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RICHARD WRIGHTの俳句(10)

■旧暦5月7日、木曜日、

5時間弱の睡眠。今日は朝から調子悪い。気圧の関係もあるのだろうか。朝からTCIを装着しないと作業ができない。気分のアップダウンがコントロールできず、苦慮している。耳鳴りだけでストレスがかかるので、ちょっとした負担増で、簡単に切れるようになっている。今日は、アファナシエフのコンサートの予約を入れるかどうか、大変迷っている。数ヶ月先だが、今の状態で、シーンとしたコンサートホールに耐えられるのかどうか。しかも、開始時間は魔の夜7時なのである。

今日は、午後から、都内のカイロプラクティクスの医院に行ってくる。カイロだとか整体だとかは、ぼくは、基本的にあまり信用していない。いかがわしい業者が多いからだ。今回行く気になったのは、この医院が国際基準を満たす有資格者だけで構成されている点と、ぼくの場合、骨格の歪みが自律神経系を乱しているということは、充分考えられると思ったからだ。というのも、15年も椅子に座って仕事をしてきたのに、身体ケアを何もしてこなかったからだ。効くかどうかわからないが、やってみる価値はあるだろう。



(Original Haiku)
"Shut up, you crickets!
How can I hear what my wife
Is saying to me?"


(Japanese version)
うるさいぞ、お前ら蟋蟀!
カミサンの話しが
聞こえないじゃないか



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飴山實を読む(11)

■旧暦5月6日、水曜日、

今日も5時間弱の睡眠。起きるととたんに耳鳴り。だが、午後、1時間昼寝ができた。午前中は調子が良く、居間のソファーに寝転がって、新書を2時間以上読むことができた。自宅で長い時間、散文を読めたというのは、かなりの前進である。著者のロジックを内在的に理解するだけでなく、批評や批判、コメント、感想など、こっち側の反応を余白に書き込んだり、線を引いたりしながら、読むと脳が楽なことに気がついた。午前中、江戸川を散歩。トレーナーに教えてもらった呼吸法を少し改善して、8回を3セット。かなり気分良し。その後、買い物して帰宅。



沢蟹を嚙んで朧を酔うてけり   『次の花』

■この句全体に流れる音楽、調子にとても惹かれた。謡か古い物語の登場人物の科白のよう。「けり」とあるので、知らないうちに酔いが回っていたという感じだろう。沢蟹は子どもの頃、よく谷川で取って遊んだが、食べたことはない。いったいどんな味なんだろうか。
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RICHARD WRIGHTの俳句(9)

■今日は、4時に目が覚めてしまった。6時ごろから、江戸川周辺散歩。先日、トレーナーに教わった呼吸法を土手で試してみる。かなり気分が良くなる。また、郭公の声を聞いた。午前中、30分ほど眠る。目覚めるときに、耳鳴りはひどくなる。こういう現象は、過去何回もあった。



(Original Haiku)
Steep with deep sweetness,
O You White Magnolias,
This still torpid night!


(Japanese version)
陶然と夢のように咲け
白れん
かくも静まり返った夜に
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飴山實を読む(10)

■旧暦5月5日、火曜日、

昨日は、午後から、MRI検査をしてきた。よくテレビなどで検査状況は知ってはいたが、こんなに激しい音のする検査だとは知らなかった。なんせ、検査技師のお姉ちゃんが、耳栓を用意してくれていたのだ! その音は、無機的な金属音ではなく、葦切みたいな鳥だったり、カバみたいな動物の鳴き声だったり、とにかくユーモラスな音で、笑いそうになって困った。この検査に、動きは禁物なのだ。

しかし、なんですな。御茶ノ水に病院があるのは罪ですな。どうしても本を買ってしまう。前回は、1959年に出た岩波の古本、日本古典文学大系の「古代歌謡集」、「中世近世歌謡集」、「上田秋成」を1冊500円で、今回は、東京堂書店で、有精堂から1987年に出た新刊本の日本文学研究資料「秋成」と「柳田國男と折口信夫」を定価の半額以下で購入。



越前の榛の芽ぶくは泣くごとし   『次の花』

■一読惹かれた。「越前の榛」という措辞には、遠い戦いの記憶がどこかに堆積している。権力者たちへの一向宗民衆のプロテスト。この記憶が「泣くごとし」という措辞で一気に顕在化するのだと思う。「沖縄」という言葉ほど、インパクトはないが、哀しみがじわりと効いてくるように感じた。
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健康第一

