始まるのだから、たまらない。キッチンで仕事をしている。

ドイツ語検定というのに、前から、関心があって、受験してみようと思っている。兼業で、英検を受ける子を指導しているのだが、この授業が一番楽しい。いわゆる入試の枠と関係なく教えることができるからだ。




何喰うて小家は秋の柳蔭
  (茶の草子)

■元禄6年作。「何喰うて」は、なんの仕事をして。柳は、他の草木にさきがけて、万物凋落の兆しを見せる。そんな柳散る中の小家の生活に思いを巡らせているところに惹かれた。「小家は秋の柳蔭」と結ぶ措辞も並々ならないものを感じる。
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飴山實を読む(53)

■旧暦4月9日、火曜日、、寒い

(写真)木漏れ日

吉田秀和さんは、フォーレは室内楽がいい、と言うけれど、ぼくは、ピアノの方が断然いいと思う。それは木漏れ日に似ている。朝起きて、ドイツ語会話を聴く。時制の話が面白い。英語と微妙に違うので、その違いが興味深い。

アファナシエフの詩は、一段落したので、今後、『コールサック』に翻訳連載する詩を探している。その第一候補が、インゲボルク・バッハマン(1926-1973)である。オーストリアの女性詩人。47歳で事故死してしまったが、オーストリアでは、相当、メジャーなのに、日本では、まだほとんど知られていない。小説の評価も高い。




拾得の向こうむきなる落葉焚
寒山も近寄つてくる落葉焚


■寒山拾得の話は、有名なので、省略するが、ぼくは、森鴎外の小説で初めて知った。この二句は、対になっている。寒山拾得は、「笑い」によって、世俗的な価値をまるごと相対化する人物として描かれている。俳句の笑いの効用の一つも、寒山拾得の「笑い」に近いところがあるように思うが、これを坊さんではない一般人が組織や社会関係の中でやると「狂」になる。しかし、こういう「狂」こそが、本当の意味で、心のバランスを取るのだと思う。
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芭蕉の俳句(171)

■旧暦4月8日、月曜日、肌寒い一日

(写真)Untitled

兼業は、中高生に英語と国語を教える仕事なのだが、これはこれで、興味深い。なにより、若い世代と話しをしたり、教えたりする行為が面白い。子どもの質問や間違いは、期せずして社会や歴史の本質に触れていることが多いのだ。しかし、ふたつの仕事を同時に行うのは、身体的にきつい。今は、諸般の事情で仕方がないが、ゆくゆく、翻訳と文筆に仕事を統合していきたいと考えている。



岱水亭にて
影待や菊の香のする豆腐串


■元禄6年作。影待とは、正月、五月、九月の吉日を選び、斎戒・徹夜して、翌朝の日の出を拝すること。親戚・朋友を集め、種々の遊び事をし、飲食をふるまったり、僧、山伏を招いて経文を唱えさせなどした。「日待ち」とも言う。「影」は日影つまり、日光の意。岱水は江戸深川の人。蕉門。楸邨は、この句を「市井日常の生活をとらえながら、そこに根ざした高いものを匂わせている作で、高く悟って俗に帰る心のあらわれというべきであろう」と評している。

「近代化とトポス」との関わりで、この思想をとらえ返してみるとどうなるのか、というのが、今の問題意識で、まだ、なかなか、具体的な形で、句として提出できていないのだが、この線で考えを深めてみようと思っている。詩だけ書いていた頃には、表面しか見えなかった「俳味」の意味が今はよくわかるし、これを見出すことに抵抗がない。「辺境」の中の肯定性であり、歴史の根源的な昏さへの抵抗なのだから。
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芭蕉二句

■旧暦4月7日、日曜日、のち、母の日

(写真)Untitled

今日は、先生も出席される句会だったのだが、雨で体調悪く、欠席した。体調管理は、気圧に影響を受けるので、なかなかやっかいである。

兼業するようになって、慣れない背広を着ているのだが、ネクタイというのは、なかなか面白い。ネクタイには季節感があるのだ。背広にはもちろん、春夏と秋冬の違いがあるが、ネクタイにもそれがあてはまる。初夏のネクタイというのがあるのである。



ぼーっとしたいときには、俳人の随筆を読むに限る。今は、波郷の随筆を読んでいるのだが、その中に、知らなかった芭蕉の句が出てきた。波郷が木曾を訪れたときのものである。


桟や命をからむ蔦かつら


■桟(かけはし)。元禄元年。更科紀行、木曾路にて。蔦かつらで秋。画像が鮮明で、「命をからむ」という措辞に惹かれた。命がけの断崖にかかる桟に紅葉した蔦かづらがからみついている。そこを渡る旅人も同じ気持だろう。


