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御本
(
長谷邦夫
)
2008-05-10 12:13:57
さっそく、アマゾンにて購入させていただき
ました。
刊行おめでとう御座います。
シナリオの件、古い映画関系の友人よりも
書いてみて!と、言われてしまいました。
気のはやいぼくは、やはり書こう!と
決心しました。
これも、貴兄の「読み」の素晴らしさに
自分が無意識で夢中で描いていたことの
意味を知ったことにあります。
有難う御座います。
なんとか、来年中には「初稿」を
その友人にプレゼンしたいと
思っています。
本
(
冬月
)
2008-05-10 14:27:26
■長谷さん>この本は、旧訳書(2004年刊)なんです。申し訳ない。説明がなくて、もしや、重複して買われてしまったのでは、と危惧しております。
シナリオの件、長谷さんの小説を読むと、会話体がいきいきしておりますので、シナリオに向いた文体のような気がします。
大丈夫です
(
長谷邦夫
)
2008-05-11 00:29:48
今回初めて知った本です。
そういえば、このテーマで
お仕事をされておられた
という記憶は確かにあります。
ただ、本は購入していませんでした。
(宣伝が大切!ですね。でもぼくの本も
そうですが、広告は打たれません。)
原民喜の詩
(
哲野イサク
)
2008-05-16 18:40:02
私は、logosは、言葉であり、人間の持つ「考える力」だと、解釈してきました。貴兄の理解とさほど隔たりがあるとは思えませんが、logosをこう解釈することによって、自分への励ましとしようとしているのかも知れません。
原民喜の詩は、私は嫌いでした。そのヒステリックな調子が、私から「考える力」を奪いそうで、我慢がならなかったのでしょうか?
しかし、それをいったん英語に訳し、(しかし、訳した時点で、それはもう原民喜の詩ではなくなっているのではないですか?訳者の詩でもありません。一種不思議な創作物に変化、訳者が優れていれば、昇華しているのではありませんか?)、それを、あの凶暴な天皇制ファシズムに蹂躙された人々の言葉として、読んでみると、私が感じたヒステリックさは、影をひそめ、独特の説得力を帯び始めるから不思議です。
非常に新鮮な視点でした。
これは一体なんなのでしょうか?原の詩にもともと説得力があったのだが、珠が水で洗われたように表に出てきたのか、それとも他の要素なのか?
ここまで書いてきて、私が原の詩が嫌いだった、理由が自分でわかってきました。
原のように叫んでみても、事態は何も変わらない、現実にわれわれは核兵器に囲まれているではないか、
必要なことはヒステリックに叫ぶことではない、冷静に、調べ、考えることだ、という思いが、自分の中にあったことに気がついたわけです。
原の詩を、いったん英語に置き換え、原と同じ人間だが、異なる言葉をしゃべる人からの言葉として聞いてみると、説得力がある、言い換えれば考えることをエンカレッジしてくれることに気がつきます。
これは、詩を媒介とする、人間と人間の化学反応とでもいうべき現象なのでしょうが、これは何も説明したことになりません。
実に新鮮な視点でした。
詩をめぐって
(
冬月
)
2008-05-17 00:18:41
■哲野さん>コメント、ありがとうございます。
コメントを拝読して、マルクスの「大事なことは、現実を解釈することではない、変えることだ」という言葉を思い出しました。ジャーナリストとして活躍されてきた哲野さんが、そのようにお考えになる(あるいは、そのようにお考えになるからこそ、ジャーナリストになったのかもしれません)のは、頷けます。考えることは大事ですよね。何事にも疑いを持つこと。
一方で、感情を伝えることも、大事ではないでしょうか。ぼくは、感情の伝え方が重要ではないか、と思うんです。声高に叫ぶと逆にうまく伝わらない、というのがぼくの詩を書いてきた上での経験です。感情がうまく伝わると、変わるものもあるかもしれない。その可能性に、詩人は賭けているのではないでしょうか。絶望が伝わることで、変わるものも、あるかもしれません。
