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芭蕉の俳句(174)

■旧暦4月14日、日曜日、、浅草三社祭

(写真)a Usual Cafe

今日は久しぶりに休日である。そろそろ、5月の「一日一句」に本腰を入れないといけない。一か月強、塾で中高生に英語と国語を教えてみて感じたのは、いろんな意味で、「子どもは馬鹿にできない」ということだった。また、予想以上にいい子が多く、将来に希望のようなものも感じられる。子どもに何かを説明したり、指導したりする行為は、そのまま、己にも帰ってきて、翻訳や物を書いたりする上でいい刺激になっていることがわかる。仕事の他者。そんな気がする。

中高生で、「問題」になるのは、たいてい、ゲームと勉強の時間の両立であって、かなり、中高生がゲームにはまっている実態が窺われる。ゲームに関連したライトノベルやコミックもよく読まれている。実際、ゲームをしないぼくとしては、それがどんなものなのか、よく見えないのだが、何時間でもノンストップでゲームをやり続けることもあるようだ。先日、映画化もされた「ひぐらしの鳴く頃に」の原作コミックを少し見せてもらったが、コミックをそれなりに読んできた者から見ると、タッチが荒く、とても、まともに読む気になれない絵だった。潜在能力に変わりはなくてもゲームを自己管理できるかどうかで大きく成績が違ってしまうという奇妙な事態になっている。



菊の香や庭に切れたる履の底

■元禄6年作。主の素堂への挨拶であるが、「菊の香」と「切れた履の底」の取り合わせに、庶民生活の肯定性を感じとって、惹かれた。

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