送られつ送りつ果は木曾の秋


■元禄元年。更科紀行。人々との別れを詠んでいるが、人生そのもののような気がして惹かれた。「さよならだけが人生だ」「木曾の秋」の措辞もなんとも言えない味わい。鄙びた中の華やぎ。
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原爆詩集英語版書評

■旧暦4月5日、金曜日、

(写真)スポットより撮った下り貨物

先日、『原爆詩集181人集』の英語版の書評を詩誌『COAL SACK』に書いた。時間があまりなかったので、書いているときは必死だったが、時が経って見直してみると、論理の粗雑さと強引さが目立って、恥じ入るばかりだが、恥も公にするのがブログの効果でもあろうと思うので、あえてアップする。石の中にかすかに玉が混じっていることを願う。



The sounds of logos
                       

logos(ロゴス)は、なかなかやっかいである。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった」(ヨハネ福音書)ここで言う、「言」がlogosである。もともとギリシャ起源の言葉であるが、logosの「論理」の側面は、logic、logique、Logikに引き継がれ、「知」の側面は、ラテン語のconscientiaを経由して、英語のconsciousness(意識)、conscience(良心・道徳)に、ドイツ語のVernunft(理性)に受け継がれていく。logosは、言葉であり、神であり、論理であり、知であり、倫理であり、一切の始原である。日本語を欧米の言語に翻訳するということは、唯一神が前提になったlogosの世界に踏み込むことを意味する。

consciousnessやVernunftの例からわかるように、logosは哲学する。logic、logique、Logik(論理)という強力なエンジンを洗練させながら、知の探求である哲学する運動を生み出すのである。それは、神の存在証明を経て、無神論へ、コギトの誕生へ、ich哲学へ、進歩史観を前提にした実証主義へ、やがて近代科学へと展開していく(logosを翻訳したラテン系の言葉の中に、すでにscienceが含まれているのは偶然ではない)。ここから二十世紀科学の最悪の到達点である原爆まではlogical processの中にある。だが、他方で、logosには、批判や倫理、他者性などの契機が含まれ、二次大戦のさなかに、『全体主義の起源』(アーレント)や『啓蒙の弁証法』(アドルノとホルクハイマー)を生んでいる。9.11事件以降は、周知のように、他者性がいっそうテーマ化されてきている。日本語で書かれた原爆の詩を英語に翻訳することは、原爆を生んだ当のlogosの世界に、日本語の詩を投げ込むことに他ならない。logosの世界は、別の面から見れば、自/他、神/人、主観/客観、貧/富、信/不信などといった厳格な二元論の世界であり、日本語の詩の世界とは、近代化が進んだとは言え、ある意味で、相互浸透的な一元論の世界である。logosの世界は、その積極的な側面―自己批判、倫理、他者性―を中心に激しく共振しながら、内部から大きく揺さぶられるはずである。

Give back our fathers. Give back our mothers.
Give back our old folk.
Give back our children.

Give myself back to me. Give back all the people
related me.
Give back peace,
peace which won’t crumble
as long as the world of human beings lasts.

まるで、神に訴える預言者の言葉のようではないか。遠い昔から幾多の戦乱に辛酸をなめた者たちが、神に苦難の意味を必死に問う言葉のようではないか。これが峠三吉という「異教徒」の詩であることがわかったとき、この言葉が向けられているのが、神ではなく、西欧世界全体であることがわかったとき、イラク、アフガン、パレスチナなどで起きている悲惨さを織り込むようにして、西欧世界に突き刺さるのではないだろうか。

不思議なことに、この詩は、日本語として発せられたとき、ブーメランのように、己に帰ってくる。

ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ

ここにあるのは、「加害者性」という響きである。先の戦争で、親兄弟を失った中国の民が、日本語でこの詩を朗読したらどうだろう。植民地として抑圧を受けた朝鮮半島の民が日本語でこの詩を朗読したらどうだろう。すさまじい衝撃が襲うのではないだろうか。「加害者性」は、ひとつの歴史的な現実というだけではない。今もまさに「加害」は地球上で行われ、たとえば、日本の米軍基地という形でわれわれの税金がそれを支えている。もっと言えば、後期近代の資本主義システムに組み込まれている以上、ここに生きていること自体が、「加害者即被害者であり被害者即加害者」なのである。

翻訳という行為は、他者を対象化し、自覚させるばかりか、翻って、母国語自体に含まれうる他者性をも浮き彫りにしてしまうのである。

It may have been a mistake the first time,
but it is a betrayal the second time.

この重々しい響きはどうだろう。聖典に書かれた唯一神ヤハウェの言葉だと言っても、それほど違和感なく受け入れられるのではないだろうか。この「無題メモ」と題された栗原貞子の詩は、次のように続く。

We’ll not forget
the promise we’ve made to the dead.