ぼくは、哲野さんほど、英語がうまく書けないんですが、翻訳という行為は、基本的に他者と出会い続ける行為ではないでしょうか。内なる他者、外なる他者と... 。
原爆詩181人集、日本語版、英語版ともに、発売中です。よろしかったら、お読みください。
原爆詩181人集
(
冬月
)
2008-05-17 01:07:46
■上記の詩集は、今、アマゾンでは入手できないようです。下記のホームページからご覧ください。
http://www.coal-sack.com/index.html
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ました。
刊行おめでとう御座います。
シナリオの件、古い映画関系の友人よりも
書いてみて!と、言われてしまいました。
気のはやいぼくは、やはり書こう!と
決心しました。
これも、貴兄の「読み」の素晴らしさに
自分が無意識で夢中で描いていたことの
意味を知ったことにあります。
有難う御座います。
なんとか、来年中には「初稿」を
その友人にプレゼンしたいと
思っています。
シナリオの件、長谷さんの小説を読むと、会話体がいきいきしておりますので、シナリオに向いた文体のような気がします。
そういえば、このテーマで
お仕事をされておられた
という記憶は確かにあります。
ただ、本は購入していませんでした。
(宣伝が大切!ですね。でもぼくの本も
そうですが、広告は打たれません。)
原民喜の詩は、私は嫌いでした。そのヒステリックな調子が、私から「考える力」を奪いそうで、我慢がならなかったのでしょうか?
しかし、それをいったん英語に訳し、(しかし、訳した時点で、それはもう原民喜の詩ではなくなっているのではないですか?訳者の詩でもありません。一種不思議な創作物に変化、訳者が優れていれば、昇華しているのではありませんか?)、それを、あの凶暴な天皇制ファシズムに蹂躙された人々の言葉として、読んでみると、私が感じたヒステリックさは、影をひそめ、独特の説得力を帯び始めるから不思議です。
非常に新鮮な視点でした。
これは一体なんなのでしょうか?原の詩にもともと説得力があったのだが、珠が水で洗われたように表に出てきたのか、それとも他の要素なのか?
ここまで書いてきて、私が原の詩が嫌いだった、理由が自分でわかってきました。
原のように叫んでみても、事態は何も変わらない、現実にわれわれは核兵器に囲まれているではないか、
必要なことはヒステリックに叫ぶことではない、冷静に、調べ、考えることだ、という思いが、自分の中にあったことに気がついたわけです。
原の詩を、いったん英語に置き換え、原と同じ人間だが、異なる言葉をしゃべる人からの言葉として聞いてみると、説得力がある、言い換えれば考えることをエンカレッジしてくれることに気がつきます。
これは、詩を媒介とする、人間と人間の化学反応とでもいうべき現象なのでしょうが、これは何も説明したことになりません。
実に新鮮な視点でした。
コメントを拝読して、マルクスの「大事なことは、現実を解釈することではない、変えることだ」という言葉を思い出しました。ジャーナリストとして活躍されてきた哲野さんが、そのようにお考えになる(あるいは、そのようにお考えになるからこそ、ジャーナリストになったのかもしれません)のは、頷けます。考えることは大事ですよね。何事にも疑いを持つこと。
一方で、感情を伝えることも、大事ではないでしょうか。ぼくは、感情の伝え方が重要ではないか、と思うんです。声高に叫ぶと逆にうまく伝わらない、というのがぼくの詩を書いてきた上での経験です。感情がうまく伝わると、変わるものもあるかもしれない。その可能性に、詩人は賭けているのではないでしょうか。絶望が伝わることで、変わるものも、あるかもしれません。
ぼくは、哲野さんほど、英語がうまく書けないんですが、翻訳という行為は、基本的に他者と出会い続ける行為ではないでしょうか。内なる他者、外なる他者と... 。
原爆詩181人集、日本語版、英語版ともに、発売中です。よろしかったら、お読みください。
http://www.coal-sack.com/index.html