旧暦5月4日、。今気がついたのだが、旧暦の計算を間違えていたようだ。もう、旧暦では5月に入っている。5時半起床。昨日は子どもの誕生日だったので、少々、飲みすぎて、早くに目が覚めてしまった。しかし、脳の調子は比較的いい。レベル2。

自律訓練法を学ぶために、近くの病院の心療内科を予約して、行ってみたのだが、実施していなかった。おもな地域の拠点病院を調べてみると、どこもやっていない。やっているのは、東大、日大の付属病院と市川にある国府台病院だった。国府台なら、バスですぐなので、今週中に予約を入れたいと思っている。

昨日は、トレーニングルームで、カウンセリングを受けてきた。事情を話して、脳への血行がよくなり、交感神経と副交換神経のバランスを取るためのメニューを作成してもらう。驚いたことに、担当してくれた女性トレーナーも耳鳴りで苦しんでいるという。そのため、話しが早く、効果的なメニューが出来上がったと思う。トレーニングルームでの運動を基本に、ヨガや太極拳など、自律神経に効くと言われる、運動を積極的に試してみたいと考えている。

今日は、夕方からの耳鳴りがあまりにも激しいので、念のため脳のMRI検査を行う。

TCIは、環境音がなく、静かなときや、読書など集中力を必要とするときに利用しているが、この数日でいくつか気のついたことがあったので、代理店の担当者にファックスで質問と意見を書き送った。TCIの効果は、まだ、はっきりとわかる段階にないが、少なくとも治療の柱になってくれそうな感じは持てた。

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脳をチューニングする

■旧暦4月30日、金曜日。

今日は、東京医科歯科大の「耳鳴り外来」に行って来た。ここで、TRT療法を試すことにして、実際に今日から開始している。これで、この1ヶ月、悪戦苦闘して、どうにか、治療イメージが頭の中にできあがり、実際に動き出した。毎日、夜7時くらいになると、錐で頭を突かれるような超高音のアグレッシヴな耳鳴りに苦しめられてきたが、TRT療法で、この事態は今のところ回避できている。

TRTは無機的な環境音で、耳鳴りに近い音を出す機器を中心に行われる。耳鳴りを別の音で相殺するのではなく、TCIと呼ばれる機器から発生した人工音に意識を集中させることで、耳鳴りを意識下に沈めることをめざしている。普通の場合でも、エレベーターや静かな部屋に一人でいると、耳鳴りを感じることがあるが、最終的には、このレベルまで脳をチューニングする。

睡眠時間の充分な確保を前提に、TRTに自律訓練法、リラクゼーションを組み合わせて、しばらく走ってみたいと思っている。
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俳句の今

■旧暦4月29日、木曜日。

11時就寝、6時起床。一度も目が覚めなかった。7時間睡眠でも、質が確保されれば、脳の調子はそこそこ確保できるようだ。レベル2。夕食時にウィスキーを少し飲んだのが効いたのかもしれない。通常、睡眠薬とアルコール類は、一緒に摂取することを禁じられているが、直前でなく少量なら、プラスの効果があるのかもしれない。以前、一緒に飲んだことがあるが、目が激しく回ってくしゃみがとまらなくなった。

江戸川に、2羽の郭公が来て鳴いていた。しばらく聴いていると、深い森にいるような気分になった。郭公の声は奥行きを生み出す。なるべく、遠くで聴くと、趣が深くなる。



以下は、英文雑誌『THE EAST』に書いた英文原稿の元になった日本語原稿である。紙幅の関係上充分に議論が尽くせていないが、俳句や詩の現在を考えるときに、参考になる論点が含まれていると思われるので、以下に掲載する。

この原稿は、最初に、日本語原稿を書き、これを英訳して、その後、ネイティブチェックを受けたものを最終原稿として、当雑誌に掲載している。以下の日本語原稿では、わからないが、ぼくの英訳した俳句が、間違って掲載されている。編集段階で、俳句は三行詩という固定観念から、三行に編集してしまっているが、ぼくの意図は、これとは違う。「切れ」を表すために一行空けているのだ。編集部に、文学への理解と繊細さに対する感受性が欠けていたことを残念に思う。



俳句の今

1. はじめに

「日本人ほど詩歌を愛する国民はいない。老いも若きもみんな俳句や短歌を詠んでいる。『詩歌の国』と呼んでもいい」俳人の長谷川櫂はこのように述べている。俳句人口は、少なく見積もっても100万、最大では1000万などとも言われてきた。これまで、多くの俳人は結社誌・同人誌に所属して俳句を発表したり、新聞の俳句欄に投稿したりしてきた。しかし、今では、インターネットの普及で、誰でも簡単にブログやホームページを作れるようになり、俳句を発表できる場が爆発的に増えた。この結果、俳句人口が着実に増加していると思われる。俳句は、短い表現形式なので、デジタルメディアとの相性がいいようなのである。また、ウェブ句会という新しい形態の句会も現れている。