「we」という言葉には、どこか排他性がつきまとう。それは「they」が暗黙に前提されているからだ。「they」は異教徒・異民族であり、幾多の宗教戦争の記憶が、「we/they」の区分にはまとわりついている。これは、9.11以降のテロの遍在化や中東の宗派対立に現われているように、けっして過去のことではない。栗原貞子の日本語の詩は優しい。

無題メモ

一度目は あやまちでも
二度目は 裏切りだ
死者たちへの
誓いを忘れまい

この詩には、主語がない。とくに最後の二行に注目すると、「we/they」の区分を一気に超えて、普遍的な高みを志向していることがわかる。この詩の主語は人類であるべきだと、栗原貞子は語っているかのようである。

Green has already come into the willow by the moat,
smiling under the sky enveloped in mist.

The water has returned, clearly flowing,
asking for an elegy in my heart.

濠端の柳にはや緑さしぐみ
雨靄につつまれて頬笑む空の下

水ははつきりと たたずまひ
私のなかに悲歌をもとめる

                   (原 民喜「悲歌」第一、第二連)

この詩には、はっきりと自然が現われている。第一連では、柳の緑が「smiling under the sky」と歌われ、「smiling」が比喩だとしても、そう表現する作者の中では、もはや、柳も人も命という次元では同一のものとして感受されている。この感受性があってはじめて、第二連で、命の始原であり終極である「the water」からの呼びかけを「asking for an elegy in my heart」と受け止められるのである。命に国境がないように水に国境はない。この星の水が求めるもの。それが「an elegy」だというのだ。「悲歌」と題された原民喜の詩は、「an elegy」に置き換えられたことで、遠くギリシャを呼び出してくる。elegyの語源になったelegeiaというギリシャ語は、人生の悲劇や死を悲嘆する「嘆き」を意味する。ギリシャ人たちは、この嘆きを慰めるために、「永遠」という観念を見出した。原民喜の詩の最後の二連は次のようになっている。

As if every parting word were exchanged so casually,
as if every agony were wiped away so casually,
as if a benediction were still visible on the other side,

I would walk away, I want to vanish now
into a void…into the yonder side of eternity.

すべての別離がさりげなく とりかはされ
すべての悲痛がさりげなく ぬぐはれ
祝福がまだ ほのぼのと向に見えてゐるやうに

私は歩み去らう 今こそ消え去つて行きたいのだ
透明のなかに 永遠のかなたに

                     (原 民喜「悲歌」第三、第四連)

まさに、古代ギリシャ人の感覚のようではないか。原民喜が詩の表題に「悲歌」を選んだときすでに、英語の「eternity」が心の中に芽生えていたとしか思えない。この時点で、もはや、東西文化の比較論は意味を失ったようにさえ思われる。深い「嘆き」を癒すためには、人は「永遠」を必要とするのだ。

Warm-hearted people lived there before.
Winds once blew on windowpanes, making them gleam.
Window frames could always catch peaceful scenery.
Clouds were drifting hand in hand as in a round dance.
Ah, what a long absence!
A long, long absence of humanity.
The summer of 1965.
I walk down the steps of twisted memories,
looking for what was lost,
jingling a bunch of keys in my heart.

かつては熱い心の人々が住んでいた
風は窓ガラスを光らせて吹いていた
窓わくはいつでも平和な景色を
とらえることができた
雲は輪舞のように手をつないで
青空を流れていた
ああなんという長い不在
長い長い人間不在
一九六五年夏
私はねじれた記憶の階段を降りてゆく
うしなわれたものを求めて
心の鍵束を打ち鳴らし

                    (木下夕爾「長い不在」全)


この木下夕爾の「長い不在」という詩は、リチャード・ライト(一九〇八―一九六〇)の俳句を思い出させる。ミシシッピの黒人小作人の長男、ライトは、米国での長期にわたる反差別運動に疲れ、最晩年、パリに亡命する。そこで、四、〇〇〇句の俳句を残した。その中にこんな句がある。

I am nobody:
A red sinking autmn sun
Took my name away.

俺はだれでもない
赤い秋の落日が
おれの名前を消したのだ
             (注‐筆者訳)

同じ英語で読み比べてみると、なにか同質のものを感じないだろうか。「A long, long absence of humanity」という夕爾の響きは、ライトのこの三行を呼び出してくるかのようである。同時代を生きた二人が、海を挟んで、響きあう。東西文明の壁などやすやすと超えられてしまったかのように。これは、どういうことだろうか。logosの世界の辺境で抑圧されて生きざるを得ない人々には、夕爾の詩は親しいものに違いない。そうなのだ、原爆詩集の英語版は、西欧世界の核を内側から揺さぶるだけでなく、周辺部分を巻き込む力を持っているのである。願わくば、こうした階級的・地域的・文化的な辺境に住む人々の手に、この詩集が渡らんことを!

 
『COAL SACK』60号より
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