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原爆詩集英語版書評

■旧暦4月5日、金曜日、

(写真)スポットより撮った下り貨物

先日、『原爆詩集181人集』の英語版の書評を詩誌『COAL SACK』に書いた。時間があまりなかったので、書いているときは必死だったが、時が経って見直してみると、論理の粗雑さと強引さが目立って、恥じ入るばかりだが、恥も公にするのがブログの効果でもあろうと思うので、あえてアップする。石の中にかすかに玉が混じっていることを願う。



The sounds of logos
                       

logos(ロゴス)は、なかなかやっかいである。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった」(ヨハネ福音書)ここで言う、「言」がlogosである。もともとギリシャ起源の言葉であるが、logosの「論理」の側面は、logic、logique、Logikに引き継がれ、「知」の側面は、ラテン語のconscientiaを経由して、英語のconsciousness(意識)、conscience(良心・道徳)に、ドイツ語のVernunft(理性)に受け継がれていく。logosは、言葉であり、神であり、論理であり、知であり、倫理であり、一切の始原である。日本語を欧米の言語に翻訳するということは、唯一神が前提になったlogosの世界に踏み込むことを意味する。

consciousnessやVernunftの例からわかるように、logosは哲学する。logic、logique、Logik(論理)という強力なエンジンを洗練させながら、知の探求である哲学する運動を生み出すのである。それは、神の存在証明を経て、無神論へ、コギトの誕生へ、ich哲学へ、進歩史観を前提にした実証主義へ、やがて近代科学へと展開していく(logosを翻訳したラテン系の言葉の中に、すでにscienceが含まれているのは偶然ではない)。ここから二十世紀科学の最悪の到達点である原爆まではlogical processの中にある。だが、他方で、logosには、批判や倫理、他者性などの契機が含まれ、二次大戦のさなかに、『全体主義の起源』(アーレント)や『啓蒙の弁証法』(アドルノとホルクハイマー)を生んでいる。9.11事件以降は、周知のように、他者性がいっそうテーマ化されてきている。日本語で書かれた原爆の詩を英語に翻訳することは、原爆を生んだ当のlogosの世界に、日本語の詩を投げ込むことに他ならない。logosの世界は、別の面から見れば、自/他、神/人、主観/客観、貧/富、信/不信などといった厳格な二元論の世界であり、日本語の詩の世界とは、近代化が進んだとは言え、ある意味で、相互浸透的な一元論の世界である。logosの世界は、その積極的な側面―自己批判、倫理、他者性―を中心に激しく共振しながら、内部から大きく揺さぶられるはずである。

Give back our fathers. Give back our mothers.
Give back our old folk.
Give back our children.

Give myself back to me. Give back all the people
related me.
Give back peace,
peace which won’t crumble
as long as the world of human beings lasts.

まるで、神に訴える預言者の言葉のようではないか。遠い昔から幾多の戦乱に辛酸をなめた者たちが、神に苦難の意味を必死に問う言葉のようではないか。これが峠三吉という「異教徒」の詩であることがわかったとき、この言葉が向けられているのが、神ではなく、西欧世界全体であることがわかったとき、イラク、アフガン、パレスチナなどで起きている悲惨さを織り込むようにして、西欧世界に突き刺さるのではないだろうか。

不思議なことに、この詩は、日本語として発せられたとき、ブーメランのように、己に帰ってくる。

ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ

ここにあるのは、「加害者性」という響きである。先の戦争で、親兄弟を失った中国の民が、日本語でこの詩を朗読したらどうだろう。植民地として抑圧を受けた朝鮮半島の民が日本語でこの詩を朗読したらどうだろう。すさまじい衝撃が襲うのではないだろうか。「加害者性」は、ひとつの歴史的な現実というだけではない。今もまさに「加害」は地球上で行われ、たとえば、日本の米軍基地という形でわれわれの税金がそれを支えている。もっと言えば、後期近代の資本主義システムに組み込まれている以上、ここに生きていること自体が、「加害者即被害者であり被害者即加害者」なのである。

翻訳という行為は、他者を対象化し、自覚させるばかりか、翻って、母国語自体に含まれうる他者性をも浮き彫りにしてしまうのである。

It may have been a mistake the first time,
but it is a betrayal the second time.

この重々しい響きはどうだろう。聖典に書かれた唯一神ヤハウェの言葉だと言っても、それほど違和感なく受け入れられるのではないだろうか。この「無題メモ」と題された栗原貞子の詩は、次のように続く。

We’ll not forget
the promise we’ve made to the dead.