俳句の起源は、室町時代の俳諧連歌までさかのぼることができる。このように古い出自を持つ俳句が、なぜ、現在まで途絶えることなく、詠み継がれてきたのだろうか。また、インターネットの普及によって、俳句にどのような影響が表れているのだろうか。

2. 俳句とは何か

俳句とはそもそもどんな文芸だろうか。今では、芭蕉の名前は、シェイクスピアと同じくらい世界標準になっている。芭蕉が、今でも多くの俳人たちの規範になっているのは間違いないが、芭蕉は俳人ではない。俳諧師である。明治時代に正岡子規が俳諧から発句を切り離した瞬間に生まれたのが「俳句」である。

子規は、俳句を書くにあたって、西欧の写実絵画の方法を取り入れた。目前の事物を、ありのままに描くことを俳句の方法としたのである。この結果、芭蕉の発句によく見られるように、古典文学を知らないと、その句を深く味わえない、ということがなくなった。
 
子規は俳句を革新したが、芭蕉の時代から続く特徴もある。その一つが、季語である。季語は、基本的に、日本社会の季節を表す言葉であるが、単なる記号にとどまらず、日本人と自然との交渉の歴史が、その言葉には凝縮されている。

音もなくしろくつもれるゆゑに雪       斉藤美規

作者は、雪国の俳人。雪国では、雪は美しいばかりではない。命を落とすこともある。そうした雪の怖さと美しさが表現された句である。

落葉松はいつめざめても雪降りをり       加藤楸邨

作者は病後の身を養っている。その窓から見えるのは、雪の降る落葉松だけである。目覚めては眠るうちに、いつの間にか、作者と落葉松は一体化してしまう。自然と人生が融合した瞬間である。

このように、雪という季語には、人間の経験のさまざまな諸相が凝縮されているのである。

現代俳句が芭蕉の時代から引き継いだものがもう一つある。それは、「切れ」と呼ばれる俳句の文法である。「や・かな・けり」で代表される「切れ」は、文字どおり、俳句を切って「間」を作り出すことを、目的にしている。

三月やモナリザを売る石畳       秋元不死男

この俳句には、切れ字「や」が使われている。わたしは、「や」を「石畳」と「三月」の間に空白を入れることで翻訳してみた。そして、「三月」をこの俳句の最後に持ってきた。こうしたわけは、切れ字は作者の心を表すことが普通だからである。言い換えると、作者は、石畳で売られていた「モナリザ」の複製画を見たとき、心の中で三月を感じたのである。石畳のひんやりした感じは、まだ寒さの残る早春を思い出させる。モナリザの穏やかな微笑みとエロシズムが、「命の春」の平和な訪れを予感させるのである。
 
俳句の本質を語る場合、もう一つ忘れてはならないことがある。それは、俳句が散文ではなく韻文だという事実である。散文は「論理」や「意味」、「説明」を重視する。日本語の散文は、明治以降、西欧文の翻訳を通じて形成されてきた。翻訳された書物を通じて、日本は社会の諸制度を近代化すると同時に、日本語自体を近代化してきたのである。散文の代表的な例は、新聞・雑誌やビジネス文書、社会科学や自然科学の書物などである。したがって、ビジネスや教育、科学技術の世界など、近代化(現在ではグローバリゼーションでもある)の進んだ世界は、ほとんど、散文的な思考の支配する世界と言っていい。これに対して、俳句は、論理の世界とは違った次元に一つの世界を打ち拓く。たとえば、次の句を見てみよう。

古池や蛙飛び込む水の音       芭蕉

長谷川櫂によれば、この句は、蛙が水に飛び込む水の音に触発されて、芭蕉の心の中に現れた古池を詠んだものである。現実に蛙が古池に飛び込んで水の音がした、という事実を説明した句ではない。この俳句の文法は、散文の説明の論理とは異なった次元に一つの世界を表現する。
 
こうした特徴を備えているからこそ、俳句は短い表現ながら、宇宙の高みや人生の深みを表現することができるのである。

3. 俳句と社会

良い俳句の書き手は、子供と老人だと言われる。こうなる理由は、いろいろあるが、子供と老人の間の世代が、生産年齢になることが大きいのではないだろうか。生産年齢の人々は、生産組織に組み込まれていることが多い。生産組織を支配する思考形態は、散文の論理である。このため、俳句のような韻文に頭を切り替えることが難しくなるのではないだろうか。一方、こうした散文的な発想は俳句の表現に影響を与えてきた。