「we」という言葉には、どこか排他性がつきまとう。それは「they」が暗黙に前提されているからだ。「they」は異教徒・異民族であり、幾多の宗教戦争の記憶が、「we/they」の区分にはまとわりついている。これは、9.11以降のテロの遍在化や中東の宗派対立に現われているように、けっして過去のことではない。栗原貞子の日本語の詩は優しい。

無題メモ

一度目は あやまちでも
二度目は 裏切りだ
死者たちへの
誓いを忘れまい

この詩には、主語がない。とくに最後の二行に注目すると、「we/they」の区分を一気に超えて、普遍的な高みを志向していることがわかる。この詩の主語は人類であるべきだと、栗原貞子は語っているかのようである。

Green has already come into the willow by the moat,
smiling under the sky enveloped in mist.

The water has returned, clearly flowing,
asking for an elegy in my heart.

濠端の柳にはや緑さしぐみ
雨靄につつまれて頬笑む空の下

水ははつきりと たたずまひ
私のなかに悲歌をもとめる

                   (原 民喜「悲歌」第一、第二連)

この詩には、はっきりと自然が現われている。第一連では、柳の緑が「smiling under the sky」と歌われ、「smiling」が比喩だとしても、そう表現する作者の中では、もはや、柳も人も命という次元では同一のものとして感受されている。この感受性があってはじめて、第二連で、命の始原であり終極である「the water」からの呼びかけを「asking for an elegy in my heart」と受け止められるのである。命に国境がないように水に国境はない。この星の水が求めるもの。それが「an elegy」だというのだ。「悲歌」と題された原民喜の詩は、「an elegy」に置き換えられたことで、遠くギリシャを呼び出してくる。elegyの語源になったelegeiaというギリシャ語は、人生の悲劇や死を悲嘆する「嘆き」を意味する。ギリシャ人たちは、この嘆きを慰めるために、「永遠」という観念を見出した。原民喜の詩の最後の二連は次のようになっている。

As if every parting word were exchanged so casually,
as if every agony were wiped away so casually,
as if a benediction were still visible on the other side,

I would walk away, I want to vanish now
into a void…into the yonder side of eternity.

すべての別離がさりげなく とりかはされ
すべての悲痛がさりげなく ぬぐはれ
祝福がまだ ほのぼのと向に見えてゐるやうに

私は歩み去らう 今こそ消え去つて行きたいのだ
透明のなかに 永遠のかなたに

                     (原 民喜「悲歌」第三、第四連)

まさに、古代ギリシャ人の感覚のようではないか。原民喜が詩の表題に「悲歌」を選んだときすでに、英語の「eternity」が心の中に芽生えていたとしか思えない。この時点で、もはや、東西文化の比較論は意味を失ったようにさえ思われる。深い「嘆き」を癒すためには、人は「永遠」を必要とするのだ。

Warm-hearted people lived there before.
Winds once blew on windowpanes, making them gleam.
Window frames could always catch peaceful scenery.
Clouds were drifting hand in hand as in a round dance.
Ah, what a long absence!
A long, long absence of humanity.
The summer of 1965.
I walk down the steps of twisted memories,
looking for what was lost,
jingling a bunch of keys in my heart.

かつては熱い心の人々が住んでいた
風は窓ガラスを光らせて吹いていた
窓わくはいつでも平和な景色を
とらえることができた
雲は輪舞のように手をつないで
青空を流れていた
ああなんという長い不在
長い長い人間不在
一九六五年夏
私はねじれた記憶の階段を降りてゆく
うしなわれたものを求めて
心の鍵束を打ち鳴らし

                    (木下夕爾「長い不在」全)


この木下夕爾の「長い不在」という詩は、リチャード・ライト(一九〇八―一九六〇)の俳句を思い出させる。ミシシッピの黒人小作人の長男、ライトは、米国での長期にわたる反差別運動に疲れ、最晩年、パリに亡命する。そこで、四、〇〇〇句の俳句を残した。その中にこんな句がある。

I am nobody:
A red sinking autmn sun
Took my name away.

俺はだれでもない
赤い秋の落日が
おれの名前を消したのだ
             (注‐筆者訳)

同じ英語で読み比べてみると、なにか同質のものを感じないだろうか。「A long, long absence of humanity」という夕爾の響きは、ライトのこの三行を呼び出してくるかのようである。同時代を生きた二人が、海を挟んで、響きあう。東西文明の壁などやすやすと超えられてしまったかのように。これは、どういうことだろうか。logosの世界の辺境で抑圧されて生きざるを得ない人々には、夕爾の詩は親しいものに違いない。そうなのだ、原爆詩集の英語版は、西欧世界の核を内側から揺さぶるだけでなく、周辺部分を巻き込む力を持っているのである。願わくば、こうした階級的・地域的・文化的な辺境に住む人々の手に、この詩集が渡らんことを!

 
『COAL SACK』60号より
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