限りなく降る雪何をもたらすや       西東三鬼

この句は、自分の想いを述べた句である。季語は雪であるが、季節感が弱い。しかも、句の中には「切れ」はない。物語の出だしの一節として提示されても俳句との区別はできないだろう。俳句の文法で俳句を書いたのではなく、物語の影響を受けているように思える。俳句は社会の近代化とともに「散文化」してきたのではないだろうか。

俳句と社会の関係を考えるとき、インターネットが俳句に与えた影響を考慮しなければならない。俳人の五十嵐秀彦は、句会-俳人が集まって俳句を作り選択する会合‐の性格が変わってきていると警鐘を鳴らしている。山本健吉の述べるように、俳句は挨拶の文芸である。句会のほかの俳人や自然への挨拶が俳句の基本である。だが、ウェブ句会では、作品をけなし合ったり褒めあったりするばかりで、作品の批評がないと五十嵐は言う。またあからさまな剽窃も行われている。ウェブ句会は匿名の参加だからである。この結果、五十嵐の言うように、俳句の質は低いものになるだろう。楽しみのためだけに俳句を作る人には、ウェブ句会は、手軽で参加しやすいが、俳句の未来を考えたときには、いくつかの問題点も抱えているのである。

4.俳句の未来

俳句の未来を考えたとき、いくつかの重要な社会的変化を考慮しなければならないだろう。第一に、近代化やグローバリゼーション、都市化の進展により、季語の季節感がなくなったり、季語に実感が伴わなくなったりしてきている。また、地球温暖化により、以前ほど、四季の移り変わりがはっきりしなくなってきている。こうした影響をもっとも受けるのは季語である。

有名な詩人で俳人の清水昶は、季語について次のように述べている。「季語についていえば、歳時記を守るべきだと思う。版を重ねるごとに歳時記から美しい日本語が消えていく。今使われている言葉だけが季語として残り、記憶の中の言葉が抹殺されてしまうとしたら、残念なことだ」清水は、こんなことも述べている。「俳句は老人と子供の文学である。というのも、歳時記には、老人だけが知っている死語と若者の知っている新しい言葉が掲載されているからだ」

芭蕉の俳諧に「不易流行」という有名な言葉がある。これは俳諧制作上の導きになる考え方で、その意味は、俳諧には時代とともに変化する要素と変化しない要素があり、俳諧は時代に合わせるのでもなく時代から取り残されるのでもない道を行くべきだ、というものである。歳時記は、芭蕉の教えを忠実に守っているように見える。問題があるとすれば、年々、生活が合理化されるにつれて、非合理的という理由だけで古い季語が消えていくことだろう。

もう一つ、芭蕉の「不易流行」の例を見てみよう。太平洋戦争末期のニューギニアで、日本軍は悲惨な戦いを強いられていた。毎日、大勢の兵士が死んでいった。そんなとき、各部隊の有志を集めて、演劇を上演して兵士を慰めようという話が持ち上がった。この劇団は大成功し、連日、明日死ぬかもしれない兵士たちがたくさん押し掛けた。そんな兵士の一人がこんなことを言った。「死ぬ前に故郷の雪が見たい」このリクエストに応えて、劇団は南の島に紙吹雪の雪を降らせるのである。この劇を観た兵士たちはみな号泣した。この実話は、季節が人間の生活と密接に関わっているだけでなく、人間の魂とも深い結びつきがあることを示している。魂と結びついた季語は、けっして、この世から消えてなくならないだろう、たとえ、歳時記からなくなったとしても。
 
近代化、グローバリゼーション、都市化が進展する中で、俳句の持つ意味は、今後大きくなるに違いない。というのは、俳句は、自然と人、人と人が和解した世界のありようを理念的に提示するからである。こうした世界観は、俳句にとっての未来ばかりか人類にとっての未来も指し示しているのである。

【参考文献】

『俳壇』2002年9月号
『一億人の俳句入門』長谷川櫂著(講談社2005年)
『古池に蛙は飛び込んだか』長谷川櫂著(花神社2005年)

「日本文化紹介英文誌THE EAST Vol.42 No.6掲載、"Haiku Today"の原文原稿」


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飴山實を読む(9)

旧暦4月28日、水曜日。

今日は、家族の協力で10時に眠れたので、昼間、脳の調子は良かった。図書館で、2時間も本が読めた。かなりの前進である。ただ、夜7時くらいになると、やはり脳が疲れるのだろう。耳鳴りがひどくなり、家にいられず、外の公園をぶらつく。どうしても、気持ちが内向きになり、ますます、耳鳴りに聴覚を支配される。脳が疲れる時間帯になると、この傾向が強まる。一つ考えたのは、季節の推移に鋭敏になることで、「意識の囚われ」を克服することができないか、ということ。季語の検討も、ぼちぼち、再開しようかと思っている。



山水のひヾかふ町は辛夷どき  『次の花』

■空気の旨さ、涼気、静けさ。辛夷が歌のない歌のように咲いている。この辛夷の花の先まで、山水はやってきている。そんな清澄な町が浮かぶ。
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RICHARD WRIGHTの俳句(8)

旧暦4月27日、火曜日。

3時半に目が覚めてから、よく眠れず。6時間睡眠。やはり脳の調子が悪い。この頃、思うのであるが、「共感・共苦」というのは真っ赤な嘘である。苦というのは、個々人のさまざまな規定性によって千差万別で、「共感・共苦」などできるものではない。できるとすれば、己の苦悩の経験を基にした他者への想像のみである。経験の質が貧しければ、想像力もまたpoorである。根本的には、己は己唯一の人生しか生きることができないからである。「共感・共苦」はできない。ここから出発するしかないのではないだろうか。



最近、ファジル・サイのベートーヴェンを聴いている。サイはまだ37歳。トルコ出身のピアニストで、作曲も行う才気煥発な人だが、ぼくの感じでは、現代の西欧の音楽家によく見られるような、作品を対象として冷静に分析検討して、演奏を組み立てるタイプとはまったく違う。そうかといって、逆に、恍惚的に作品に合一没入していくのとも違う。ある意味で、ピアニストと指揮者の違いはあるけれど、曲作りという点では、フルトヴェングラーの系譜にあるような気がする。

ベートーヴェンが、偉大なのは、誰しも認めるところと思うが、さまざまな苦悩に向き合ったからでも、苦悩から歓喜へと至ったからでもない、とぼくは思っている。ベートーヴェンは、苦悩の真っ只中で微笑んだ。これが偉大なのである。



(Original Haiku)
O finicky cat,
Forgive me for this spring rain
That disgusts you so!


(Japanese version)
気難しがり屋の猫よ
この春雨を許してくれ!
そうむかつくなって


■猫は、水を嫌がりますね。それでも、きれい好きで、よく自分の体を舐めて、きれいな毛並みにしていたのを思い出した。猫は、雨のときは、テリトリーの中にいくつか隠れ家を持っていて、そこで、じっとしていましたね。主人が病気のときは、不思議にわかって、雨のときのようにじっとしていましたね。
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飴山實を読む(8)

旧暦4月26日、月曜日。のち

今日は、朝から、東京医科歯科大の耳鼻科に行く。改めて、聴力検査を実施して、明日は、精密聴力検査を行い、金曜に、耳鳴り外来を予約した。ここで、TRT療法を実施するようだ。昨日は、10時半に寝たので、脳の調子は一日良かった。やはり、早く眠るに限るようだ。10時に眠れれば、翌日の苦痛はかなり軽減する。

担当医が2人ついて、いろいろ、細かく尋ねてくれたが、耳鳴りはすっきり消えることはないらしい。この点は、どうやら、諦めないと仕方がないみたいだ。辛いもんである。当面の目標は、仕事ができるまでに回復することだが、時間をかけて、徐々にいくしかないのだろう。

すぐに帰宅する気にもなれず、丸善オアゾで、オーデンとディラン・トマスの自作朗読のCDを購う。二人はどんな声をしていたのか、どんな風に朗読したのか、興味あるところである。『日本の名随筆』シリーズ「語」と「話」を購う。複雑な論理はダメでも、随筆なら読めるのではないか。



なかぞらへ鯉投げあぐる池普請   『次の花』

■「池普請」は、冬、池の水が涸れた時期に、塵芥や落葉が溜まって浅くなった池底を掘り下げて深くしたり、水漏れを直したり、水の出口を整えたりすること。

この句の魅力は、なかぞらに鯉が躍り上がって、水しぶきが、飛んでくるような臨場感にあると思う。この臨場感を出しているのは、もちろん「投げあぐる」という動詞であるが、「なかぞらへ」の措辞は大きい。「空中へ」あるいは「中空へ」だったら、台無しである。「なかぞらへ」この措辞は、空の広さと高さを同時に表している。まさに冬の晴れ渡ったあの青空である。
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